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宮崎駿に関するono_matopeのブックマーク (19)

  • 『150 「天空の城ラピュタ」 (2) 止まってしまったパズーが再び、動き出したとき・・』

    この映画、いまでこそ、 TVで何度も放映していて 好きな人もたくさんいる作品だが 公開当時は、 一部の人たちに ちょっとした失望感を与えた。 一部の人たちというのは、 僕のような「未来少年コナン」ファンである。 漫画活劇、宮崎冒険アニメ・・ということで、 やはり コナンを期待したのは 無理からぬことでした。 しかし この映画の主人公、パズーは明らかに コナンとは違っていた。 この映画でパズーは、 シーターがさらわれた後、 なんと、家に戻ってきてしまったのだ・・ それも 金を貰って!! それは 冒険活劇の少年にあるまじき行為であり、 恥ずべき行為であると言ってもいい。 もし コナンであれば、絶対に家になんて帰ってこない。 飛行船にしがみついてでも 救いに行くだろう。 しかし パズーはそうしなかった。 貰った金も 捨てられなかった。 宮崎監督は、 パズーをリアルにしたかった。 現実の少年にした

    『150 「天空の城ラピュタ」 (2) 止まってしまったパズーが再び、動き出したとき・・』
  • 宮崎駿監督の「100年インタビュー」が地上波に登場します。 - スタジオジブリ|STUDIO GHIBLI

    宮崎駿監督の「100年インタビュー」が地上波に登場します。 2009.02.03 NHK BS-hiで放映された宮崎駿監督の「100年インタビュー」がいよいよ地上波でも放送されます。 60分の短縮バージョンですが、是非、ご覧下さい。 放送日時: 2月14日(土) 午後15:45~16:45 放送局:  NHK総合 番組名:  「100年インタビュー」 出演:   宮崎駿

  • 宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言

    外国特派員協会(FCCJ)で記者会見する宮崎駿(Hayao Miyazaki)監督(2008年11月20日撮影)。(c)AFP/Kazuhiro NOGI 【11月20日 AFP】(一部更新)アニメ映画監督の大家、宮崎駿(Hayao Miyazaki)氏(67)が20日に行われた記者会見で、麻生太郎(Taro Aso)首相が度々自らの漫画好きを強調することに苦言を呈した。 保守派のベテラン政治家である麻生首相はイメージを和らげようと機会のあるごとに「オタク文化を理解する人物として自分を打ち出している。 しかし、都内の日外国特派員協会(FCCJ)で行われた記者会見で、麻生氏がアニメ好きだと大々的に公言していることについてどう考えるかと聞かれた宮崎氏は、「恥ずかしいと思う。それはこっそりやればいいことです」と述べ、熱心に漫画を読んでいることを首相が宣伝する必要はないという考えを示した。

    宮崎駿監督、麻生首相の自称「漫画好き」に苦言
    ono_matope
    ono_matope 2008/11/21
    まあこの人ならこういうでしょ。
  • 宮崎駿が語った 「不遇時代乗り切り方」

    今回の「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、未公開トークスペシャルの第8弾。スタジオジブリ・宮崎駿監督、落語家・柳家小三治、日本代表競泳コーチ・平井伯昌の3人のスタジオトークの中から、放送されなかった部分が放送された。 その中で面白かったのは、宮崎駿が語った「不遇の時代の乗り切り方」。 「つまらない仕事で人に認められることですよ。つまらない仕事でも自分のアイデアをふんだんにつぎ込んで。僕よく言われました。そんなにアイデア出してたら枯れちゃうよ、って」。 これは耳が痛い。たしかに、誰かから頼まれた重要じゃない仕事には手を抜くことがある。すごくいい考えやアイデアが頭にあっても、自分が乗り気じゃないから、それを隠してしまう。 「(どんな小さな仕事でも)楽しみながらやりました。とんでもない失敗も何度もやりましたけど。知らん顔して(笑)。何度でもスタートは切れるし、運命が決まっているなんて嘘だと思い

    宮崎駿が語った 「不遇時代乗り切り方」
    ono_matope
    ono_matope 2008/11/19
    『自分の自我を満足させる映画を作っちゃダメですね』天たまのことかー!
  • 唯我独尊 〜宮崎駿と後継〜 - むぎメモ

    Life is Beautiful 映画「ゲド戦記」を見てあらためて認識した宮崎駿のすごさ 「ゲド戦記」を見てあらためて認識したのは、宮崎駿が作る「世界観」の説得力のすごさ。 これは全面的に同意。 凄い人は世界を創ることができ、尚且つ人にそれを見せる力もある。 ナウシカ、ラピュタ、トトロ・・・と多くの作品は全て、見た後にはその世界に居たことを感じれる。 ちなみに私はラピュタが一番好きです。 他のも物凄く好きだけど、ラピュタ・ナウシカ・もののけあたりは それぞれ50回以上は見てると思う。 ラピュタは三桁に届いているかもしれない。 ゲド戦記は映画館で見たけど、駄作ではなく佳作という感じだった。 ただ一回しか見てないのでまた見てみたいとは思っているが・・・。 で、宮崎駿の話に戻る。 宮崎駿がゲド戦記なる作品を愛しているのはもう周知のことになっているが ゲド戦記が公開された前後に見た 岡田斗司夫の

    唯我独尊 〜宮崎駿と後継〜 - むぎメモ
    ono_matope
    ono_matope 2007/09/19
    『「希望を持って生きねばならぬ、という価値観は捨てた方がいいし本当はこの世は生きるに値しない。でも子供に向かってそんなことは言えないので『とりあえず生きてみて下さい』と言うのが私の本音です」 』
  • 幻視球 : 「監督土下座」を予感させるパーソナリティ

    下の画像は、『ComicBox』Vol.11、「ナウシカ回想録」で披露された『風の谷のナウシカ』制作エピソードの一部。 回想しているのは、巨神兵の作画を担当した庵野秀明氏。「時々、机の上に宮崎(駿)さんの伝言がいろいろと置いてあり、たのしかったです。」と、冗談交じりに思い出が語られている。 その再現イラストの中に、興味深い絵が一枚。スケジュールが破綻し、線撮の映像がスクリーンに投影された劇場。呆然と立ち尽くす庵野氏の脇で、観客に土下座する宮崎駿監督の図。 実際には、『風の谷のナウシカ』は無事完成した訳ですが…、この既視感は一体何なんだろう(笑)? トラックバックURI:http://xn--owt429bnip.net/2007/06/dogeza.php/trackback コメント (このコメント欄の RSS フィード) そういや、高畑さんの「火垂るの墓」の公開時に色塗りが間に合

  • YouTube - Broadcast Yourself

    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

  • - エキサイトニュース

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    ono_matope 2007/03/21
    『オレの領域に土足で入ってきたのは嫌みだろうか、きっと吾朗が5歳のときに、自分が仕事にかまけていたのがいけなかったんだ。』ひどいww
  • http://www.sanspo.com/geino/top/gt200703/gt2007032002.html

    ono_matope
    ono_matope 2007/03/21
    『吾朗氏も自分がモデルになり、照れている様子だ。』和むw/27日の『プロフェッショナル』は必見
  • http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2007/03/20/03.html

    ono_matope
    ono_matope 2007/03/21
    『ゲド戦記』、親父の心には届いたようで、良かった。(当たり前だけど)当時のコメント『素直な作品』が本音だった事が裏付けられた。
  • http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070319i414.htm

    ono_matope
    ono_matope 2007/03/20
    宮崎駿の高畑勲化が進行してる気がする…/駿版『老人と海』?
  • 宮崎アニメはどこへいった?――ハウルの動く城を見て - umeten's blog

    『ハウルの動く城』を観た。 久しぶりに映画を見に行った。そして気がつけばそれは、寅さん亡き後の国民的映画となった、宮崎アニメだった。*1 主人公ハウルの声優がなんと、キムタクだというキャストが伝えられた当初は、心配を通り越して不安と失望にさいなまれ、もし余程であれば、わざわざ映画館に足を運ぶことはあるまいとまで思っていたが、予想に反して、「それほど酷くはない」「許容範囲だ」という声がまま聞こえたため、それならばということで見に行ったのだった。 そして、いざ劇が始まってみれば、なるほどそうまで気になる演技ではない。もちろん、力は露ほども感じられないが、「邪魔にならない程度」の「下手な役者レベル」として耐えうる、そう耐えうる、看過しうる演技だった。 とはいえ、それもキムタク人がどうというよりも、ハウルの性格、行動によるところが大きい。 「心をなくした魔法使い」ということで、感情の起伏も少なく

    宮崎アニメはどこへいった?――ハウルの動く城を見て - umeten's blog
    ono_matope
    ono_matope 2006/08/07
    同意同意。あれは宮崎さんの遺作なのかなあ。
  • 「耳をすませば」とは誰に対する「耳をすませば」なのか

    『耳をすませば』の脚を書かれた宮崎駿さんは子供の頃、第二次世界大戦中に疎開先で空襲を受けたことがあったそうです。 その際、宮崎さんの家族がトラックに乗って避難しようとしたところに、知人の親子が「一緒に乗せて行って欲しい」と頼みにきたそうなのですが、宮崎さんの家族はその同乗を断ってそのまま避難してしまい、その後、宮崎さんはその親子と二度と再び会うことができなかったそうです。 その出来事を踏まえたうえで『耳をすませば』の登場人物の言葉や行動、画面に映っている物などの一つ一つの意味を追っていくと、宮崎駿さんの怨念や悔恨の情が込められている映画だという事がわかります。 まず、玄関に豚の置物(=宮崎駿)がある店のオーナー・西司郎と彼が大切にしている人形・男爵が、戦争中にそれぞれ恋人と外国(=疎開先)で離れ離れになり、何十年もずっと会えずにいるということが、その出来事そのものを指しています。 ま

    ono_matope
    ono_matope 2006/08/06
    映画の深層。
  • http://d.hatena.ne.jp/Sentinel/20060731

    ono_matope
    ono_matope 2006/08/01
    是非宮崎分析が読みたい。/『物語の世界に安住していたのでは決して獲得は望めない新しい認識に観客を誘い込むという極めて現代的な方法意識をもった作家なのである。』
  • 宮崎駿監督 次回作に着手(7/30) | アニメ!アニメ!

    宮崎駿監督 次回作に着手(7/30) | アニメ!アニメ!
    ono_matope
    ono_matope 2006/07/31
    駿、まだ闘う。
  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060729-00000021-san-soci

    ono_matope
    ono_matope 2006/07/29
    そらそうだ。
  • 電源を入れてください~都市ノォト~ 押井ルパン

    (お流れになった)押井版ルパン3世(劇場)の制作開始を前に開かれた座談会 押井守×宮崎駿×大塚康生 鼎談 「監督・押井守」決定の経緯 AM 「ルパン」の監督に押井さんを推薦したのは宮崎さんだという風に聞いているのですが,まずそのへんの事情から 宮崎「カリオストロが終わった時点で,「もうルパンはいいや」と僕自身は結論を出してしまった。その理由は,僕自身が中年になっていくに従ってルパンもちゃんと中年になっていく。なんかこのままやっていくと,ルパンは初老になってしまうんじゃないかと思って(笑)。それと,いまもしルパンをやるとしたら,泥棒は簡単には出来ないだろうなって気がしたんです」 AM というと? 宮崎「日常の中に田中角栄に代表されるような小悪党ならいっぱいいるし,サラ金に行ってガソリンに火をつけるといったことが日常的におこるようになっちゃったでしょう。だからルパンのやることが夢物語でなくなっ

    ono_matope
    ono_matope 2006/07/25
    押井守版ルパン制作前の対談。半分読んだ。
  • 第百十二回 宮崎駿監督の感想 - 映画『ゲド戦記』監督日誌

    先週の土曜日、 関係者の打ち上げパーティーがありました。 挨拶のために壇上に上がり、 ずらっと居並んだ大勢の方の顔を見たとき それまで考えていた挨拶の言葉をすっかり忘れてしまい 上手に挨拶することができませんでした。 こんなにたくさんの人たちに支えられて 映画が生まれたのだと思うと、 当に嬉しく、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 映画「ゲド戦記」のために力を尽くしてくださった皆さん、 皆さんの名前をお一人ずつここで挙げることはできませんが、 当に、当にありがとうございました。 そして、パーティーの最中、色指定の保田さんが、 宮崎駿監督からの伝言を伝えてくださいました。 「素直な作り方で、よかった」 という、とても短い言葉でしたが、 思わず涙が出そうになりました。 今までいろいろなことを言ってきましたが、 父からのその言葉は、何よりも嬉しいものでしたし、 この先も頑張ろうという 前

    ono_matope
    ono_matope 2006/07/03
    『「素直な作り方で、よかった」という、とても短い言葉でしたが、思わず涙が出そうになりました。』/この光景は美しいな。
  • 宮崎駿雄のパース感

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