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言語学に関するirbsのブックマーク (4)

  • 動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか - 誰がログ

    【注意】このエントリは、動詞「まなざす」の意味・用法や登場した経緯や背景などについて解説したものではありません。 はじめに 下記のまとめのブコメにも何か書こうかなと書いてそのままいつもの書く書く詐欺になりそうなところだったのですが、 togetter.com その後もちょこちょこ「「まなざす」という動詞は日語としておかしい」というような言い方を見たので何か書いておくことにしました。 最後に背中を押したのは菊池誠氏の次の一連のツイートです。ただこれに似た言い方はいくつか見ましたし、共感を覚える方もけっこういるのではないでしょうか。 @kanenooto7248 はあ、「まなざす」という言葉を使うやつは嫌いだ、という話はしたけど、その出どころですか。「まなざす」は日語じゃないからな— kikumaco(9/7ベアーズ) (@kikumaco) 2016年1月25日 「まなざす」という言葉を

    動詞「まなざす」は“日本語として”おかしいか - 誰がログ
  • ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』─本人による入門講義 - フリー哲学者ネコナガのブログ

    ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』を読む。副題は「ソフィア・レクチャーズ」だが、去年3月に上智大学で行われた講演を書き起こしてまとめたものだ。しかし、二日間にわたる講演の全文(質疑応答含む)のみならず、講演直前に行われたインタビュー、そして編訳者による長めの解説も収録されており、全体として「チョムスキー」その人についての格好の入門書となっている。もちろん、最新の見識でもあるので入門に留まるものでもないのだが。 チョムスキーは、どう紹介してよいのかわからないが、ともかく現代世界最高の知性を持つ人物の一人とされている。書の編訳者の一人である福井直樹氏(MITでの直弟子でもある)は講演前の紹介で、紹介することは「不必要であり、不可能」と述べているが、ともかく短時間では無理、とのことだ。したがってチョムスキーが被引用数ランキング上位に入っていることなどを述べるにとどめている(ま

    ノーム・チョムスキー『我々はどのような生き物なのか』─本人による入門講義 - フリー哲学者ネコナガのブログ
  • 人文系、ホンモノの学問、基礎/応用、みたいな話(言語学の研究者から見て) - dlitの殴り書き

    下記のエントリを読んで、たぶん愚痴という側面もあるのだろうなと思ったので、私も愚痴のようなことを書いてみる。結論は特にない。一研究者の実感の記録として呼んでもらえるとよいのかもしれない。 訳が分かっていないのに、「ポモはダメ!」と言いたがる残念な人達 仲正昌樹【第22回】 – 月刊極北 ちなみに、上記の記事に対しても、これから自分が書くことに対しても、愚痴だから(ある程度)批判を免れられると考えているわけではない。 人文系と「事実」の重み 自然科学における論争と違って、人文系の学問の論争は、クリアに決着が付かないことが多い。簡単に言うと、自然科学系の多くの問題は、実験とか計算、事実の観察によって、決着をつけることができるが、人文系では、それに相当するものがない。心理学のように、組織上は文学部に属していても、実験や臨床研究に重きを置く分野もあるが、これは例外だろう。経済学や社会学など、社会科

    人文系、ホンモノの学問、基礎/応用、みたいな話(言語学の研究者から見て) - dlitの殴り書き
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