米軍統治下時代に核ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が配備されていた米軍那覇サイト(現・那覇空港)で、1959年6月19日、核弾頭を搭載したミサイルが誤って発射されていたとNHKが10日、報じた。爆発はせず、那覇沖合に着水したミサイルは米軍が回収したという。
琉球新報に「牧志、松尾、壺屋… 戦後の密集市街地を「再生」へ」という記事が掲載されていました。 記事の元になった資料の地図を見れば、密集市街地が旧真和志市に偏っていることがわかります。今回の記事は偏っている理由について。 「那覇市密集住宅市街地再生方針」策定について | 那覇市 Naha City みなと村も真和志だったそもそも旧那覇市と旧真和志の境はどこだったのでしょうか? 実は戦前、戦後にかけて真和志村からいくつかの区域が那覇市に編入されていますので、時期によって異なります。 戦後大きな移動は那覇市と真和志村の一部が分離して誕生したみなと村の成立、みなと村の那覇市への編入です。 元々真和志村であった地域が真和志市に戻ってこなかったため、これがしこりとなって那覇市と真和志市の合併が遅れたのは有名は話です。 みなと村の範囲は那覇市の楚辺原の一部、美武田原、長作原の一部、阿手川原、赤畑原、那
沖縄戦で消失した円覚寺の9建造物の詳細な平面図を記した図面7枚が、17日から首里城公園内で一般公開される。戦前、戦後と守礼門の修理や復元などに尽力した森政三(まさぞう)氏(1895~1981)のコレクションの中に所蔵されており、2013年までに確認された。 これまで円覚寺については田辺泰著「琉球建築」に寺域全体の平面図しかなかった。今回公開される図面は、寸法まで細かく記載されており、発掘調査や写真資料と照合することでより正確な復元が可能となる。県は円覚寺三門(山門)の復元を目指しており、2014年度に県教育委員会が行った三門復元の基本設計に反映させた。 図面はいずれも縦約53センチ、横約77センチ。三門のほか総門、方丈、方丈橋、鐘楼、仏殿、開山堂、左脇門、右脇門が描かれている。沖縄美ら島財団総合研究センターの上江洲安亨学芸員は「図面は森が来沖した1936年以前に作製されたと思われる。発掘調
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