背景[編集] 八九式から九五式への経緯[編集] 1920年代後半に開発・採用された、日本初の国産量産戦車である八九式軽戦車(後の八九式中戦車)は、本来陸軍が英国からの購入を求めたヴィッカース Mark I軽戦車(11.7t)や、その代わりの参考用に輸入したビッカースC型中戦車(11.5t)のように、1920年代当時の世界水準に合わせて10t程度の戦車として開発された。改修を重ねたため、最終的に車重11.8tとなったが、スペック上では良道を最高速度 25km/h で走行することが可能だった。この最高速度は、同時期の欧米戦車(ソ連のT-18、米国のT1中戦車、英国のヴィッカース Mark II中戦車)などと比較しても同等水準であり、むしろ陸軍が研究用に輸入していたフランスのルノー甲型・乙型(ルノーFT-17軽戦車・NC27軽戦車)と比べれば速い方であった。 この頃の陸軍部内では機械化部隊の創設