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芸能に関するgogatsu26のブックマーク (1,002)

  • 五木ひろしの光と影<26>「ナベプロ帝国」支配者・渡辺晋はなぜ賞レースに消極的だったのか|芸能界と格闘技界 その深淵

    ジャズグループ「シックスジョーズ」のバンマスにして名うてのベーシストとして、大学生のダンスパーティーや米軍キャンプで演奏していた渡辺晋が、旧来の芸能興行から脱皮し、芸能プロダクションの近代化を目指そうと、の美佐と渡辺プロダクションを設立したのは1955年のことである。以降、ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ、ザ・ドリフターズら人気グループを擁し、中尾ミエ、梓みちよ、沢田研二、布施明、森進一、キャンディーズら数え切れないだけのスターを抱えた。さらには楽曲の原盤権を保有することで音楽ビジネスに乗り出し、番組制作にも乗り出すことで次々とテレビ番組を生み出すなど、「ナベプロ帝国」と畏怖される芸能界の最大勢力となりおおせたのは周知のことである。 ただし、帝国の支配者である渡辺晋は、かねて「賞レース」への参戦には消極的だった。「黎明期からテレビに関わってきた晋さんにとっては、そのテレビが生み

    五木ひろしの光と影<26>「ナベプロ帝国」支配者・渡辺晋はなぜ賞レースに消極的だったのか|芸能界と格闘技界 その深淵
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/12/19
    “細田昌志”
  • ちゃわん@労働廃絶論(ボブ・ブラック)を広めたい on Twitter: "週プレに載ってた、伯山と勘九郎の対談 勘九郎がガチの市井ヲタで噴いたww https://t.co/L3l4UuDYGL"

  • 【ライブレポート】氷川きよし、洋装も和装も着こなし熱唱した21回目の「きよしこの夜」(写真5枚)

    煌びやかな白のロングジャケットで登場した氷川はファンに向かって、「デビュー2年目の2001年から毎年、年末に『きよしこの夜』をこの東京国際フォーラムで開催させていただいています。あっという間に21回目です。2日間4公演ですが、私も生身の人間ですので、年齢を感じるようになってきました(笑)。でも、全力で氷川きよしが精いっぱいがんばることで、今日お越しのどなたか1人でもいいから『明日からがんばって生きていこう』と励ますことができたらうれしく思います」と挨拶。そして3月リリースのシングル「南風」、12月22日にリリースされる氷川初のCDボックス「旅うたスペシャルBOX」より「松山空港」「風の津和野」を披露した。 シックな黒の燕尾服に着替えた氷川が歌唱したのは、アコースティックなアレンジの「母」「星空の秋子」「きよしのズンドコ節」。さらに紺の紋付袴姿で初期の作品から「白雲の城」「大井追っかけ音次郎

    【ライブレポート】氷川きよし、洋装も和装も着こなし熱唱した21回目の「きよしこの夜」(写真5枚)
  • ホームラン (お笑いコンビ) - Wikipedia

    勘太郎(かんたろう、1955年11月7日 - 2021年9月18日[3][4])広島県安芸郡府中町出身、千葉県浦安市に住んだ。名:岡善陽。出囃子は「ホームラン音頭」。 背が長い方、ツッコミ。トランペット演奏が特技。マオカラーのジャケットをよく着用していた。サッカーが得意で、春風亭正朝、古今亭志ん彌らと共にプレーしていた。 2021年9月18日0時、心不全のため、千葉県内の病院で死去[3][4][5][6]。65歳没。 訃報は、密葬に参列したおぼん(同じ事務所所属でもある)が9月21日にツイートしたことで明らかになった[7]。落語協会・漫才協会は翌日に公表。 主な出演[編集] テレビ・ラジオ お笑いスター誕生!!(日テレビ、コント21世紀名義) 伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド(文化放送) 真打ち競演(NHKラジオ第1放送) ラジオ寄席(TBSラジオ) 2021年10月17日放送分では、勘

  • スターとファン 写真でつないだ100年 東京・浅草「プロマイド」のマルベル堂、ファン見つめるカメラ目線貫く 武田仁  - 日本経済新聞

    映画スターやアイドルが、私を見つめてほほ笑んでくれる――。東京・浅草に店を構える「マルベル堂」は独特の「プロマイド」を撮影・販売し続け、今年で創業100年を迎えた。店長兼6代目カメラマンの私は、スターとファンをつなぐ写真を撮り続けている。創業者は三ツ澤実四郎なる人物。洋店を営んでいたが、不振を補うため自らが収集した外国映画の俳優の写真などを販売し始めた。自前での撮影第1号は女優の栗島すみ子。

    スターとファン 写真でつないだ100年 東京・浅草「プロマイド」のマルベル堂、ファン見つめるカメラ目線貫く 武田仁  - 日本経済新聞
  • サエキけんぞう on Twitter: "HIDEさんが働いていたのは、ジャガーさんの工場だったらしいです。八幡の東の町、鬼越に80年代あり、看板を作っていたらしいです。 https://t.co/k5tXxyB78O"

  • あのポカスカジャンがにぎわい座に帰ってきた!「第11回ポカスカ寄席~ポカスカ忠臣蔵」ゲストは春風亭昇太

  • 講談『荒大名の茶の湯』あらすじ

  • 大倉利晴 - Wikipedia

    大倉 利晴(おおくら としはる、1956年1月31日 - )は、日の放送作家。 かつては萩欽一の座付き作家として萩企画に所属していた。作家活動の他、ラジオパーソナリティなどタレント的な活動も行っている。 来歴・人物[1][編集] 長野県伊那市の出身。萩企画の「ギャグ作家募集」の募集広告を雑誌で見て応募、面接などを経て合格、萩家に住み込みの上で作家としての第一歩を踏む。しかし実際は萩を送り迎えする運転手としての毎日が続き、何度か「辞めたい」と思ってその旨を直々に申し出たこともあったが、その度に萩に一晩かかって説得された上思い留まるということを繰り返した。およそ1年半後にニッポン放送で構成の仕事を持つようになり、格的に放送作家としての活動をスタートさせる。鶴間政行、君塚良一と共に作家集団『サラダ党』の一員であった。 甲高い質の声が特徴的でもあり、作家として裏方的な活動だけではな

    gogatsu26
    gogatsu26 2021/11/19
    “『明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送』で共演、以後『オレたちひょうきん族』などさんま出演の番組の構成を務め、また同じラジオでは『明石家さんまのおしゃべりツバメ返し』(TBSラジオ)”
  • 雨宮祐介マネージャーの事 - カメラぐらし

    ブランケット君、今年9月28日コンサート会場で 田原俊彦イベント会場に行くと、いつも隣に付き添っている男性がいます。 この人どんなに遠くからでもよく目立つ笑顔なんです。 白い歯を見せていっつも笑っていて、体はごついんだけど性格が柔和でとても やさしそうに見えます。 この男性、雨宮祐介さんと言って田原俊彦のマネージャーさんです。 ファンからはYマネと呼ばれています。 紆余曲折のあった田原俊彦に同じマネージャさんがずーっと永年ついているって よくよくの事に違いない・・・と思ってた私はこの記事で納得です。 25・7・6、朝日新聞の記事の一部から 98年夏。37歳になった田原と初めて会った日のことを、雨宮祐介は覚えている。 東京・渋谷の事務所で「よろしく」と、田原は右手を差し出した。 威圧的な空気をまとい、笑顔はなかった。 雨宮はおずおずと右手で応えた。 前任者が急に退職し、新しいマネージャーを探

    雨宮祐介マネージャーの事 - カメラぐらし
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/11/19
    “この男性、雨宮祐介さんと言って田原俊彦のマネージャーさんです。ファンからはYマネと呼ばれています。”
  • 麻美ゆまのあなたに会いたい! | 日刊大衆

  • 島倉千代子「細木数子に搾取された“16億円返済”の地獄半生」 | アサ芸プラス

    11月8日、歌手・島倉千代子(享年75)が肝臓ガンで死去した。島倉といえば、演歌の王道を歩むように、その生き様は苦労の連続だった。中でも、莫大な借金返済で味わった地獄は理不尽極まりなかったようで──。 島倉は、男を信じて手形の保証人となったせいで莫大な借金を背負わされた。90年には完済したと報じられたが、借金問題は彼女を悩ませ続けたものだ。 05年に出版された著書「島倉家 これが私の遺言」(文芸社)でも借金について触れているが、当時の出版記念会見を取材した芸能記者が語る。 「島倉は目に涙を浮かべて、『法律が許してくれるならばこの手で刺したい』と、名前こそ明かしませんでしたが、借金を自分に背負わせた相手に対する恨み節を口にしました。すぐにベテラン記者からは、細木数子(75)の名が指摘されていた。一方、著書では細木の“ほ”の字も出てきませんでしたが、それは細木を恐れていたからでは‥‥」 島倉と

    島倉千代子「細木数子に搾取された“16億円返済”の地獄半生」 | アサ芸プラス
  • https://twitter.com/ysmkwa/status/1458417352958087172

  • 熊谷真実のまみちゃんねる

    女優熊谷真実の公式Youtubeチャンネル「まみちゃんねる」です。

    熊谷真実のまみちゃんねる
  • 玉川善治 - Wikipedia

    玉川 善治(たまがわ よしはる、1946年12月16日[1] - 2010年6月11日[2][3])は芸能プロモーター、作詞家。お笑い芸人専門の芸能事務所『プロダクション人力舎』の設立者で前代表取締役社長。 来歴[編集] 青森県三戸郡南部町(旧名川町)[4]の農家に生まれる。中学を卒業後、集団就職で1961年4月に上京。自動車部品を作る会社で3年ほど勤めた後に、バーテンダーや看板描きなど職を転々とする。ベッドの訪問販売をしていた19歳のときに、セールスマン仲間の顧客に芸能事務所の社長がおり、芸能人のマネージャーをやらないかと誘われ、業界に入る[1]。1977年、プロダクション人力舎を設立。 2010年6月11日、くも膜下出血の為、東京都中野区の自宅で死去。 人物[編集] プロダクション人力舎所属のお笑い芸人11組で構成されるユニット「ビジトジ」は玉川が作詞家としてデビューするために、組まれ

    gogatsu26
    gogatsu26 2021/11/01
    “芸能事務所『プロダクション人力舎』の設立者”
  • 第10回『そして三波伸介』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

    「ブログ圧巻ですね」の声しきり。「何でいきなりこの年令で始めたんですか」の質問がサンタク(沢山)。この節 私の友達、同世代の連中が次々死んじゃうんだよネ。前にも書いたけど私の仕事ってのは「送り放し」、放送したらそれで終わりという宿命だから、なにか記しておかないと・・・。親せきも親も皆 出版社をやっていたという血がそうさせるのか文字で残しておかないと・・・と思い、親せき中が出版関係なのに私1人が放送界へすすんだので浮いてはいた。『ラジオビバリー昼ズ』が始まってからのここ33年間なんて誰ひとり記録も記憶もしてないでしょ。今書き進めてるのは そのもっと前の放送界の話だから自分で記しておかなかければ大衆芸能・放送文化のあれこれなぞ誰も気にも留めない。誰もほめちゃくれない。消えてった小さな番組、小さなタレントほどメモっておくと後日、これが大変な役・・・にも立たない。何故 書き記しているのか「未練の断

    第10回『そして三波伸介』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/10/31
    “80年代にBIG3(たけし・タモリ・さんま)がブラウン管に登場する前、70年代は間違いなく3大座長がTVの中に居た。・・・ それが「三波伸介」「萩本欽一」「(ドリフの)いかりや長介」である。”
  • 井上順 - Wikipedia

    井上 順(いのうえ じゅん、名同じ、1947年2月21日 - )は、日のタレント、歌手、俳優、コメディアン。東京都渋谷区生まれ・在住[1]。一時は井上 順之(いのうえ じゅんじ)の芸名も使用していた[2]。身長171センチメートル (cm)[2]。 来歴[編集] 東京都渋谷区の代々木公園前で馬場を営む家の3人兄弟の末子として生まれ、麻布龍土町で育った。祖父は日で初めて競走馬を輸入した人物で、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた[3]。父親は馬場専属の獣医師[4]である。父の影響もあり、幼少期は獣医に憧れていた[5]。渋谷区立大和田小学校、渋谷区立松濤中学校卒業[1]。小学校の時は映画が好きで、当時は保護者同伴の場合に小学生は無料であったことから、父親に相当する年齢の男性に付いて入館し、数多く鑑賞した[6]。中学校の卒業集合写真は、ジャズ喫茶に入り浸りたびたび学校をサボっていたため、一同

    井上順 - Wikipedia
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/10/25
    “祖父は日本で初めて競走馬を輸入した人物で、富ヶ谷で「井上馬場」を経営していた”
  • 第9回『台本屋(ほんや)は最高』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

    「73歳のブロガーデビューもいいけど反応があまり無いなあ」とボヤいていたら、前回のもので大さわぎ。ポスターとかの表紙も資料的には「さすが高田センセー」ではあるが、古い台、それも実際に40年前50年前 私が書いたものを載せたら「圧巻」「イヨッひとり芸能史」「勤続50年 御苦労様」「桜井・相葉良かったネ」の声が この一週間やたら届きタダとは言え書いといてよかったなと思う次第。 言われてみればテレビの台など普通の人やカタギの人の目にふれる物ではないから珍しいのだろう。放送台というのは脚家(放送作家とか構成者と呼ばれる)が「テレ原」(テレビ用原稿用紙)に書き出すところから始まる。テレ原は400字詰原稿用紙の上100字分が白い部分で、その下に300字。上の白い所は「ト書き」と呼ばれる演者の動きやらセットなどを書き込み、下に台詞とか音声を書き込む。昔は1枚1分と計算され、30分番組だったらお

    第9回『台本屋(ほんや)は最高』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
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    gogatsu26 2021/10/04
    “「73歳のブロガーデビューもいいけど反応があまり無いなあ」とボヤいていたら、前回のもので大さわぎ”
  • 第8回『正月特番の台本たち』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

    話が古すぎるのかなあ。若い人が喰いついてきてる手応えがない。もっと”BTS”の話とか「うっせぇ うっせぇ うっせぇわ」とか散りばめた方がいいのかな。只一人手伝ってくれている石Dにきけば「ブログですから読んでる人の数とか年収やなんか気にしちゃ駄目。なっ 志らら」すかさず志らら「あっ 報告遅れました。犬から許諾とれました」まだそんな事やってんのか。どいつもこいつも まったくクソの紙の役にもたたない。誰ひとり私を敬うという気持があきれる程無いのだ。71年からコツコツ台書き出してTV出てラジオで喋って50年だぞ。芸能マスコミに50年居て、その間ずっとレギュラーが途絶えた事がないなんざギネスものだろ。50年の記念すべきYEARなのに私の周りの連中なんて誰一人「何かイベントやりますか」「記念でも一冊作りましょうか」びた一文言って来ない。若い頃からさんざんタダメシ喰わせてやってきたのに血も涙も恩義も

    第8回『正月特番の台本たち』 | 高田文夫のおもひでコロコロ | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
    gogatsu26
    gogatsu26 2021/10/04
    “本当にびっくりですよ。我が身 我が目を疑いました。私が世田谷の坊ちゃんの頃、爺やと貸し切りで見た映画館の銀幕。そこには さっそうと馬に乗る「鞍馬天狗」のお姿。その人こそ大スーパースター嵐寛寿郎です”
  • ジャガーさん 所属事務所が“JAGUAR星に帰還した”と発表(チバテレ) - Yahoo!ニュース

    「JAGUAR星」からやってきたJAGUAR星人のジャガー(JAGUAR)さん。 所属事務所は4日、ジャガーさんが“大好きな地球よりJAGUAR星に帰還した”と発表しました。 発表文の全文は以下の通りです。 ----------------------------------------------- JAGUARが大好きな 地球の皆様へ 令和3年、JAGUAR星人のJAGUARが、 大好きな地球よりJAGUAR星に帰還いたしました。 ここに地球でのご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。 帰還の具体的な時期と理由に関しましては、 JAGUARの意思により非公表とさせていただいております。 地球での音楽活動、タレント活動、全ての活動において 皆様からの沢山の愛をいただけましたことを、心より感謝申し上げます。 皆様の心の中にいつまでも、 JAGUARの笑顔が届きますように願

    ジャガーさん 所属事務所が“JAGUAR星に帰還した”と発表(チバテレ) - Yahoo!ニュース