范 蠡(はん れい、生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家・軍人である。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者とされている。 略歴[編集] 越の謀臣[編集] 范蠡がどこで生まれたのか、どのような経緯で越の允常(勾践の父)に仕えるようになったのか、彼の経歴による明確な確証がない。 隣国の呉王闔閭は伍子胥・孫武らの補佐を受けて強勢を誇っていた。越王允常は范蠡の補佐で国力を伸ばしていた。しかし紀元前496年に允常が逝去し、太子の勾践が父の後を継いだ。允常の訃報を聞いて喪中に服している越に対して、闔閭は出る杭を先んじて叩いてしまおうと判断し、攻め込んできた(欈李の戦い)。しかし、欈李(現在の浙江省嘉興市海寧市)で、范蠡はこれに対して奇計を持って迎えた。その奇計と言うのは決死隊(『左伝』では罪人。こちらが正確か)を集めて敵の目の前まで行かせ