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以前から話題になっていたポケモンのキャラクターを用いた位置情報連動ゲーム(位置ゲー)である「ポケモンGO」が欧米でリリースされて1週間ほどが過ぎた。巷ではポケモンゲットに熱中する外国人や、関連株の値上がり、いわゆる「ポケモノミクス」についての話題でもちきりだ。日本でも同作がリリースされれば海外のような、あるいはそれ以上の熱狂が起きるはずだと当て込んだ人々の落ち着かない動きも、こうした話題への注目に拍車をかけているようだ。 むろん、ポケモン関連市場は国内において非常に大きいから、リリースされればなんらかの動きはあるだろう。一方でまだ同作をプレイしていない僕には、それがコロプラからイングレスまで連なる「位置ゲー」の特徴や課題を共有するものであると見えるし、やや距離を置いて見ていたい気持ちになるところがある。ひとまずこのエントリでは、「ポケモンGO」に限らず、こうした技術が社会に拡がることはどう
岡田育🍥『我は、おばさん』 @okadaic 年末に「どんなことがあったらTwitterから離れて、Twitterにものを書かなくなるの?」という質問を受け、私なりに頑張って回答してみたのだけど、その場には旧来型のソーシャル的思考をする人が一人もいなくて、あんまりうまく説明できなかったのを思い出し、今一人でムカムカしている。 2012-01-02 17:40:49 岡田育🍥『我は、おばさん』 @okadaic 続)「だって3年後にはその人たちがもっと新しくて便利なサービスに移っていっちゃうかもしれないでしょう? それでもあなたは廃墟のようになったTwitterでつぶやき続けると思う? 絶対にユーザがそこを離れていかないサービスってどんなだと思う? Twitterはそうなりうると思う?」 2012-01-02 17:45:53 岡田育🍥『我は、おばさん』 @okadaic 続)……って
今年もまもなく終わりますので、今日はボクボカ(我ながら長いタイトルなので略します)は休みまして、2012年の総括と2013年の展望を書きます。展望とは言いつつも要望みたいなもんです。「こうなるといいなあ」という願い。 僕の願いは「頑張らない」です。ボカロシーンの「頑張らない」化。来年のボカロ界はみんな適当に手を抜いてくれると嬉しいなあと思います。もうねニコ動でボカロ新曲をチェックすると異常事態ですよ。正常に進化を続けたら、いつの間にか異常になってしまったと言いましょうか、時間と手間と、場合によってはお金も投入したハイレベルPVで溢れ返っています。観るほうは嬉しいですよ、なんたって無料だし、時間も5分程度です。気楽な娯楽です。でも制作者側のことを考えると複雑な気持ちになってきます。曲やPVに力を入れるのは「可能な限り良いモノを届けたい」とか「多くの人に見てもらいたい」とか「末長く愛される作品
面倒な人を召還するキーワード - Togetter こんなtogetterをつくったんだけど、その中でfut573さんのはてな村内のポジションの話が面白かったので、ちょっと抜き出してみる。 ポジションの話とはちょっとずれるのだが、小島アジコさんがはてな村民扱いされないとよくボヤいているけど、*1旬の話題にうまく言及するだけでは、村民扱いされなくて、何らかのコミュニティに所属している感じがしないと村民っぽくならないんじゃないかと、いつもはてな村の話をする人が言っていた。 はてな村のなかにあるいろいろなコミュニティに所属するか、またはその人が中心となったコミュニティを作っているか。たとえば、ハックルさんは、ハックルさんに良くも悪くもブクマで言及する人たちがいて、すごいコミュニティ感があった。アンチがいたほうがコミュニティ感があるというのは嫌な話だが。 *1:誰か小島アジコさんにはてな村の住民票
そんなに相手と「一対一で」お近づきになりたい、かなぁ? ましてやリアルでも結びつきたい、かなぁ? ネットで人と仲良くなるためにはプライベートな連絡手段が必須なので、はてなメッセージを強化して欲しい - ARTIFACT@ハテナ系: ネットで人と仲良くなる過程として、「Twitterやブログなどオープンな場所で相手を知る」→「オープンな場所で書かれる文章を読んで相手に強い関心を持つ」→「メールなどのようなプライベートなツールで連絡する」→「会う/skypeなどのインスタントメッセンジャー的なツールでやりとりすようになる」という流れがあるが、 ……そうなるの、やだぁー(笑) 何度も使いまわしの図でアレですけれども、 こういう関係を、ましてオープンでなくウラで反応というか水面下の駆け引きというか、そういうところでしたい、のみならずリアルに持ってゆきたい、って? その方向に行きますか。 こういうの
少し前に映画『ソーシャル・ネットワーク』を観ました。 映画を観た後3時間くらい興奮が収まらず、気を落ち着かせるまでに随分苦労しました。興奮もようやく収まりましたので(笑)、感想を書こうと思います。 なぜそんなに興奮したのか。 1人のプログラマが創ったウェブサービスが世界中に広がったことに対する、プログラマとしての共感。マーク・ザッカーバーグが会社を大きくし、金銭的に大きな成功を収めた事に対する、起業家としての共感。自分の境遇と重なるこうした要素が、他人事では無いストーリーとして、面白かったのです。 しかし、映画を観た他の人の感想を眺めるうちに、他の人が言及していない部分に自分が強く反応していたことに気付きました。「ウェブコミュニティ設計者」としての共感です。ザッカーバーグも自分も、「ウェブコミュニティ設計者」という同じ職業の人間だ!、と強く思いました。 世の中にウェブサイトと呼ばれるものは
丹治吉順 a.k.a.朝P, Tanji Yoshinobu @tanji_y (1)論は嫌いじゃないけど、過熱するのは警戒している。「論」は往々にして先鋭化するから。「ボーカロイド作品は、人の声では実現できない、ボカロならではの表現を目指すべきだ」はその典型。一見説得力があるが、こういう原理主義はほぼ確実に表現の幅を狭め、しばしばそれを殺す。 2010-11-27 03:05:29 丹治吉順 a.k.a.朝P, Tanji Yoshinobu @tanji_y (2)新しいことや他人がまねできないことは、表現の世界では確かに大きな価値がある。でもそれが先鋭化しすぎると、袋小路に迷い込み、往々にして自壊する。いわゆる現代音楽が、理屈の上での新しい表現を求めて自縄自縛になった結果、誰も聴かなくなってしまったように。 2010-11-27 03:08:03
つい先ほど知ったのだが本日の京都大学で「情報社会と人間」という授業がありそのなかでニコニコ動画のアイドルマスターMADを題材にした話がされた模様。情報源はココ「京大でニコマスを題材にした講義が行われたらしい」。 授業で使われたパワーポイントはSlideShareにアップされている。 大学の卒業研究でニコニコ動画を題材にしたものはいくつかみたことがあるし、先日のネットスラングの研究のように論文などで使われることも多い。UGC関係では濱崎先生、武田先生、西村先生による「動画共有サイトにおける大規模な協調的創造活動の創発のネットワーク分析 : ニコニコ動画における初音ミク動画コミュニティを対象として」という初音ミク題材のちょっと有名な論文がCiNii経由でも読める。が、しかしMAD作品をテーマにしたものは珍しいと思う。 さてこの授業はTwitter中継もされたようだが残念ながらその時間に居合わせ
■日本に鎮座する巨大な『不安感』 今の日本に改革が必要であることを否定する人はほとんどいない。今のまま変化しなければ、もはや日本が持たないことも知識や情報のレベルでは知っている人は多い。だが、一方、誰もが自らの身辺に変化が及ぶことを嫌がっている。本能的な拒否反応と言ってもいい程に恐れている。このギャップの背後には、どうやら巨大な『不安感』が鎮座している。この不安感ゆえに、日本ではあらゆる改革は進まず、本来最も豊かなはずの中高齢層の消費も進まない。団塊世代が引退すれば、巨大な消費母体となるというのも幻想であることはすでに明らかになりつつある。 ■『コミュニティ』という大問題 今の日本に蔓延する不安感解消のためには、すでに繰返し語られるように『年金』『医療』等の制度改革は必須だが、ある意味で、それ以上に危急の課題は『コミュニティ』の再構築だと思う。前回のエントリー中で書き切れなかったこの『コミ
Webをビジネスとして捉えると、以前のような根拠のない期待が持てる世界ではない。 もし広告「モデル」にしたければ、なんのメディア価値のないところにPVだけあってもダメだ。少なくともWeb2.0的ビジネスモデルとして言われていたadsenseやovertureが勝手に利益をもたらせてくれるというのが幻想であるということは、はっきりした。 高いPVを背景に低いコンバージョンレートで効果の出る広告は、電車の中刷り広告と同じく高利益率の商品である。(サラ金、エステ、レーシック、ワキガやニキビなどのコンプレックス市場など) それはメディア価値をお互いに高めるような広告とは言い難い。 メディアがなんの意味もなくただ拡大だけを志向している世界にわくわくするような世界は存在しない。(行動ターゲティング広告は、もうちょっと楽しい世界が待ってるかもしれないけど。) そんなところを目の当たりにしつつ、なんとなく
最近ご多分に洩れず、twitterにすっかり嵌っているわけだが、twitterの中でめったに聞かない言葉がある。それは「ググれカス」。「人に聞く前に自分で調べてみろ、努力せず無駄な手間や迷惑を他人にかけるな」というこの言葉は、長くネットの中では公然の「ルール」のように語られ、多くの初心者を震え上がらせていたものだ。しかし、なぜかTwitterの中ではこの言葉が発せられることは、めったにない。(めったに、である。実際にそうしたルールをtwitterに持ち込もうとしている人も見たことはある) ミニブログなどと言われるように、twitterは元々、心に浮かんだ思いや疑問、感情などをそのまま心のままにその場でつぶやいてしまって構わないよ。というところが基本になっている。そのためか、妙に肩肘を張らずに、わからないことは、わからないとつぶやいてしまったほうがいい。自分のフォロワーの数にもよるが、自分に
“すれ違い”の実態は“一期一会”。TDCS,遠藤雅伸氏を講師に「すれ違い通信」をテーマにしたワークショップを開催 ライター:大陸新秩序 「ゲームの神様・遠藤氏と一緒に“すれ違い通信”を使ったゲームを企画!」というキャッチコピーが付けられた,今回のワークショップの講師を務めたのは,ご存じ,モバイル&ゲームスタジオ取締役会長の遠藤雅伸氏。 今回は,すれ違い通信の概要や,この機能をゲームに取り入れるときに考えなければならない問題点などについて,遠藤氏の話を聞きつつ,オリジナルゲームの企画を立てていくという趣向である。 さて,ワークショップではまず,受講者が3〜4人のグループに分かれ,どのようなデータをすれ違い通信でやり取りすべきか,ブレインストーミング形式で話し合った。 すれ違い通信といえば,最近ではニンテンドーDS用ソフト「ドラゴンクエストIX」で話題を集めたばかりだが,受講者のうち,実際に体
そうです、そうです。 ぼくは、「Ruby」という オープンソースのプログラムをつくった まつもとゆきひろさんという人に 「オープンソースの秘密」について うかがったことがあるんですけど、 彼がとても興味深いことを言ってたんです。 どういうことかというと、 彼にはまず、つくりたいものがあるんですね。 誰かのために、というのではなく、 「自分はこういうものがつくりたい」と思って ひとりでダーッとつくっていく。 そうすると、自然に適切な大きさの 問題が生まれていくというんですね。 たとえば、自分のつくりたいことが、 この机いっぱいくらいの大きさだとすると、 「この机いっぱいの大きさのものをつくる」 と宣言してつくりはじめるんだけど、 人間ひとりのできることには限界があるから、 まあ、一部分だけしかできない、と。 そうすると、あいつが言ってたのに できてないところがここにあるぞ、とか、 つくったと
Twitterで「粒谷区」(つぶやく)という言葉が話題になっている。 粒谷区はホフディランのボーカル、小宮山雄飛氏がTwitterで「渋谷区とつぶやくも似てる。」と発言したことをきっかけに、ほかのTwitterユーザーが「渋谷区でつぶやく会を開きましょう」「粒谷区という新しい区をつくるとか」と盛り上がって生まれた架空の特別区。 Twitterで粒谷区スタッフのアカウント「@2289staff」をフォローするか、「転入希望 #2289」と投稿すると粒谷区に転入できるという設定で、すでに2500人以上のTwitterユーザーが粒谷区に転入した。 「粒谷区について」というサイトでは、架空の地域ながらすでに粒谷区民憲章や区の役職が公開されている。先日来日したTwitter創業者のBiz Stone氏が「Twitterは技術ではなく、人間性の勝利」と語っていたとおり、遊び心と想像力を持ったユーザーた
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