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歴史と批判に関するkaos2009のブックマーク (2)

  • 野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary

    今年の8月15日には「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という主張を維持していると発言していた野田新首相は、代表選勝利後の記者会見では「私は政府の立場なので(政府の)答弁書を踏まえて対応したい」と語った、とされています(時事の記事)。これは予想された対応です。吉田裕は1950年代の日で、戦争責任問題に関する「ダブルスタンダード」が成立したと指摘しています。 (……)対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で必要最小限度の戦争責任を認めることによってアメリカの同盟者としての地位を獲得する、しかし、国内においては戦争責任の問題を事実上、否定する、あるいは不問に付す、というように、対外的な姿勢と国内的な取り扱いを意識的にせよ無意識的にせよ、使い分けるような問題の処理の仕方がそれである。 (『日人の戦争観』、岩波現代文庫、91ページ) 冷戦の終結に代表されるような国際環境の変

    野田新首相は自らの主張に従うか? - Apeman’s diary
  • 日本「南京」学会という団体が何の注釈もなく記述されている件 - 法華狼の日記

    朝日新聞の熊地域情報において特集されている「軍都の風景」シリーズに、疑問符をつけたい記事があった。 中立的な報道を目指す朝日新聞の悪い面が出ているというべきか。双方の言い分を報じた内容自体は興味深いのだが。 http://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000001108170003 師団の関与 なお論争 古びた従軍手帳に、その一文は記されていた。 約三百補領ス 全部殺ス 書いたのは、陸軍第六師団の騎兵隊伍長だった牧野信人。日中戦争が始まって間もない1937年12月、国民党政府の首都だった南京攻略戦での記述だ。「捕虜300人を受け取り、全員殺した」と解釈できる。 39年5月、牧野は30歳で戦死。遺品の手帳は、故郷の山村(現・熊市植木町)に送られた。今は長男の久仁博(78)が風呂敷に包んで仏壇に納めている。 熊市を拠にしていた第六

    日本「南京」学会という団体が何の注釈もなく記述されている件 - 法華狼の日記
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