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女性初の国会議員の一人で、住民運動のリーダーとしても活動した佐藤きよ子さん=宝塚市=が、昨年10月下旬に亡くなっていたことが14日、関係者への取材で分かった。99歳だった。衆議院によると、戦後初の総選挙で選ばれた女性国会議員39人のうち、佐藤さんは最後の存命者だった。 佐藤さんは1919(大正8)年4月、大阪市で生まれた。喫茶店やアパートの経営などを経て、46年4月、女性参政権が認められた戦後初めての衆院選で、大阪府の選挙区から立候補。「食料の確保と1人3畳の住まい」を公約に掲げ、26歳で当選した。誕生した女性国会議員39人の中で最年少だった。 衆院では新憲法の審議に参加した。連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官にも面会し、「食べるものがなくて子どもたちが困っている」と食料援助を要請したという。 47年に落選した後は政界を離れ、49年に新聞社のカメラマンだった男性と結婚。西宮
新潟県中越地震が起きた際の旧山古志村の村長で、衆議院新潟5区選出の自民党の長島忠美衆議院議員が、18日夜、入院先の病院で亡くなりました。66歳でした。 そして平成17年の衆議院選挙で自民党から比例代表の北陸信越ブロックで立候補して初当選し、合わせて4期務める中で復興政務官や復興副大臣などを歴任しました。去年からは自民党新潟県連の会長も務めていました。 関係者によりますと、長島氏は、今月14日に体の不調を訴えたあと、長岡市内の病院で脳卒中と診断され入院していましたが、容体が悪化し、18日夜遅く、亡くなりました。66歳でした。 長島氏の死去に伴う衆議院新潟5区の補欠選挙は、10月10日告示、22日投開票の日程で行われる予定です。
鳩山由紀夫元首相は22日、弟の鳩山邦夫元総務相の死去を受け、コメントを発表した。由紀夫氏は、邦夫氏との最後の会話が東京都知事選(7月14日告示-31日投開票)への出馬打診だったことなどを明かし、「何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限り」と胸中をつづった。 コメントの全文は以下の通り。 ◇ 弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変に驚いております。3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。 2週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。 私たち兄弟は小中学の頃は小児ぜんそく持ちで、当時は運動が嫌いで、母が心配して
国会閉幕の1日、本会議で話題をさらったのが、自民党の鳩山邦夫元総務相(67)の“激ヤセ”っぷりだ。久しぶりに姿を見た同僚は、あまりの痩せ方にビックリしたという。さる政界関係者はこう言う。 「5月初旬に会った時、すでにゲッソリと痩せ、人相まで変わっていてギョッとしました。それ以降は会うたびに痩せ細っている。5月31日に行われたパーティーでのスピーチは、声はハッキリしていたものの、顔色が妙に黒く、足元もどこかおぼつかない。スーツがダブダブで、頭も丸刈り状態だったから、『薬の副作用か』『いや、がんではないか』『あの痩せ方は糖尿病が悪化したのだろう』と関係者はみな、ビックリしていましたよ」 本人は1日の衆院本会議にも出席しているから、“重病”ではないのだろうが、なぜ急に痩せてしまったのか。鳩山事務所に問い合わせると、秘書がこう説明した。 「病気? そんなことはありません。本人は元気ですよ。ただ、こ
総務大臣や法務大臣などを歴任した自民党の鳩山邦夫衆議院議員が、東京都内の病院で亡くなりました。67歳でした。 田中角栄元総理大臣の秘書を経て、昭和51年の衆議院選挙に旧東京8区から立候補し初当選しました。 宮沢内閣で文部大臣として初入閣したあと、平成5年に自民党を離党し、旧新進党を経て、平成8年には兄の鳩山由紀夫元総理大臣らと旧民主党の結党に参加し、副代表も務めました。 その後、平成12年に自民党に復党してからは、衆議院議院運営委員長や法務大臣、総務大臣などを歴任しました。 鳩山氏は、自民党内でみずからが会長を務める派閥横断の議員グループを作るなどして活動を続けていましたが、体調を崩し、入院していた東京都内の病院で亡くなりました。
女性として初めて衆議院議長を務めた、社民党の元党首の土井たか子氏が死去しました。 85歳でした。 土井氏は昭和3年、神戸市に生まれ、大学で憲法学の講師を務めたあと、昭和44年の衆議院選挙に旧兵庫2区で旧社会党から立候補して初当選し、連続12回当選しました。 この間、土井氏は昭和61年に旧社会党の委員長に就任し、平成元年の参議院選挙では「ダメなものはダメ」ということばで「反消費税」を掲げ「マドンナ旋風」「おたかさんブーム」を巻き起こし、自民党を過半数割れに追い込みました。 このときの与野党逆転について、土井氏は「山が動いた」という名文句を残しました。 翌平成2年の衆議院選挙でも「土井ブーム」は続き、旧社会党は議席を大幅に増やしましたが、続く平成3年の統一地方選挙で惨敗した責任を取って、土井氏は党の委員長を辞任しました。 また、平成5年に非自民連立政権の細川内閣が発足すると、女性としては憲政史
結いの党の藤巻幸夫参議院議員が15日、都内の病院で、大動脈破裂のため亡くなりました。54歳でした。 藤巻氏は「カリスマバイヤー」として活躍したほか、テレビ番組のコメンテーターとしても知られました。その後、2010年の参議院選挙にみんなの党から出馬し、2012年に繰り上げ当選していました。去年の暮れには、みんなの党の分裂騒動で結いの党に参加しましたが、その直後にすい炎を患い、入院していました。藤巻氏の死去により、みんなの党の田中茂氏が繰り上げ当選する見込みです。
松下忠洋郵政民営化・金融担当大臣(73)が、10日午後5時前、東京・江東区の自宅で倒れているのが見つかり亡くなったことが分かり、警視庁は、死因や当時の状況などについて詳しく調べています。 警視庁によりますと、10日午後5時前、松下忠洋郵政民営化・金融担当大臣(73)の東京・江東区東雲の自宅のマンションで倒れているという通報が消防にありました。 松下大臣は病院に運ばれましたが、亡くなったことが確認されました。 警視庁は、死因や詳しい状況などについて調べています。 松下大臣は衆議院鹿児島3区選出の当選5回で、73歳。 旧建設省を経て平成5年の衆議院選挙に自民党から立候補して初当選しました。 郵政民営化の是非が争点となった前々回、平成17年の衆議院選挙では、郵政民営化に反対して、無所属で立候補しましたが落選し、前回の衆議院選挙で、国民新党から立候補し、復帰を果たしました。
「政界の暴れん坊」の異名をとった元衆院議員の浜田幸一(はまだ・こういち)さんが死去したことが5日、分かった。83歳だった。 26歳で千葉県富津町(現富津市)議に初当選。県議を経て、41歳の時、旧千葉3区から衆院議員に。自民党副幹事長や衆院予算委員長を歴任、当選は7回を数えたが、「ハマコー節」といわれる歯に衣着せぬ物言いで、たびたび物議をかもした。1980年には、ロッキード事件がらみの裁判で検察が、米ラスベガスでのとばくで150万ドル(当時のレートで4億6千万円)を負け、返済の一部にロッキード社からの資金が使われたと指摘、議員辞職に追い込まれた。83年に返り咲いた後も、予算委員長の立場で、共産党の宮本顕治議長(当時)を「殺人者」と呼び国会が混乱、委員長を辞任した。 その後、テレビのバラエティー番組などに出演していたが、2010年8月、借金の担保として差し出した有価証券を無断で売却したなど
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