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エジプトに関するirbsのブックマーク (12)

  • クーデタはエジプトに何をもたらしたか?/横田貴之 - SYNODOS

    2013年7月3日、アブドゥルファッターフ・スィースィー国防相兼エジプト軍最高評議会(SCAF)議長は、軍部隊を市中に展開し、憲法停止とムハンマド・ムルシー大統領の解任を発表した。このクーデタにより、エジプト史上初の自由な大統領選挙で選出されたムルシーは、就任から1年余りで失脚することとなった。カイロ市中心部のタハリール広場に集結した百万ともいわれる市民は、ムルシー政権崩壊をもたらしたクーデタを称賛した。 現在、エジプトでは、軍の影響下で暫定政権が発足し、2014年までの民政移行に向けて政治日程が進められている。しかし、ムルシー支持派による抗議デモと治安部隊との激しい衝突が頻発する事態になっており、いまだ混乱状態から脱していない。 2011年にホスニー・ムバーラク政権を崩壊させた「1月25日革命」以降、エジプトでは混乱をともないながらも議会選挙、大統領選挙、新憲法制定が行われ、新しい国づく

    クーデタはエジプトに何をもたらしたか?/横田貴之 - SYNODOS
  • エジプトの「不愉快な現実」

    エジプトが混沌としている。 断月明けの祝日が終わった直後の8月14日、軍は一斉にムルスィー前大統領派の強制排除に乗り出し、1週間で800人以上の死者を出した。衝突はその後も各地で続き、外出禁止令が発出され、20日にはムスリム同胞団の最高指導者ムハンマド・バディーア氏が拘束された。その前日には、ムバーラク元大統領の保釈可能性が浮上している。これはいったい何だ? 2年半前に転覆した旧体制を復活させることなのか? 混乱しているのは、事態の展開ではない。それを見つめるエジプト、および中東の知識人や活動家たちの言説である。7月の軍クーデター以降同胞団系のメディアは閉められているので、エジプト国内メディアのほとんどが軍に支えられた暫定政権支持派だろうが、その同胞団に対するバッシングは、凄まじい。同胞団=テロリスト、ファシスト、独裁、といった常套句が溢れ、「同胞団は終わった」と主張する。 すでに暫定政

  • 治安部隊がデモ隊排除、43人死亡…エジプト : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    【カイロ=黒岩竹志】エジプト暫定政府は14日、首都カイロなどの2か所で座り込みデモを続けるモルシ前大統領派の強制排除に踏み切り、1か所を完全制圧した。 AFP通信によると、治安部隊とデモ隊との衝突で、少なくとも43人が死亡した。排除に反発するモルシ派のデモ活動は、カイロ以外の都市にも広がっており、衝突が全土に及ぶ可能性も出てきた。 強制排除は14日午前6時(日時間午後1時)ごろに始まった。警官隊がカイロ北東部ナスルシティーのモスク(イスラム教礼拝所)や、カイロ郊外ギザのカイロ大学前のデモ隊を包囲し、催涙弾を使用した。ナスルシティーのモスク前では、デモ隊が警官隊と衝突した。 モルシ氏の支持母体であるイスラム主義組織「ムスリム同胞団」は、警官隊が実弾を発砲したと非難し、少なくとも250人が死亡、5000人以上が負傷したと主張。内務省は、使用したのは催涙弾のみとしてこれを否定した。保健省は警官

  • 荒廃するエジプト経済

    エジプト経済は破滅に近づいている(写真は今年1月、エジプトの首都カイロで起きた反大統領派のデモ隊と警察隊側についた市民らとの衝突現場)〔AFPBB News〕 カイロのバザーで騙されたことに腹を立てた古風なアラブの旅行者は、卑劣なエジプト人はまるで「最後の審判の日がないかのように」振る舞っていると切り捨てた。 2年前に革命がエジプトを混乱に陥れてから寛大な支援策をエジプトに提供しようとしてきた国際通貨基金(IMF)も、同様の懸念を抱いているかもしれない。 エジプトの経済は国の政治とともに、かつてないほど破滅に近づいてきたが、歴代政権は迫り来る危険を平気で無視してきた。 ムスリム同胞団が支配する現政権も例外ではない。ムハンマド・モルシ大統領は、就任から9カ月経っても、IMFを納得させるだけの妥当な経済計画を立てていない。 外貨準備が激減 IMFが提案した48億ドルのスタンドバイ協定とIMFの

  • エジプトの混乱:無駄になったタハリール

    (英エコノミスト誌 2013年2月2日号) ムハンマド・モルシ大統領は平和的手段によって国を統治しなければならない。さもなければ、エジプトは崩壊する。 タハリール広場の革命から丸2年経ち、エジプトが大混乱に陥っている〔AFPBB News〕 今から2年前、タハリール広場に集まった抗議者たちの群衆はエジプト軍に、民衆の味方につき、独裁者のホスニ・ムバラクを追い払うしかないと確信させた。 エジプトの革命2周年記念日に当たる日に起きた混乱は、それよりはるかに暗いものだった。 1月25日、ムハンマド・モルシ大統領とその出身母体であるムスリム同胞団に抗議する数千人のデモ隊が、カイロやその他の都市で警察と衝突し、少なくとも十数人の死者を出した。 翌日にはさらに事態が悪化し、少なくとも30人が暴動で死亡した。ポートサイドの裁判所が72人のサッカーファンが死亡した1年前のサッカー場の暴動に加わった罪で21

  • エジプト:やっぱり選挙は面白い

    6月24日、エジプト大統領選の結果が発表され、ムハンマド・ムルスィー自由公正党党首が勝利した。とりあえず、ほっと一安心である。 いや、筆者が自由公正党シンパだというわけではない(むしろ、「う~ん」)。大統領決選投票の前後からかなりきな臭い動きがあったので、それが大きな衝突や改革の後退につながらないかと懸念していたからだ。 何よりもまず、6月14日、決選投票開始の2日前に、現在政権を担う軍最高評議会が突然、昨年末に実施された人民議会選挙の無効を発表した。これにより、自由公正党が約半数、第二党でイスラーム主義政党の御光(ヌール)党が約四分の一の議席を占める人民議会は、解散。自由公正党は、せっかく得た与党の地位を失うこととなったのである。大統領決戦投票を前に、守旧派の軍が新興勢力たるイスラーム主義政党を潰しにかかった、と見える判断だった。 緊張が高まるなか、決選投票が終わるとすぐ一日後に、ムルス

  • 砂漠の教父とコプト教会: 極東ブログ

    砂漠の教父(Desert Fathers)とコプト教会の関係が気になるので、自分なりに少し整理しておきたい。 先日のエントリー「砂漠の教父と黙想の祈り、改革者としてのアタナシウス」(参照)で砂漠の教父に言及した。背景の基構図としては、ローマ帝国の遷都に伴い、ローマ帝国がキリスト教帝国となり、帝国西部崩壊でローマ主教座が独立・分離する以外は、各地の総主教座はコンスタンチノープルの主教座を名誉的な頂点として統合された。現在のエジプトに居住していた砂漠の教父らも基的にはこの構図から、アレクサンドリア総主教座に以降、納まることになった。だが、砂漠の教父とアレクサンドリア総主教座と後のコプト教会の三者の関係は、現在のキリスト教史観からはわかりづらい。この領域は、正教でもプロテスタントでもカトリックでもないためだろう。 コプト教会は東方諸教会の「非カルケドン派」と呼ばれることがある。451年のカル

  • 「エジプト革命」をめぐる2011年の言説を、改めて、読み返す。

    該当部分の引用: ※ここは論文でいうと「サマリー」に該当する部分で、個々の文の結びつきは特になく、文脈がない部分なのですが、一応前の部分から引用します。 p. 2: “ 今回のエジプトでは、フェイスブックやツイッターによる横の連携が、「革命」を成功させたとも言われる。日への影響でいえば、日系企業(日産自動車など)の現地工場が一時操業停止したほか、日人観光客の国外脱出で多少の混乱があった。また、マスコミの報道が遅く、日政府が米国に配慮しているのかという「噂」「不満の声」もあがっている。” http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110215/260249/?ST=business&P=2 “マスコミの報道が遅く”は事実誤認、もしくは無根拠。私は「革命」初日1月25日から見ていたが、アルジャジーラ英語版(デモ開始時には報道しなかった。日時間

    「エジプト革命」をめぐる2011年の言説を、改めて、読み返す。
  • Why fear the Arab revolutionary spirit? | Slavoj Žižek

    What cannot but strike the eye in the revolts in Tunisia and Egypt is the conspicuous absence of Muslim fundamentalism. In the best secular democratic tradition, people simply revolted against an oppressive regime, its corruption and poverty, and demanded freedom and economic hope. The cynical wisdom of western liberals, according to which, in Arab countries, genuine democratic sense is limited to

    Why fear the Arab revolutionary spirit? | Slavoj Žižek
  • エジプトと日本語、そして『広場よ』の多言語化プロジェクト #egyjp

    Twitterのハッシュタグ、#egyjpは、「日語話者のためのエジプトに関する情報」の共有を目的として、タハリール広場でのデモが始まって数日後、最初の「ひどい暴力」があった翌日の1月29日に、Twitterの日語ユーザーの間で提唱され、決められた。 このタグを使うと想定される「日語話者」は「日人」や「日語を母語・第一言語とする者」に限らない――頭ではわかっててもなかなか実感を伴うことは難しいが、実際に、日語を外国語として学んだ何人かが、エジプトから日語で書き込んでくれている。1日の午後に書き込まれた下記のメッセージも、そういった「日語は外国語」という人のものだ。 ツイートにあるURLをクリックすると、Lang-8のasuma0さんのページに飛ぶ。11月の後半に、またひどい暴力事態となったことについて、asuma0さんは次のように説明している。 また混乱した状態に戻ったこと

    エジプトと日本語、そして『広場よ』の多言語化プロジェクト #egyjp
  • エジプト革命の始まり: 極東ブログ

    エジプトが再び争乱状態となった。これを第二革命と呼ぶ人もいるようだが、なんのことはない。前回は軍部のクーデターに過ぎず、民主化などほど遠い話であった。 ムバラク政権に劣らぬエジプト軍政による悪行はすでに十分に露呈している。これがどれほど酷いものかは、アムネスティが公開した報告書「Broken Promises: Egypt's military rulers erode human rights」(参照)に詳しく描かれている。 夜間外出禁止令を破ったり軍を侮辱したとして1万2千人も及ぶ市民が軍事法廷に送られた。ジャーナリストは軍の検察官に呼び出され、拘束され拷問を受けた。軍に抗議する市民に対しては、軍は武装した強盗を使って攻撃した。コプト教徒による抗議では軍は28人の市民を殺害した。 この軍政が、いかさまな議会選挙(参照)を通して固定化されようとしているとき、市民が立ち上がる現在こそが、ま

  • 今日のタハリールと距離感

    今でも金曜日はデモをやっているらしいので、例のタハリール広場に行って来ました。毎日通っていた場所がすごいことになっていたので、テレビで見たときはびっくりしていたのですが、今はすっかり落ち着いて、基的には通常通りという感じです。 ここ数日ブラブラ歩いた程度では、格別変わった様子は何もないです。厳密には多少治安が悪くなったところがあるようですが、もともと非常に治安が良い国なので、テロだの暴動だのより道路の横断に気をつける方がずっと重要でしょう。 ナイル沿いのナントカ庁がまるごと焼けていて、空爆跡みたいですごい風景でした。廃墟マニアならたまらない一品です。 警察が信頼を失った結果、交通警官などが不足している、と聞いていたのですが、わたしが歩いて見た感じでは、現時点では前と変わらない程度には交通整理はされています。前と同じということは、相変わらずカオスということですが、心なしか皆んな前よりは少し

    今日のタハリールと距離感
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