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評論と押井守に関するono_matopeのブックマーク (1)

  • 押井守の都市へのフェティシズム - このページを読む者に永遠の呪いあれ

    押井守や大島渚は世間的に「鬼才」という異名で呼ばれることが多い。しかし、彼らのどの部分がどう「鬼才」であり、何を根拠に「鬼才」と呼ぶのか。 わが道を行く制作姿勢はたたえるべきだし、作品それ自体の独自性、独創性は抜きん出てるしすごいことは分かる。すごいことは分かるが、その魅力の根源が作品のどこに秘められているのか、それを語ろうとしたとき上手い言葉が出てこない。 であるから、その語りにくさも含めてひとくくりに「鬼才」という言葉で片付けられてきた作家でもある。 さて鬼才の代表選手・押井守である。 最初にここで採用する評論スタイルを書いておく。今はひよって見る影もない蓮實重彦だが、自分は彼にものすごく影響を受けている。特に彼の映画批評や文芸批評にはものすごく感化された。 そして、彼ら=鬼才と呼ばれる作家を解体する時に、蓮見の表層批評はとても役に立つ。今では表層批評は一世代前の古い批評のように思われ

    押井守の都市へのフェティシズム - このページを読む者に永遠の呪いあれ
    ono_matope
    ono_matope 2006/06/20
    なるほど。ソバ師の観方の参考に。
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