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都市と人生に関するirbsのブックマーク (10)

  • 池袋と目白の中間地点で、ブックギャラリーを19年前に始めて現在に至る話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 池袋と目白の中間あたり、人通りもまばらな住宅街に店を構えるブックギャラリーポポタム。国内外のアートブックやリトルプレス(少量生産の)、アーティストによる絵画やグッズを扱っている。 ポポタムのオープンは2005年。この店がこの場所に誕生した理由、19年間にわたって作家やお客様に支持され続けてきた訳、個性的な品揃えの基準などを、店主の大林えり子さんから伺った。 とサブカルに親しんだ学生時代 大林さんの出身は香川県の西側、お雑煮が白味噌の汁に丸い餡子をいれる地域とのこと。 高校卒業後、大学進学のため上京をして、なんやかんやあって店をオープンさせて現在に至る。 多くの人が「当にこっちでいいのかな?」と迷いながら辿り着く店、それがポポタム ――昔からは好きだったのですか。 大林えりこさん(以下、大林):「特別好きとは意識していなかったけど、今思うと、よく読んでいたと思いま

    池袋と目白の中間地点で、ブックギャラリーを19年前に始めて現在に至る話【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン
    irbs
    irbs 2024/02/27
    西池袋、最寄りが池袋駅とは思えない程落ち着いた場所。5年程住んで引っ越したけど、いつかまた暮らしたい。写真にある裏道も毎日通ってたなー
  • 上新庄、淀川、東南の角部屋|岸政彦 - SUUMOタウン

    著: 岸政彦 わたしはこれまでにあったすべてのことがこれからもありつづけるだろうこと、これからあるだろうすべてのことがこれまでにもつねにあったことを、閃光のようにさとったんだ ──ウィンストン・ナイルズ・ラムファード 大阪のことに関しては、これまでさんざんあちこちで書いてきた。だから、ここでこれから書くことも、たぶんすでにどこかで書いたことばかりで、「この話どこかで読んだことがあるぞ」と思うような話ばかりになるだろう。でもそれも仕方がない、ひとりの平凡な男の人生に、書く価値がある物語がそれほどたくさんあるわけがないのだから。だからここでも同じ話を書く。 実家がとにかく嫌だった。子どものころから、家のなかで会話ができる相手が犬(当時はまだ珍しかったミニチュアシュナウザー、名前は「エル」)と(拾った黒、名前は「ねこ」)しかいなかった。 大学を受験することになった。 生涯ひとびとの人生

    上新庄、淀川、東南の角部屋|岸政彦 - SUUMOタウン
  • 一九二〇年の東京で貧しい若者が苦学に成功する方法・金子文子の場合 39000文字 - 山下泰平の趣味の方法

    一九二〇年の東京で貧しい若者が苦学に成功する方法 どうすれば金子文子は卒業できたのか 苦学と金子文子の状況と 小学校時代 優秀であるがゆえの悲劇 文子の痛手 文子の上京 幸運な上京 文子の戦略ミス 厳しい苦学界 苦学の真実 嫌な社会 女性の苦学は難しい 文子が最初にしたほうがいいこと 先人の跡をたどれば 犯罪スレスレで苦学した男 苦学を使って大儲けした男 そもそも苦学が必要ない人たち メディアを使って記者になる 登校拒否の人 せずにいられないことをする 苦学を成功させるには まとめ 一九二〇年の東京で貧しい若者が苦学に成功する方法 親ガチャなんて言葉がある。「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」といった意味らしい。対義語は「実家が太い」で、貧困層に生れてしまうと、選択肢や機会が極端に少ないなんて問題もある。これらはずっと存在していたものではあるが、 SNS などで格差や個々人の能力や考

    一九二〇年の東京で貧しい若者が苦学に成功する方法・金子文子の場合 39000文字 - 山下泰平の趣味の方法
  • 100万で横須賀の空家を買った女性の暮らし

    「生活実験」をする30代女子が増えている。実験と言っても、土鍋でご飯を炊いてみる、梅酒や梅干しを漬けてみるという初歩的なものから、もう少し進んでみそ作りや自然派せっけん作りのワークショップに参加するというレベルになると、いわゆる「意識高い系」だろう。だが、さらに進んだ女性もいる。 横須賀の空き家を100万円で買ってリノベーションし、週3日勤務をする。福岡県に移住し、シェアハウスを経営し、月の費1500円で暮らす。肉はイノシシを狩猟してべる。そこまでいくと、現代ではもはや実験、冒険に近い。今回は、その実態をリポートする。 週3回勤務、残りの4日は空き家をリノベする生活 立花佳奈子さんは、飲店やシェアハウスのリノベーションをする会社に勤務して6年になる。今は、その会社がつくった横浜の山のほうにあるカフェで働く。カフェといってもツリーハウスであり、大きな木の上に小さな小屋があって、そこがカ

    100万で横須賀の空家を買った女性の暮らし
  • 歌舞伎町の夜を撮る――写真家 梁丞佑の数奇な人生 - Yahoo!ニュース

    彼のファインダーの前に立つ者はたいてい、ろくな人生を歩んでいない。路上で喧嘩をする男、酔っぱらい、そしてヤクザ。彼らを捉えたファインダーを覗く韓国人写真家・梁丞佑(ヤン・スンウー)(51)もまた、ろくな人生を歩んでこなかった。高校を2回退学し、ナイフで刺された傷が今も残る。この春、「写真界の直木賞」と呼ばれる土門拳賞を受賞した。梁は写真に人生の全てを賭けている。 (後藤勝/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    歌舞伎町の夜を撮る――写真家 梁丞佑の数奇な人生 - Yahoo!ニュース
  • 写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース

    スウェーデンのメーカー、ハッセルブラッドのカメラを2台、むき出しのまま肩から交差するようにかけ、ビッグスクーターで沖縄の街を走る。それが写真家・石川竜一(31)の普段の姿だ。撮りたいと思う人と遭遇したら迷わず声をかける。ポートレートを撮り始めたのは2010年。3000人を超える「沖縄の肖像」を撮った。頭で考える前にシャッターを押した。「撮って撮って、自分は消えてしまえばいいと思ってた」。ところが、無数の被写体と向き合ううちに、よそよそしかった世界はその姿を変えていく——。 『okinawan portrait 2010-2012』『絶景のポリフォニー』で写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞した若手写真家が、写真を撮ることで探し続けているものとは。 (ノンフィクションライター・藤井誠二/Yahoo!ニュース編集部) 写真集『okinawan portraits 2010-2012』

    写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース
    irbs
    irbs 2016/10/19
    言われてみれば、牧港のエンダーは58号沿いにポッカリあいた空間を作ってるから夜中にたむろするのにうってつけかも。あそこに石川竜一がいたんだ…
  • オンライン古書店の誘惑 第2回「私の志集」の巻 北尾トロ

    昭和の根っこをつかまえに 第2回「私の志集」の巻 北尾トロ この原稿は「裏モノjapan」に連載した『365歩のマーチ』で書いたものだが、 題材が“昭和的”であり、また単行未収録でもあるので、ここにふさわしい のではないかと思われる。後半は話が自分よりにズレてゆくのだが、いずれ 時間を見つけ「私の志集」のみの原稿に加筆するつもりである。 夜の街頭に ひっそり立っている女 予期せぬ出会いってもんがある。昔つきあってた女とバッタリとか、見ず知らずの人と瞬時に仲良くなるとか。 逆に通りすがりにインネンつけられてブチのめされるパターンもあって、これはちょっと出会いたくなかったり する。 その夜、ぼくが経験したのは長い間探していた人に偶然出会うってヤツだった。夜10時すぎ、友人と別れてS駅 に向かう途中に、その女が立っていたのだ。 「私の志集」売りである。 東京在住の人なら、一度くらいは「私の志集

  • スケボー界のレジェンドが、シリコンヴァレーのカリスマになるまで

  • ギンギンにカッコイイ渋谷が、ここにある ― 20年間渋谷を撮り続けた写真家、鈴木信彦インタビュー - TOCANA

    渋谷といえば、今や世界的にも東京を代表する主要エリアの1つだ。渋谷駅ハチ公口前。1日あたり50万人もの通行量があると言われるこの世界一有名なスクランブル交差点周辺を拠点に、渋谷の街をおよそ20年にわたって撮り続けている写真家がいる。鈴木信彦だ。 憂いを纏った若い女性やカップル、一瞬の狂気を孕み際立った存在感を放つ男性等々……。鈴木が切り取ってきた、えも言われぬ潤いを湛えた街のイメージは、さながらヨーロッパ映画のワンシーンのように見る者の胸を揺さぶる。90年代、日のユースカルチャー発信地の中心だった頃から街に立ち、行き交う人々にレンズを向けてきた鈴木は、カメラを片手に渋谷の移り変わりを眺めてきた。鈴木はなぜ渋谷という街に魅せられ、シャッターを押し続けてきたのだろうか? 写真アーカイブ 2023.022021.112021.072021.052021.032021.022021.012020

    ギンギンにカッコイイ渋谷が、ここにある ― 20年間渋谷を撮り続けた写真家、鈴木信彦インタビュー - TOCANA
  • 風呂ナシ生活のスゝメ

    風呂のない家に住んで半年が経つ。 今のところ、不自由はしていない。 最初に風呂なしの家に住もう、と思ったのは、家賃をおさえる意味ももちろんあったけれど、 単純に、銭湯通いをしたかったからだ。 生活の中に、自分だけのリズム、自分なりの、人生の起点を作りたかったからだ。 昨年の11月ごろの私は、いろいろなものや人に振り回されていて、ボロボロだった。 十二指腸潰瘍になって、仕事を辞めた当時の私は、あばらが浮くほどやせこけ、夜中に胃の痛みで飛び起きるせいで昼間はいつも朦朧としていた。 人生の中に、一日の中に、自分の基準がどこにもなかった。 仕事や人間関係で膿むのは、それ自体が問題なのではなくて、 自分を棹さす地点を、どこにも持っていないからだ、と思った。 昔、家をもたず、京都や東京をふらふらしていた時の経験で、銭湯のよさは感じていた。 どうせひまな人生だ。 銭湯に行く、その30分とか1時間の時間を

    風呂ナシ生活のスゝメ
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