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dpzとhistoryに関するgogatsu26のブックマーク (33)

  • 『東京見学地図』でGHQ占領下の東京を見る

    以前、当サイトで取材した野ばら社が出版していた『児童年鑑』。 子供向けの統計年鑑だが、そこに掲載されている絵地図がめちゃくちゃよいので、紹介したい。 『児童年鑑』の絵地図とは 野ばら社に限らず、戦前から戦後の一時期までは、各出版社が「年鑑」という書籍を毎年発行していた。 なかでも野ばら社の『児童年鑑』はかなりの人気があり、野ばら社の経営を支えたといわれる。 筆者所有の野ばら社の児童向け年鑑 その児童向け年鑑の中に、各地の特産品や名物名所などを書き込んだカラーベージの絵地図があるのだが、ぼくはこの絵地図が大好きで、以前も記事内でいくつか紹介した。 こんな感じの絵地図が地域ごとに掲載されている この、児童年鑑の絵地図だが、野ばら社は現在、絵地図の部分だけを復刻して印刷し、イベントや通販で販売している。 先日行われたイベントで、そのなかのいくつかを購入したのだが、どれもめちゃくちゃおもしろい

    『東京見学地図』でGHQ占領下の東京を見る
  • @nifty:デイリーポータルZ:針尾の 無線塔がやばすぎる

    空に向かって無限に伸びるコンクリートの塔。大正11年に作られた無線塔が大変やばいビジュアルをしている。 この塔については以前(2005年の拙記事)にも書いたことがある。が、いかんせん凄さが伝え切れてなかった。というか実物のあまりの凄さに、これはもう一度ちゃんと伝えなければ!と思った。すごいことは何回言ったっていいだろう。

  • 電話のかけ方が載っていた70年前の国語教科書

    1997年生まれ。大学院で教育学を勉強しつつ、チェーン店やテーマパーク、街の噂について書いてます。教育関係の記事についても書きたいと思っているが今まで書いてきた記事との接点が見つからなくて途方に暮れている。 前の記事:おいしさだけでは売らない〜「富士そば」にインタビューしました > 個人サイト Note それは70年前だった 今でこそ、国語の教科書を開くと、広告の作り方やインターネットの使い方など、読み物ではない内容が入っている。 いま使われている教科書。広告の見方などが入っている しかし、ラジオの聞き方や映画の見方が載っている教科書が出版されていたのは、なんと1950年代。70年ぐらい前だという。そんな昔にラジオや映画が載っていたと。ほんとうだろうか。 ほんとうです これは、その教科書の目次。 たしかに、「ラジオ」や「映画」、それに「放送」などという”国語っぽくないもの”が並んでいる。

    電話のかけ方が載っていた70年前の国語教科書
  • 高知空港の近くにたたずむ飛行機の格納庫を見に行った

    「掩体壕(えんたいごう)」という言葉をご存じだろうか。第二次世界大戦中に築かれた、飛行機を空襲から守るための格納庫である。 関東地方では東京都の調布飛行場や千葉県の香取飛行場跡、茂原飛行場跡などに現存しており、私は以前それらの掩体壕を巡る記事を書いた(参照記事→「飛行機用の防空壕、「掩体壕」のたたずまい」)。 掩体壕は関東地方のみならず全国各地の飛行場に築かれており、中でも高知空港の近くには計7基の掩体壕が残っているという。それらは現在どのような状態なのか、気になったので見に行った。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前

    高知空港の近くにたたずむ飛行機の格納庫を見に行った
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/12/25
    “収獲が終わった田畑の中に、不思議な形のコンクリートがポツンポツンと見えた これこそが、飛行機を空襲から守るための格納庫「掩体壕」である”
  • 道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる

    道路の方角は、隣り合う街どうしで微妙に違っていたりする。それが分かりやすいように道を方角によって塗り分けてみたところ、街の地形や歴史が見えて面白かった。 北海道、東京、京都、ニューヨークなどでやってみた。 今回、こんな地図を作った。 なんのこっちゃと思うが、拡大するとこうなっている。 道路を、その方角によって塗り分けたものだ。 右側の黄色いエリアは江東区。中央のカラフルなのは銀座とか日橋だ。街ごとに道の方角が少しづつ違うということが色によってとても分かりやすくなっている。銀座から日橋まで歩くと少しづつ道がカクッと曲がってるなーという感覚があるが、そういうこともまざまざと示されている。 こんなことできるかなと思ってやってみたらできて、結果も面白かったのでいろんな場所でやってみようというのが今回の趣旨です。 (記事の地図は OpenStreetMap のデータをもとに加工したものです。末

    道路を方角ごとに塗り分けると、その街のでき方がわかる
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/08/13
    “野球場が虹色になっているのがかわいい。道の角度に合わせて色相を回転させているのでこうなる。”
  • 福岡県の県名の由来となった岡山県の福岡へ

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:120年に一度?凶事の前兆?竹が開花し枯れた > 個人サイト オカモトラボ なぜか福岡県の県名は岡山県内に由来する 都道府県は47あるが、その都道府県の「県名」はそれぞれの土地に由来することがほとんどだ。 しかし福岡県の「福岡」は、他県の、岡山県内にある福岡という場所から付けられたそうだ。 その時は「へー」と思っただけだったが、改めて考えてみると不思議だ。なぜ県名を遠い場所の地名から付けたのか、空間がねじ曲がってつながっていたりするのか。 調べてみようと岡山県内で福岡という地名がある岡山県瀬戸内市(せとうちし)へと向かった。 岡山県の地図でいうと、だいたいこのへんだ。 瀬戸内市は岡山市の中心市街地からおよそ車で50分ほ

    福岡県の県名の由来となった岡山県の福岡へ
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/08/08
    “黒田長政は関ヶ原の戦いで徳川家康の味方について勝利をおさめた。その功績により筑前(現在の福岡県)五十二万石の大大名となる。 その5代目が、先祖が住んでいた土地、「福岡」の名前を義理堅く城につけた”
  • 石垣に注目して江戸城をみる会

    お城といえば、壮麗な天守閣やかっこいい櫓といった建物ばかり注目してしまいがちだが、その建物を支える石垣に注目して見るとどうだろうか? しかし、わたしたち素人がなんの予備知識もなくふらっと石垣を見に行ったとしても、なにがなにやらわからないことは必定。そこで、石垣に詳しい人と一緒に江戸城に行ってみたい。 江戸城とは? 江戸城は、現在、天皇の住まいとなっているため、皇居とも呼ばれるが、江戸時代までは徳川家の居城であり、江戸幕府の拠地だった。 ふつう、テレビなどのメディアで紹介されるばあい、皇居前広場から伏見櫓をのぞむ下の写真のような風景をさして「江戸城(皇居)二重橋前」とされることが多い。 江戸城(皇居)のイメージ、これですよね しかし、上の写真にうつっている手前の橋は、厳密にいうと『二重橋』ではない。ただしくは『正門石橋』と呼ばれる橋であり、真の『二重橋』はこの位置からだと正門石橋の奥に隠れ

    石垣に注目して江戸城をみる会
  • 日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろう?

    今回は日中世史が専門の研究者、谷口雄太さんと上町の近くに住むデイリーポータルZライターのべつやくれいさんと歩く。気の日史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろうか? ※元となった動画はこの記事の最後に。記事で大事なところを紹介するのでネタバレしたくない方は先に見てください。 左から審判の林雄司さん、日中世史の研究者谷口雄太さん、上町の近くに住むべつやくれいさん。谷口さんは大学講師としてもご活躍中の気の方 吉良家のお膝元上町駅を歩く 東急世田谷線上町駅からスタート。日史の先生と歩く!とはいえ地元知識のべつやくさんもだまってはいない。 べつやくさんから出た知識は「東急世田谷線の忘れ物センターは始点の三軒茶屋と終点の下高井戸にくわえてここ上町の3つ」というもの。渋すぎる地元知識でへぇゲット。 へぇ~と審判が言うとへぇ獲得 谷口さんに「中世っていつのことですか?」と聞くと「

    日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろう?
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/06/22
    それはともかくアマビエが歩いてる
  • 今こそ知りたい!ルイ15世

    法改正をめぐる論戦から話題となったフランスはブルボン王朝のルイ14世とルイ16世。私は知りたいと思った。間に挟まれたルイ15世の事を。 その私を待っていたのは「愛の井戸」だった。ピュイ・ダムール。 1975年神奈川県生まれ。毒ライター。 普段は会社勤めをして生計をたてている。 有毒生物や街歩きが好き。つまり商店街とかが有毒生物で埋め尽くされれば一番ユートピア度が高いのではないだろうか。 最近バレンチノ収集を始めました。(動画インタビュー) 前の記事:捨てられたタンスのシールを見る > 個人サイト バレンチノ・エスノグラフィー 新型コロナウィルスが世界をを席巻する中、国会は検察庁法改正案で揺れていた。 問題となったのは内閣の裁量によって検察官の定年延長を可能とするというもので、人事への介入による捜査への影響や司法の独立性の脆弱化を危惧した検察庁OBによって改正に反対する意見書が提出された。

    今こそ知りたい!ルイ15世
  • 幻の飲料「どりこの」を追う :: デイリーポータルZ

    「どりこの」という飲み物を御存じだろうか。 「御存じだろうか」なんて偉そうに言ってみたものの、じつは僕もよく知らない。なぜなら「どりこの」は何十年も前に製造が中止されているからだ。 ある日の新聞に“幻の飲料”「どりこの」を紹介するコラムがあった。「“どりこの”は昭和初期に爆発的にヒットし、一時は年間100万も売り上げていた」という記事だ。 “幻”と聞いて胸がむずむずした僕は、この「どりこの」について知りたくなり、調査を開始することにした。 (榎並 紀行) 図書館で「どりこの」情報をリサーチ 新聞記事によると「どりこの」は昭和初頭~昭和19年まで製造・販売されていたらしい。その時代の文献を探せば「どりこの」に関するヒントにめぐり合えるかもしれない。

    gogatsu26
    gogatsu26 2020/05/27
    “問題は中身である。何でも「どりこの」の製造に関しては、開発者の高橋博士(故人)が一手に担い、作り方を一切外部には洩らさなかったため、レシピがまったく残っていないという。”
  • 日本の便器史を「TOTOミュージアム」でふりかえる

    衛生陶器のリーディングカンパニー、TOTOの工場がある福岡県北九州市は、便器のふるさとといってもよい。 そんな便器のふるさとに、貴重な便器から最新のウォシュレットまでそろった水回り文化のミュージアムが存在する。 ※「TOTOミュージアム」は、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、2020年4月30日まで臨時休館しています。詳しくは公式サイトで確認してください。 再訪した TOTOが運営する企業博物館「TOTOミュージアム」は、2015年(平成27年)にオープンしたが、実はその前身であった「TOTO歴史資料館」の頃に、いちど訪問し、記事にしている。 が、以前とは展示内容もガラリとかわったということなので、見学させてもらうことにした。 これが……(2013年・TOTO歴史資料館) こうなった!(2019年・TOTOミュージアム) 以前の歴史資料館は、ビルの事務所スペースを改装し、資料館としてい

    日本の便器史を「TOTOミュージアム」でふりかえる
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/04/12
    ものすごくまっとうなレポートだった
  • 名画ぜんぶあります!徳島の大塚国際美術館で息をのむ

    行く先々で「うちの会社にはいないタイプだよね」と言われるが、人はそんなこともないと思っている。愛知県出身。むかない安藤。(動画インタビュー) 前の記事:夢は世界へ!尺八から難しいことを全部とっぱらいました > 個人サイト むかない安藤 Twitter 大塚国際美術館とは 大塚国際美術館は徳島県鳴門市にある大塚製薬が運営する美術館である。紅白歌合戦で米津玄師がここから中継をしたのを見た人も多いのではないか。実は僕もその時にこの美術館を知った。 大塚国際美術館は主に世界の名画の陶板複製画をしている。いま(なんだ複製か)と思った人は現地に行って実際に展示物を見て打ちのめされてほしい。僕が実際そうだったからだ。 今日はそのすごさをほんのちょっとだけ紹介したい。 入口からしてこんなだ。 美術館は山をくりぬいて作られており、展示フロアは地下3階、地上2階におよぶ。国立新美術館ができるまで国内最大だっ

    名画ぜんぶあります!徳島の大塚国際美術館で息をのむ
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/03/19
    “空の下で360度の睡蓮。この展示方法が正解なんじゃないかとすら思う。”
  • 足場は、すごく試されている。〜仮設足場マニアックス〜

    建設中の家やビルなどの施設を囲むように、ジャングルジムの親分のような巨大な鉄パイプの構造物がそびえている。 建築の作業用に作られる仮設の足場である。 現場での安全な作業をサポートしつつも建物が完成すると消えてしまうはかなき名脇役。その足跡をしっかりと刻む仮設足場の専門家に足場の深淵を聞いた。 1975年神奈川県生まれ。毒ライター。 普段は会社勤めをして生計をたてている。 有毒生物や街歩きが好き。つまり商店街とかが有毒生物で埋め尽くされれば一番ユートピア度が高いのではないだろうか。 最近バレンチノ収集を始めました。(動画インタビュー) 前の記事:1月11日は「いい飯寿司の日」標津町の「鮭飯寿司」にのめり込む > 個人サイト バレンチノ・エスノグラフィー 「足場の展示室」へ行く 足場の話を聞きに行くのはいい。いいんだけどなんでそんな事が実現したのかというと、「デイリーポータルZをはげます会」の

    足場は、すごく試されている。〜仮設足場マニアックス〜
    gogatsu26
    gogatsu26 2020/02/26
    “足場自体が資料に登場するのは鎌倉時代の絵巻です。松崎天神縁起絵巻といって1311年ごろの作品ですが、描かれているのは900年代の建築現場の様子です”
  • 家庭用印刷機「プリントゴッコ」の思い出エピソードを集めてみた

    島根県生まれ。毛糸を自在に操れる人になりたい。地元に戻ったり上京したりを繰り返してるため、一体どこにいるのか分からないと言われることが多い。プログラマーっぽい仕事業。(動画インタビュー) 前の記事:プリントゴッコに似てるというシルクスクリーン印刷を初体験してみた > 個人サイト それにつけてもおやつはきのこ 今回は「プリントゴッコ」の話をしよう 「シルクスクリーン印刷」と「プリントゴッコ」はどちらも細かい穴が空いたスクリーンの上にインクを乗せて印刷する仕組みだ。 まず「シルクスクリーン印刷」というのはこういうもの。 スクリーンの上にインクを置いて、ヘラを手前に引くと プリントされる! そして「プリントゴッコ」というのは家庭用印刷機だ。みんなに当たり前に通じる気でいたが、広く使われてたのって今から20年は前で、どうも知らないヤング世代が増えてきてるので説明が必要らしい。(ガーン!) 年末

    家庭用印刷機「プリントゴッコ」の思い出エピソードを集めてみた
  • 京都市伏見区で天下統一さんぽ

    京都市伏見区といえば、日酒の酒蔵や、伏見稲荷大社などで有名な町だけれど、我々のような地名好きにとってたまらない町でもある。 「武蔵」「長門」といった、旧国名のついた町名がたくさんあるのだ。 伏見区を一日中ぶらぶらして旧国名の地名を集めたら、天下統一できるかもしれない。 豊臣秀吉の城下町、伏見 伏見にやってきた。 伏見駅近くのアーケード 伏見桃山駅を出ると、アーケードの商店街がまっすぐ続いている。 日各地には、もはや息も絶え絶えといったアーケード商店街がたくさんあるなか、それなりの賑わいが感じられる。 今回は、旧国名の町名を探すのが目的だ。 街角にある住居表示の看板や街の掲示板など、旧国名の町名が書いてあるものを発見すれば、その国を盗ったということにして、最終的に、どこまで国盗りできるのか……というのが今回のさんぽの目的である。 そうこうするうちにさっそく町名を発見。 東大手町を発見 「

    京都市伏見区で天下統一さんぽ
  • 名画のロケ地に行ってみる

    風景から場所を推測するのが好きだ。趣味と言ってもいい。 CMや映画を見ていて背景に街が映ると、内容よりも場所が気になってしまう。次第に明らかになるヒントをもとに場所がだいたい特定できてくる感じが好きだ。 そういうのを絵画の世界でやっている人がいると聞いた。同好の士だ。話を聞いてみた。 山内崇嗣さんという美術家の人 絵画の風景のロケ地さがしをしている人こと、山内崇嗣(やまうちたかし)さんだ。油絵の個展を開いたりいろいろ受賞したりしている美術家でもある。 この日は、東京の代々木あたりで書かれたという絵の場所を見に行くため、代々木駅で集合した。山内さんが案内してくれるという。 その絵とは、これだ。 岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年 (出展:東京ステーションギャラリー「没後90年記念 岸田劉生展」図録 p.79) 大正時代の代々木を描いた絵だそうだ。いまの東京にはありそうもない、

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    gogatsu26 2019/09/26
    岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年 「冬の崖上の道」1915年
  • 靖国神社の鳥居の予備だった石が今もある島、北木島へ

    1984年生まれ岡山のど田舎在住。技術的な事を探求するのが趣味。お皿を作って売っていたりもする。思い付いた事はやってみないと気がすまない性格。(動画インタビュー) 前の記事:巨大な岩を素手で動かす「ゆるぎ岩」の話 > 個人サイト オカモトラボ 国内最大級の石製鳥居 2ヶ月ほど前、僕は靖国神社へ来ていた。ここ靖国神社には、石で作られたものとしては国内最大級の鳥居があるという。 九段下駅から靖国神社へ。写真の鳥居も大きいが石製じゃないのでさらに奥に進む。 境内を程なく歩くと、大村益次郎の像が現れる。 大村益次郎は幕末に活躍し日陸軍の礎を築いた人物である。そのためここに銅像が建てられている。NHK大河ドラマの西郷どんでの活躍も記憶に新しい。 大村益次郎の像の台座は白っぽい石で出来ている。 そして大村益次郎の横に視点を移すと、やはり白っぽい石で出来た大鳥居がある。 これこそが石で出来た鳥居として

    靖国神社の鳥居の予備だった石が今もある島、北木島へ
  • 明治の道だけを歩いて江ノ島を目指す

    「今昔マップ」というwebサービスがある。明治以降の古地図と現在の地図を並べて表示できるというもので、各時代における土地利用の変遷を知ることができる、とても面白く為になるサイトだ。 私は夜な夜な昔の地図と今の地図を見比べてニヤニヤしていたりするのだが、そんな折にふと思った。現在まで残る明治の道はどれだけあるのだろう。例えば歩いて一日ぐらい掛かる距離の目的地を設定し、そこまで昔の道だけを歩いて辿り着くことはできるのだろうか。 その疑問を解消すべく、私が住んでいる神奈川県の中央部から出発し、明治時代の地図に記されている道だけを辿って県南の江ノ島まで行くことができるのか、試してみた。 *この記事に使用している地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。 *「今昔マップ on the web」の地図は、国土地理院発行の5万分1地形図、

    明治の道だけを歩いて江ノ島を目指す
  • 教会じゃなく集落が世界遺産ってどういうこと?~長崎と天草の潜伏キリシタン集落を訪ねた

    もう間もなく「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産になる。2007年、暫定リスト(世界遺産の推薦候補一覧)に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(以下「長崎の教会群」)という名で記載されてから、実に10年以上にも及ぶ長い道のりであった。 今回、晴れて世界遺産になるのは、以前より世界遺産の候補とされていた長崎の教会群……ではなく、潜伏キリシタンの集落なのだという。それはいったいどういうことなのか、世界遺産になる「集落」を見に行った。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:琵琶湖疏水の船下り試乗会に参加し

    教会じゃなく集落が世界遺産ってどういうこと?~長崎と天草の潜伏キリシタン集落を訪ねた
  • 幕末っぽい写真で今を撮る

    何がしたかったのか?といえば、昔の技法で現代人を撮ってみたかった。その結果、主観だけども幕末と現代の存在感は前者が勝り、身に着けているものには時代錯誤のオーパーツ感が漂っている。それにしても不思議な感覚。撮った記憶は確かにあるのに、さも自分にこんなご先祖様がいたかのようにも思えてくる。 そんな湿板写真。今や写真はスマホでシュパパパパッと1秒で数枚撮れてしまう時代だが、この一枚に費やした時間は…なんと、4時間!今回はその制作過程を紹介したい。冒頭の写真も当初はオチにするつもりだったのだけど、過程を見せるためならいくらでもつかみに使おう。

    幕末っぽい写真で今を撮る
    gogatsu26
    gogatsu26 2018/05/23
    “瓶詰めされた卵白。 新鮮である必要はないので、当然めっちゃくせぇ。”