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本と中国に関するirbsのブックマーク (5)

  • 「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著

    琉球史の第一人者高良倉吉氏が、東シナ海の中継貿易で栄えた琉球王国の姿を、琉球王国誕生前の三国鼎立時代から十六世紀末にかけての時期を中心に描いた一冊。 この時代の琉球史・琉球外交史については大まかなところを以前「琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史」で書いたので、そのあたりの歴史については割愛して、特に当時の東シナ海沿岸諸国と琉球の密接な関係を表すエピソードを少し紹介してみる。 十五世紀の琉球が馬の産地で、明国の対モンゴル遠征で大量に馬が輸出され、その協力への報酬として、海禁政策によって海外に出られない明人に代わり、琉球が独占的に中継貿易を行うことが出来たことは書を参考として別記事でも紹介したが、そのような冊封体制下で、琉球は明国と非常に密接な交流があった。 その代表的な例が「唐営」という華人の共同体の存在である。当時、琉球に限らず、海禁政策によって故国に帰

    「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著
  • 與那覇潤先生の隠されたモチーフ一覧 - こりゃ、ほたえな

    與那覇潤先生のご著書『中国化する日』には隠されたモチーフ、裏のテーマ、真の意図などがさまざまに埋めこまれていて分かりにくいので、先生のツイートを検索して一望できるようにしてみました。検索から漏れてたり、関係のないものが混入していることがあります。「拙著」「意図」「狙い」「試み」などでは検索してないので、まだ他にも出てくるかもしれません。 これだけ多種多様な隠れモチーフや裏テーマなどをぜんぶ盛りこんで、まったく破綻させることなく一冊のごにまとめられるご手腕には敬服です。 https://twitter.com/jyonaha/status/70144604917338112https://twitter.com/jyonaha/status/105231151366541312https://twitter.com/jyonaha/status/127307515158466560htt

    與那覇潤先生の隠されたモチーフ一覧 - こりゃ、ほたえな
  • ものつくりの科学の歴史「工学の歴史」

    科学史や技術史とは一線を画する「工学史」という新しい領域を読む。 かなりの大著と思いきや、ポイントを絞ってコンパクトにまとめている。機械工学を中心に据え、細部は参考文献に任せ、キモのところを大づかみに伝えてくれる。おかげで、歴史・地理の両方から俯瞰的に眺めることができる。知のインデックスとして最適な一冊。 テクノロジー&サイエンスといえば、西洋の専売特許だが、長い目で見ると違う。ニーダム線図、ニーダム・グラフと呼ばれるグラフが顕著だ。歴史的には、長いあいだ中国こそが科学技術の先進国だったことは知っていたが、ここまであからさまだとは。 中国は古代から中世まで科学技術で世界をリードしていた。だが西洋は後期中世から急激に成長し、ルネサンスを境に両者の関係は逆転している。新参者にすぎない西欧が、なぜ中国を追い抜いたのか? もちろん科学と軌を一つにしてきた軍事面から説明できる。「戦争の世界史」を読む

    ものつくりの科学の歴史「工学の歴史」
  • 2018年、本は死ぬ

    書物が出版されること、(詳しく言うと)その準備ができることを、 「殺青(さっせい)ここに成る」 などと言う。 殺青とは、竹の表皮を火であぶって処理すること。 切ってきた青い竹には脂(あぶら)があるため、文字が書きにくい。 火であぶることでその脂をとり、文字を書きやすくするのだが、この処理をすることで虫の害を避けることもできる。 「殺青者、以火炙簡令汗、取其青易書、復不蠧、謂之殺青、亦謂汗簡。」(劉向『別録』)。 (殺青は火をもって簡を炙(あぶ)り汗せしめ、其の青を取りて書き易くす。また蠧(むし)まばれず。これを殺青と謂ひ、また汗簡と謂ふ。) 現代の中国語でも、映画のクランク・アップを「殺青(shāqīng シャーチン)」と言う。 『説文解字』(紀元100年/永元12に成立)に「竹帛に著す、これを書という」とある。 火で炙った竹は〈甲骨〉を継ぐ千年の長きにわたって使われた〈文字媒体〉だった。

    2018年、本は死ぬ
  • 『山海経』について

    『山海経』は中国最古の空想的地理書と目されるが、その内容は山川の地理、動植物や鉱物、山岳祭祀、辺遠の国々と異形の民、伝説上の帝王の系譜など多岐にわたる。その中には奇怪な姿の動植物や神々が多く記されるため、後世には専ら怪物事典として娯楽の用に供されるようになり、現在でも「山海経」でサイトを検索すると、怪物マニアの作った興味位なサイトが多数引っ掛かる。しかし「魑魅魍魎の跋扈する世界」はあくまで『山海経』の一部にすぎない。 では誰がいつ、何のためにこの書を作ったのか。私自身はこの書の主要な部分は戦国末期までに成立し、成立場所は従来言われている戦国の楚国だけではなく、斉国の稷下学士も関与していると考えているが、この根的な問題についてさえ、今もって定説はない。ただ諸説が一致するのは、「一人の人が一度に書いたものではない」ということだけである。全十八巻のこの書は五蔵山経(巻一~巻五)・海外四経(巻

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