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仏教に関するirbsのブックマーク (7)

  • インド仏教最高位の日本人僧侶(82)命をかけた52年目の闘争(藤岡利充) - エキスパート - Yahoo!ニュース

    インドは仏教発祥の地だが、今はヒンドゥー教徒約80%を占め、仏教徒は1%弱と言われている。しかし、ヒンドゥー教のカースト最下層である『不可触民』と呼ばれる人たちの多くは不満を抱え、政府に無届けで仏教を信仰している。そのため実際には、インド国内の仏教徒は1億5千万人以上いるとも言われる。 そのインド仏教の頂点に立つ男が佐々井秀嶺(ささいしゅうれい・82歳)だ。3度の自殺未遂を乗り越え、32歳でインドへ渡り、1億5千万人の仏教最高指導者に駆け上った。仏教再興に命をかける佐々井氏に、インド52年目の覚悟を聞いた。 インドのカースト制の仕組み 著者作成 ■ヒンドゥー教から仏教に改宗 インド憲法ではカースト制度による差別も、『不可触民』という言葉の使用も禁止している。しかし、実際はカーストによる差別は根絶できていない。それをなくすべく、1956年、初代インド法務大臣だったアンベードカル(1891-1

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  • 強硬派仏教徒集団の台頭、覆される「平和的哲学」のイメージ

    ミャンマーのヤンゴン郊外にある僧院で集会に出席する仏教指導者のウィラトゥ師(2013年6月27日撮影)。(c)AFP PHOTO / Ye Aung THU 【3月19日 AFP】欧米諸国での仏教に対するイメージは、質的に平和的な哲学として成り立っているというものだが、近年アジアの一部で小さいながらも影響力を増している強硬派の仏教徒集団らが掲げる暴力的な理念が、この寛容的なイメージを覆している。 例えばスリランカでは先ごろ、仏教徒による反イスラムの暴動が発生し、少なくとも3人が死亡、200か所以上のモスクや住宅が破壊されたばかり。 ミャンマーでは扇動的な仏教指導者、ウィラトゥ(Wirathu)師に率いられた超国家主義の仏僧たちが、少数派のイスラム教徒に対する圧力を強めながら、イスラム系民族ロヒンギャ(Rohingya)70万人近くが隣国バングラデシュに逃れざるを得なくなった政府軍による弾

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  • プラトンの『饗宴』と仏典『法華経』の構造が似てるんじゃないかと思っている - 💙💛しいたげられたしいたけ

    1月12日のエントリー に、オチが同じじゃないかと思っているフィクションを何組か挙げた。ちょっと昔のエントリーだが、2008年1月27日のエントリー には、源信『往生要集』の構造がダンテ『神曲』と似ていると言われることの他に、仏典『観無量寿経』の構造は旧約聖書『ヨブ記』に似ているんじゃないかと思った旨を書いたことがある。すなわち… ドラマチックな導入、案外珍しくお釈迦様やヤハウェが超能力を使いまくるところ、これも案外珍しく極悪の「敵」が登場すること、著名な導入のエピソードに比べて最もページが割かれている題の部分に何が書かれているかはそんなには知られていないこと、そして主人公の韋提希夫人やヨブにしてみたら結局それって解決になっているのだろうかと今ひとつ後味がよくないラストなど… と言った点についてが、である。 スポンサーリンク 検索すると『往生要集』と『神曲』の相似を指摘しているサイトはい

    プラトンの『饗宴』と仏典『法華経』の構造が似てるんじゃないかと思っている - 💙💛しいたげられたしいたけ
  • オウムはなぜ日本のエリートの心を捉えたのか:日経ビジネスオンライン

    上田 紀行(うえだ・のりゆき) 文化人類学者。1958年生まれ。東京大学教養学部文化人類学科卒業、同大学院博士課程修了。愛媛大学助教授を経て東工大へ。「癒し」という言葉を日に広め、日社会の閉塞性の打破を、新聞、テレビ等でも説く。近年は沈滞する日仏教の再生運動にも関わり、ダライ・ラマとの対談も出版。東工大では学生からの授業評価が全学1位となり、東工大教育賞最優秀賞を受賞。著書『生きる意味』(岩波新書)は2006年度大学入試出題数第1位の著作となる。その他、『生きる覚悟』(角川SSC新書)、『「肩の荷」をおろして生きる』(PHP新書)、『ダライ・ラマとの対話』(講談社文庫)など著書多数。(写真:大槻純一、以下同) 上田:もちろんインドを研究対象にしたい、と最初は思いました。自分の洗脳を解くきっかけになった場所ですから。でも、調べ始めて気づきました。インド学って、ものすごく大きいんです。

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  • 無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog

    国や地域や宗教によって、さまざまなかたちを取るお葬式。日では仏教形式で行われることが多い。これまで私が参列した葬儀は9割方、仏式だった。あとはキリスト教。亡き伯父と伯母がクリスチャンだったからだが、では仏式で弔われた人々は皆仏教徒だったのかと言えば、おそらくそうではないだろう。 年輩者で定期的にお寺参りに行ったりお坊さんの説教を聞きに行ったりする人はいたかもしれないし、そこまでではない人もお盆で先祖の墓参りくらいはしたかもしれない。しかしほとんどの人は、「うちは◯◯宗らしいな」くらいのことはわかっていても、仏教とは無縁の生活を送っていたと思う。多くの人の日常において、特定の宗教の匂いは薄い。 だからいざ身内が死んで通夜だ葬儀だとなると、まず何をどうしていいかまごつくことがある。伊丹十三の映画『お葬式』では、遺族がビデオで仏式葬儀のあらましを学習するシーンがあった。他人の葬儀で何となく勝手

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  • 室町時代の寺社関連の事件について

    以前のまとめ(http://togetter.com/li/476344)以来、 室町時代の資料を続けて読んでいるのですが、 寺社勢力の力とアクの強さがどえらいことになってたので、 気が付いたら長々書いてたり。(※色々追記しました)

    室町時代の寺社関連の事件について
  • [書評]浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか(島田裕巳): 極東ブログ

    書「浄土真宗はなぜ日でいちばん多いのか」(参照)の表題の問いについて関心がある人なら、それは「おわりに」の数ページが扱っているだけなので、さっとそこだけ立ち読みすれば終わる。ただ、さっと読んでわかる回答は書かれていない。筆者の用意した回答としては「庶民の宗教だから」というのが筆頭に来るが、それが明瞭に支持された解説に拠らずややわかりづらい印象を受ける。しかし、そこは書の欠点ではない。 むしろ書全体を読めば、明瞭な答えに導かれる。つまり、浄土真宗は帯から家系による寺の相続が可能になったこと(来寺はそういうものではない)と、帯に伴う縁組みで閨閥が形成できることだ。 浄土真宗を宗教としてみるとわかりづらいが、諸侯や商店の特異とも見ればよいとも言えるだろう。浄土真宗藩や浄土真宗店とでもいうようなものである。さらに江戸時代に幕府から特別に保護されたことの要因も大きい。 ただし、それらの

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