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批評に関するkaos2009のブックマーク (3)

  • NHK「日曜討論」の宇野常寛氏について(2012年7月15日放映): 批評職人~たのしい文芸評論~

    この若手の批評家の書いたものはまだ読んだことがないので、 テレビの印象だけのべてみたい。 まず冒頭、かれは、自分はふだんアニメなどの批評をしている者 であり、オタクと呼ばれる人びとの代表としてこの場に出演して いる旨の発言があった。 これは興味深い自己認識である。 自分が他人の意見を代弁し得るという強烈な自意識には驚かされた。 さらに、その後、郵政選挙のときには「刺客」候補に投票し、 参院選のときは「みんなの党」に投票したと述べたところから 推すと、どうも他人指向の傾向をほとんど確信犯的に肯定している ように見受けられる。 つまり、自意識は過剰にあるが、内面は希薄なのである。 ■ また、かれの主張はほとんど技術論の範疇に属するのではないか。 そのようなかれの民主主義論の背景には、 東浩紀の民主主義2・0(情報技術によって大衆の無意識の欲望を 可視化することで専門家の熟議を枠づける仕組み)が

  • 宮崎駿がヒロインに声優を使わなくなった理由 - きみにとどけてれぱしー

    その平成最大のミステリーは多くの人々によって語られているが、活発な議論に関わらず私たちが耳にする結論は二つのパターンに限られてしまう。一つは声優という職業を不当に貶めたもの。もう一つはビジネスの側面から論じたものだ。もちろん私たちは「ジブリ作品は実写に近いような動きのため、声優の声に違和感を感じる」と当にジブリ作品を見たことがあるのかさえ疑わしい公式見解を信じるほど従順でなければ「電通が―」とマーケティング目線でアニメを語る一派に与するほど愚かでもない。この退屈極まる二つの結論から逃れ得た答えこそが宮崎駿と声優を巡る言説を進展させる糸口になるだろう。 私はその答えを求め遠く八王子へ降り立った。この地で隠遁生活を送るR氏(元H氏)を訪ねるためだ。大学の奨学金制度を利用し声優ライブに通い詰めていた彼ならば新たな示唆を授けてくれるに違いない。一縷の望みを託しグッズの山に埋もれた廃墟をかき分けて

    宮崎駿がヒロインに声優を使わなくなった理由 - きみにとどけてれぱしー
    kaos2009
    kaos2009 2012/01/10
    洋画の吹き替えも声優の声だと妙に色っぽく感じるな
  • なぜステマ疑惑でここまで炎上が起きるのか - あままこのブログ

    [追記:2012/01/06 20:51] はてブで「長い」「わかりにくい」と不評なので、最初の大部分の読者にとってはどうでもいい部分を別記事にしました。 ランキングが無意味になる世界は、当に幸せか? 以前このような記事が自分の周りでちょこっと話題になりました。 「若者像」が存在した時代から、曖昧になった時代へ - yuhka-unoの日記 内容は、これまでは画一的な「若者文化」というものが存在していたけど、これからはそんな画一的な「若者」や、それに基づいた一元的なランキングは意味をなさなくなり、自分が「当に好きなもの」を追いかければそれでいい時代になったと。そしてそのような状況をこの記事の筆者は幸せであると主張している、といった内容です。 ただ、それに対して僕は、この記事の筆者の状況分析は確かに正しいだろうと思うわけですが、しかしそれが人々にとって「幸せ」であるかというと、ちょっと疑

    なぜステマ疑惑でここまで炎上が起きるのか - あままこのブログ
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