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宗教と哲学に関するirbsのブックマーク (3)

  • プラトンの『饗宴』と仏典『法華経』の構造が似てるんじゃないかと思っている - 💙💛しいたげられたしいたけ

    1月12日のエントリー に、オチが同じじゃないかと思っているフィクションを何組か挙げた。ちょっと昔のエントリーだが、2008年1月27日のエントリー には、源信『往生要集』の構造がダンテ『神曲』と似ていると言われることの他に、仏典『観無量寿経』の構造は旧約聖書『ヨブ記』に似ているんじゃないかと思った旨を書いたことがある。すなわち… ドラマチックな導入、案外珍しくお釈迦様やヤハウェが超能力を使いまくるところ、これも案外珍しく極悪の「敵」が登場すること、著名な導入のエピソードに比べて最もページが割かれている題の部分に何が書かれているかはそんなには知られていないこと、そして主人公の韋提希夫人やヨブにしてみたら結局それって解決になっているのだろうかと今ひとつ後味がよくないラストなど… と言った点についてが、である。 スポンサーリンク 検索すると『往生要集』と『神曲』の相似を指摘しているサイトはい

    プラトンの『饗宴』と仏典『法華経』の構造が似てるんじゃないかと思っている - 💙💛しいたげられたしいたけ
  • 黙想の祈りとテオリア: 極東ブログ

    黙想の祈り(Contemplative prayer)に関連するを読み考えながら、ぼんやりと見えてきたものがある。気にかかっているうちにブログにメモしておこうかと思う。思うままに書くのであまりまとまったものにはならないだろうが。 黙想(Contemplation)とは何か? なぜそれがキリスト教において意味があるのか? 疑問の答えとは言えないまでも、いくつか書籍を読みながらぼんやりとした形が見えてきた。逆に言うと、なぜこの疑問がこれまで自分にとって、うまく浮かび上がってこなかったか?としてもよい。それは自分が接したキリスト教からは、そもそも見えづらいものだった。私と限らず近代が結果的に覆い隠してしまった面もある。 私自身を例にすると、接触したキリスト教には三つの面があった。一つは日の近代化や敗戦に伴うプロテスタンティズムである。この伝統こそ黙想の祈りを覆い隠してしまうことが多い。クエー

  • 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評

    どうなるんだろう。 というわけで、ニーチェ「善悪の彼岸・道徳の系譜」の解説です。ニーチェは哲学や政治学をやるのなら必読だと思うのですが、いかんせん文学的な表現が多すぎて何を言っているのかよくわかないと投げ出す人もいるんじゃないですかね。というわけでニーチェの思想で一番使える「相対主義」にしぼって説明します。 通常の哲学とニーチェの哲学の違い 哲学は形而上学とも呼ばれています。メタフィジカルな学問だというのです。つまり物理的・現実的(フィジカル)なことにたいしてどのように人間が取り組むかという、現実(フィジカル)より上位(メタ)の構造・ルールについて研究するのです。たとえば、人間の肉体がどのような仕組みで動いているかというのはフィジカルな話ですが、人間はどのように生きているのか・どう生きるべきなのかというのは、メタフィジカルな話です。 さて、ニーチェがやっているのは通常のメタフィジカルな話で

    「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評
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