8月半ば、漫画家・中沢啓治氏(故人)の代表作『はだしのゲン』が、昨年末から松江市立小中学校の図書館で「閉架」(オープンな書棚に並べず、自由に閲覧できない)の状態にあることが一斉に報じられた。市の教育委員会が閲覧制限を求めたのに応えた措置とのことだ。 学校附設のものながら、公共の図書館が外圧によって蔵書の扱いを変えた。こうした「事件」が起こるたびに、「図書館」というものの機能と役割について考えさせられる。 図書館はあらゆる外圧からの独立を守られるべきである。これが、記者の立場だ。今回の事件を、日本社会の右傾化を象徴する出来事として捉える向きが多い。だが、今回の圧力が、たまたま、どちらかと言えば政治的に「右」に位置する立場からのものだっただけだ。公共図書館は、政治的な立場の左右にかかわらず、常にこうした外圧にさらされて来た。 例えば、2001年、政治的にはまるで「逆」の事件が起こっている。千葉
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は27日、松江市教育委員会による漫画「はだしのゲン」の閲覧制限撤回に関連し、社説で「撤回」を求めた朝日新聞と毎日新聞を名指しし、「メディアが騒いで教委の決定を覆した。教委の独立性を完全に脅かした。独立性はいらないと言ったに等しい」と批判した。市役所で記者団に語った。 教委側に対しても「だらしない。独立性を自ら放棄したようなもの。判断に自信があるなら、朝日新聞や毎日新聞に言われようが、『教育的判断だ』といえばいい」と苦言を呈した。教委の独立性に関する自らの見解については「完全独立性はよくない。民意をある程度反映させなければならない」と述べた。【「はだしのゲン」閲覧制限撤回】 賛否渦巻く 「反天皇」記述に指導要領違反の指摘も
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