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南総里見八犬伝に関するprozorecのブックマーク (17)

  • 里見氏の悲劇 南総里見八犬伝(17)

    馬琴が『八犬伝』を書くきっかけとなった里見家の重要人物がいます。安房里見氏最後の城主・九代忠義(ただよし・稲村城の戦いを内紛とし、九代とする説が有力)です。里見の居城として知られる館山城(館山市)の城 ・・・ 【残り 999文字】

    里見氏の悲劇 南総里見八犬伝(17)
  • 忠臣・道灌を尊敬 南総里見八犬伝(16)

    享徳の乱や長尾景春の乱などを通し、扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の臣として戦い抜いた忠臣・太田道灌(どうかん)は、古河公方・成氏(しげうじ)と、幕府から派遣された堀越公方との間に和睦が成立した後は、主君・ ・・・ 【残り 996文字】

    忠臣・道灌を尊敬 南総里見八犬伝(16)
  • 八犬士とは何者か 南総里見八犬伝(15)

    八犬士ですが、里見八犬士といわれるぐらいですから、安房里見氏と関係が深い子弟と考えられがちですが、しかし必ずしも、そうとも言えません。 犬塚信乃戌孝(しのもりたか・孝の玉)は豊島氏の出。犬山道節忠與 ・・・ 【残り 982文字】

    八犬士とは何者か 南総里見八犬伝(15)
  • 対牛楼(江戸城)の戦い 南総里見八犬伝(14)

    太田道灌(どうかん)の築いた江戸城が、『八犬伝』では「石浜城」(対牛楼)の名で描かれています。 「石浜城」に幽閉された八犬士・犬田小文吾悌順(こぶんごやすより・悌の玉)が、旦開野(あさけの)という女 ・・・ 【残り 980文字】

    対牛楼(江戸城)の戦い 南総里見八犬伝(14)
  • 太田道灌と千葉氏の内乱 南総里見八犬伝(13)

    関東管領扇谷上杉(室町幕府側)の家宰・太田道灌(どうかん)は、古河公方・足利成氏(しげうじ)と戦うため画策した忠義の臣ですが、室町足利九代将軍義尚(よしひさ)時代を迎えた文明十四年(1482年)十一月 ・・・ 【残り 1252文字】

    太田道灌と千葉氏の内乱 南総里見八犬伝(13)
  • 扇谷上杉の臣・太田道灌 南総里見八犬伝(12)

    名将として名高く、また「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」(後拾遺和歌集・兼明親王)の歌にまつわる山吹伝説で知られる太田道灌(どうかん)が、『八犬伝』で巨田持資(おおたもちすけ)の名 ・・・ 【残り 997文字】

    扇谷上杉の臣・太田道灌 南総里見八犬伝(12)
  • 妖刀村雨と芳流閣の戦い 南総里見八犬伝(11)

    八犬士の最初に登場するのは犬塚信乃戌孝(しのもりたか・孝の玉を持つ)です。女子の衣装で育てられ与四郎という犬に乗って登場。伏姫と八房のミニチュア版です。奴婢として育った・額蔵〔犬川荘助義任(そうすけよ ・・・ 【残り 999文字】

    妖刀村雨と芳流閣の戦い 南総里見八犬伝(11)
  • 八犬士出現の背景 南総里見八犬伝(10)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『八犬伝』で、自害した伏姫の腹から八方に光玉が宙を飛び、その玉に導かれた八犬士が登場しますが、伏姫が自害するのは長秋二(1458)年秋としっかり明記されています。 その頃の関東地方は、どのようになっていたのでしょうか。当時の歴史を認識しておくと、八犬士出現の理由が見えてきます。 室町六代将軍・足利義教(よしのり)が亡くなると、その子義勝(よしかつ)が七代に就任。結城合戦での、鎌倉公方・持氏(もちうじ)の幼い遺子、春王・安王を殺害した行き過ぎた制裁に反省した室町幕府は、春王・安王の弟でまだ幼い足利成氏(しげうじ)を鎌倉公方(鎌倉将軍)に就任させ、関東武士たちの不満を和らげようと努めます。 関東管領筆頭には同じく山内上杉氏が就任し、扇谷(おうぎがやつ)上杉氏はそれを補佐していきます 成氏は

    八犬士出現の背景 南総里見八犬伝(10)
  • 安房里見氏の城 南総里見八犬伝(9)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 安房に上陸した里見義実が、最初に拠った城として知られる白浜城(野島崎の北700メートル)は、当時はこの城近くまで海が寄せていて、太平洋海運の拠点だったと言われています。周辺に二代成義(なりよし)の墓があったと伝わる福寿院、伏姫のモデル・種姫が住んだ種林寺跡、城跡の東の白浜町白浜字若宮横手に杖珠院(じょうしゅいん)があります。 杖珠院(義実・成義・義通・義豊の墓がある)は義実の創建とされ、寺名は義実の法号「杖珠院殿建室興公居士」からとられたもの。 安房を平定した義実は鎌倉公方・足利成氏に仕え、結城氏、武田氏とともに関東管領・上杉氏を破り、成氏が古河公方となって一時千葉孝胤(のりたね・上総千葉氏)の臼井城に逃れたとき、孝胤や武田氏らと協力し古河城を奪回します。 成義は物語では別名の義成(よ

    安房里見氏の城 南総里見八犬伝(9)
  • 富山の洞窟と伏姫 南総里見八犬伝(8)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『八犬伝』で里見義実は安西景連(かげつら・史実では景春か)との戦で窮地に陥り、つい「敵の大将の首を取ってきた者には伏姫を与えん」と言ってしまったことから、猛犬・八房が景連を襲い、首をくわえて戻ります。里見家の勝利を喜びながらも、約束をした義実は困り果てますが、「假令(たとひ)そのこと苟且(かりそめ)のおん戯(たはぶ)れにましますとも、一トたび約束し給ひては、出でてかへらず、馬も及ばす。…」で始まる伏姫説得の場面は、名文中の名文。 義実の約束には徳川家康の「千姫を助け出した者には姫を与える」の言葉が重ねられ、坂崎直盛への約束を反古にした家康批判がこめられているのです。 犬婿話は日各地に伝わっていますが、馬琴は中国故事を書いた『捜神記』の「槃瓠(はんこ)説話」を披露し、この話が空想でない

    富山の洞窟と伏姫 南総里見八犬伝(8)
  • 怨霊の物語 南総里見八犬伝(6)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『八犬伝』で、安房に渡った安房里見氏の祖・里見義実は、乞に身をやつした神余氏一族の一人・金碗八郎孝吉(かなまりはちろうたかよし)と出会い、二人は協力して、城主・神余氏を殺してその領地をのっとった家老・山下を討伐し、神余の愛妾でありながらも山下に入れ知恵をした玉梓を捕まえる話へと進行していきます。 ところで玉梓(たまづさ)の名の由来ですが、狸を示す玉面(たまつら)をもじった命名で、暗に狸の化け物であることをほのめかしているのも面白いところ。 漢字の不思議が町民の興味の対象になっていた時代でした。江戸では寺子屋が盛んで町民も平仮名に加えて漢字を習いました。江戸時代は、海外でも類を見ないほど庶民が高い教養を身につけていた時代です。明治時代を迎えていち早く小学校制度を導入できたのも、寺子屋制

    怨霊の物語 南総里見八犬伝(6)
  • なぜ里見氏を描いたのか 南総里見八犬伝(5)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 安房里見氏の祖・里見義実(よしざね)が、相模から野島崎に上陸するとき、「白竜が天に昇るのを見た」という伝説があります。義実の安房での吉兆を示す話です。馬琴は『房総志料』や『安房郡志』に学び、多くの安房の伝説を『八犬伝』に取り入れています。 馬琴はその場面を下絵に描き、柳川重信(やながわしげのぶ)に肇輯(じょうしゅう)の挿絵を描かせました。伝説では白竜ですが、丸々と太った鯉にまたがり、現代の劇画を思わせる構成で絵枠から突き出る勢いの義実が描かれています。鯉は「魚へんに里」。鯉は里見家の魚なのです。駄洒落好きな江戸っ子を喜ばせる工夫がされています。 では馬琴は、なぜ地方武士にすぎない安房里見氏を描いたのでしょうか。 江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎では徳川幕府批判が取り入れられ、その面白さが人気を

    なぜ里見氏を描いたのか 南総里見八犬伝(5)
  • 中国説話などを用いる 南総里見八犬伝(4)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『南総里見八犬伝』は、安房里見の祖・里見義実、二代成義(なりよし、物語では義成)三代義通(よしみち、物語では四代義豊の誕生までを描く)に焦点をあて、『太平記』以後の関東地方を描く物語です。 『太平記』は元寇との戦いで衰退した北条高時の失脚から起稿され、足利尊氏、新田義貞、楠木正成の活躍。天皇派の楠木・新田と足利尊氏との争いの後、後醍醐天皇の建武新政があり、朝廷は南北朝に分かれ室町幕府が誕生します。二代足利将軍義詮(よしあきら)、三代足利将軍義満(よしみつ)へと移り、義満による南北朝合一がなされ、安定した時代を迎えるまでが、説話や俗説を用い、いろいろな視点から描かれます。 江戸時代に大ブームとなり、軍記ものとして武士にも町人にも親しまれ、歌舞伎にもなりました。 『八犬伝』でも、下野国赤岩

    中国説話などを用いる 南総里見八犬伝(4)
  • 空前の人気・「八犬伝」 南総里見八犬伝(3)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『南総里見八犬伝』は曲亭馬琴〔名・滝沢興邦(おきくに、1767~1848年)〕が文化11(1814)年48歳から書き起し天保13(1842)年75歳に完結するまで、実に28年間もの長きにわたり書き継がれました。江戸で発売されるやベストセラーとなり、京・大坂(大阪)でも評判を呼び、歌舞伎に上演され、空前の人気を博し、錦絵・凧・羽子板にも描かれました。 ちなみに筆名の曲亭馬琴とは「郭(くるわ)でまことを尽くす」の意味。他にも「著作堂主人」「笠翁(りつおう)」なども用いています。すでに読『椿説弓張月』(絵師の一人に葛飾北斎を用いている)の好評で、原稿料だけで生計をたてる日最初の著作家の地位を築きあげていました。『八犬伝』は彼の集大成なのです。 当時は「読(よみほん)」といわれる木版印

    空前の人気・「八犬伝」 南総里見八犬伝(3)
  • 物語の発端・結城合戦とは 南総里見八犬伝(2)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 『南総里見八犬伝』の発端に描かれている結城合戦(1440年)とはどのような戦だったのでしょうか。 永享(えいきょう)の乱(1439年)からお話しするにあたり、室町幕府職制を述べておきましょう。将軍の下は中央と地方に別れ、中央に管領(かんれい・将軍補佐)、その下には侍所、政所、問注所、評定衆。地方に鎌倉府、奥州・羽州・九州探題(たんだい)、守護・地頭が置かれました。 なかでも鎌倉府は関東を治める最重要拠点で長官は鎌倉公方(鎌倉将軍)と呼ばれ、補佐役が関東管領(物語は略して管領、中央の管領と間違えやすい)ですが、中央と結びつき鎌倉公方を見張るために付けられている、いわば「付け家老」の役目をしている役職です。 関東管領を占めていたのが犬懸(いぬかけ)、山内、宅間、扇谷(おおぎがやつ)の上杉四

    物語の発端・結城合戦とは 南総里見八犬伝(2)
  • 安房里見・野島崎に上陸 南総里見八犬伝(1)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 江戸時代後期の文豪・曲亭馬琴(きょくていばきん・滝沢馬琴)が執筆した『南総里見八犬伝』は、結城合戦(永享12年、1440年)に敗れた里見家基(物語では季基〔すえもと〕)の嫡子・里見義実(よしざね)が再起を託され落ちる場面から始まります。 『八犬伝』では落ちのびるよう諭されるものの、後ろ髪を引かれる思いで老臣と落ちていく義実の心情が語られています。この場面は、『太平記』の楠木正成(まさしげ)と正行(まさつら)の別れの場面を読者に思い起こさせ、効果を倍増する方法がとられています。 義実はまず相模に逃れ、そこから舟で、安房の野島崎から上陸したと伝えられています。上陸した義実は白浜を拠点に次第に力を広げ、安房に勢力をもつ安西氏を破って安房を手中におさめ、以後、百七十年に及ぶ安房里見氏の基礎を築

    安房里見・野島崎に上陸 南総里見八犬伝(1)
  • なぜ里見氏を描いたのか 南総里見八犬伝(5)

    料金改定について 2023年11月より料金が改定されました。 料金改定の同意からお手続きをお願いします。 安房里見氏の祖・里見義実(よしざね)が、相模から野島崎に上陸するとき、「白竜が天に昇るのを見た」という伝説があります。義実の安房での吉兆を示す話です。馬琴は『房総志料』や『安房郡志』に学び、多くの安房の伝説を『八犬伝』に取り入れています。 馬琴はその場面を下絵に描き、柳川重信(やながわしげのぶ)に肇輯(じょうしゅう)の挿絵を描かせました。伝説では白竜ですが、丸々と太った鯉にまたがり、現代の劇画を思わせる構成で絵枠から突き出る勢いの義実が描かれています。鯉は「魚へんに里」。鯉は里見家の魚なのです。駄洒落好きな江戸っ子を喜ばせる工夫がされています。 では馬琴は、なぜ地方武士にすぎない安房里見氏を描いたのでしょうか。 江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎では徳川幕府批判が取り入れられ、その面白さが人気を

    なぜ里見氏を描いたのか 南総里見八犬伝(5)
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