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日本史に関するkaos2009のブックマーク (2)

  • 平将門をめぐって - heuristic ways

    私が平将門に興味をもつようになったのは、5年くらい前に大岡昇平の『将門記』を読んで以来のことだが、最近、将門について、二つのことが気にかかっていた。 一つは、将門が天慶二年(九三九)、坂東八カ国を制圧したとき、「巫女が神がかりし、八幡神が菅原道真を通じて将門を「新皇」とする、という託宣を下した」(網野善彦『日社会の歴史(中)』)のはなぜかという問題であり、もう一つは、高橋富雄氏が『平泉の世紀』で指摘している「平将門と藤原清衡」、「坂東と奥州」の関係はどこまで根拠があるものなのかということだった。 図書館で川尻秋生『戦争の日史4 平将門の乱』というを借りてきて読んでみると、それなりに納得の行くところがあったので、ここでポイントを整理しておきたい。  その前にまず私が驚いたのは、当時の利根川や鬼怒川は現在とは流路が異なり、「そもそも、現在からは想像しにくいかもしれないが、当時の常陸(ひた

  • 日本中世初期の国際的背景 - heuristic ways

    中世史はわかりにくい。 郷和人氏が指摘している一一七〇年代の「平家政権と高麗の武人政権の類似」(『武士から王へ』)についてもっと知りたいと思って、いろいろ調べているが、日国内だけでもなかなか事実関係がややこしくて、どんどん深みにはまっていくわりには、どうにも「理解」が追いつかない。そんな感じで、このところ停滞している。もっと時間をかけてじっくり勉強していく必要があると感じている。 ただ、調べていくうちにふと気づいたのは、「平家政権と高麗の武人政権の類似」が特に注目に値するのはむしろ、それ以後の歴史が違っているからだということだった。 姜在彦(カン・ジェオン)氏は、『朝鮮儒教の二千年』の中で、こういうことを書いている。 (藤原一族の)摂関政治下における中央と武士団との関係は、高麗創業期における中央王権と地方豪族とのそれによく似ている。だとしたら高麗が地方割拠的な「旧臣宿将」を排除また

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