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「小金井に住みついて、かれこれ40年になるのですが、よく国立まで買い物に出かけるのです。車で出かけて、行きは東京都国分寺市と国立市の境目にある多摩蘭坂を下り、帰りは逆に坂を上って帰る。ある日、帰りの坂道を車で上っているとき、ふと道路脇に目を移すと、駐車場の看板のようなものに『たまらん坂』と書いてあるのですよね。 それまで漢字でしか頭に描いたことがなかった多摩蘭坂が、ひらがなとして目の前に現れることで、まったく違ったイメージがわき上がってきたのです。ああ、これは『たまらねえ』のだなと。それが作品のモチーフとなりました」 こう語るのは、「内向の世代」を代表する作家の一人、黒井千次だ。黒井が、短編小説『たまらん坂』を発表したのは、文芸誌「海」の1982年(昭和57年)7月号においてのこと。「多摩蘭坂」は当て字で、本来は「たまらねえ坂」=「たまらん坂」ではないか…そう思い込み、名前の由来を図書館に
亡くなる8年前の2001年(平成13年)、50歳になった清志郎は、一大決心をする。 自転車による東京-鹿児島1500キロのロング・ライドだ。雪山で遭難した52歳の息子を、80歳の父親が吹雪のなか探しまわり、無事救出したという記事を新聞で読み、「父親たるものは、体力的にも強くなくてはならない」と強く感じたからだ。 その清志郎の元に一通の手紙が届く。清志郎の幼なじみで、当時自転車雑誌「サイクルスポーツ」の編集長を務めていた宮内忍(現「チクリッシモ」編集長)からで、同行取材の申し出だった。清志郎の決意を雑誌の記事で知り、手紙を送ったのだ。 幼稚園から中学まで一緒だった2人は、当時住んでいた東京の国立から清志郎の実家がある西多摩まで一緒にサイクリングした仲である。清志郎の記憶の底には、いつも自宅前で自転車をいじっていた宮内の姿が強く印象に残っていた。ロング・ライドを決意した清志郎の前に、あの自転車
清志郎さん 生前書き記した「小説(?)」自宅から見つかる
坂本九「上を向いて歩こう」が1961年に書き下ろされてから50年。2011年7月27日に「上を向いて歩こう」RCサクセションの配信がスタートした。 ◆忌野清志郎画像 この楽曲は、かつて1970年代も終わりに差しかかった頃から、RCサクセションがライブでカバーし歌い始めた曲だ。「上を向いて歩こう」が持つビート感や坂本九の歌を、ロックンロールとして忌野清志郎が高く評価し、亡くなる直前まで30年以上に渡りライブでは必ず「日本の有名なロックンロール!」と観客に叫んでステージ最高潮時に歌ってきた曲でもある。 1979年に発売されたRCサクセションのシングル「ステップ!」のカップリング曲として収録され、そこには、リアルタイムに坂本九を知らない世代に伝承してきた歴史がある。 その「上を向いて歩こう」ロックバージョンが、初めて配信となって今回蘇えることとなった。今回配信されたのは、RCサクセションのアルバ
震災後、きめ細かい情報や人々を癒す音楽などで、再び高く評価されているラジオ。FMラジオ「Inter FM」でピーター・バラカン氏がDJを務める番組「BARAKAN MORNING」(月~金、7~10時)もそのひとつだが、騒動は4…震災後、きめ細かい情報や人々を癒す音楽などで、再び高く評価されているラジオ。FMラジオ「Inter FM」でピーター・バラカン氏がDJを務める番組「BARAKAN MORNING」(月~金、7~10時)もそのひとつだが、騒動は4月1日、金曜日の朝に起きた。突然、バラカン氏がこう言い始めたのだ。 「僕は忌野清志郎さんの声が実はあまり好きじゃないので、これまでかけてこなかった。でも、多くのリクエストがあり、詞を見て、今かけるべき曲じゃないかと考え、『ラヴ・ミー・テンダー』をかけようと思ったのですが、局に止められてしまいました」 『ラヴ・ミー・テンダー』とは、RC
09年5月に他界した歌手忌野清志郎さん(享年58)の三回忌にあたる2日、東京・日本武道館で追悼ライブが開かれた。 泉谷しげる(62)は、東日本大震災後に注目を集めている清志郎さん率いた「RCサクセション」の反原発ソング「サマータイム・ブルース」を熱唱。同曲は動画投稿サイト「ユーチューブ」で関連動画が計100万ダウンロードを超え、CD店で売り切れが続出している。 「サマータイム・ブルース」は米歌手エディ・コクランの同名曲の替え歌。清志郎さんは今から20年以上前に「日本の原発は安全です さっぱりわかんねえ 根拠がねえ」と歌い、原発を痛烈に批判した。 同曲を収録したアルバム「COVERS」は、当時の東芝EMI(現EMI)が突然発売を中止した日本ロック史に残る問題作。その理由を同社は明確に明かさず、清志郎さんは激しく反発した。原子力産業の中核を担う親会社に配慮したのが理由とみられている。 それから
テレビ&ラジオニュース 「光市母子殺害」ドラマ化…取材記者の心情の変化描く (9月9日) 1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件を扱ったドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」が25、26の両日午後9時から、WOWOWで放送される。(小間井藍子)(9月9日) [全文へ] テレビ&ラジオニュース 消防隊密着300時間の実録 (9月9日) CS専門チャンネルのMONDO21は今月9日と23日いずれも午後11時から、消防署員の知られざる日常に迫るドキュメンタリー「CALL 119」を放送する=写真=。(9月9日) [全文へ] CD BEGIN新作アルバム「オモトタケオ3」 (9月9日) 沖縄出身の3人組BEGINが、新作「ビギンの島唄(うた) オモトタケオ3」(インペリアル)を出した。(9月9日) [全文へ] CD 内モンゴル出身オルリコがデビュー (9月9日) あこがれはテレサ・テン(9月
昨年亡くなったロック歌手・忌野清志郎さんの一周忌にあたる2日、忌野さんの実家近くの東京都国立市で、地元有志による追悼イベントが開催される。 同市は、RCサクセションの曲「多摩蘭坂」の舞台となる坂があるなど、ファンの聖地として知られる。デビュー前の素顔を知る元商店主が思い出を語るとともに、ゆかりの地を紹介するイラストマップも無料配布する。 イベントを呼びかけたのは、JR中央線国立駅北口で商店を営んでいた森田豊彦さん(69)。忌野さんの実家とは家族ぐるみでつきあいがあり、アルバム「夏の十字架」にも森田さんの写真が掲載されている。 マップは、「国立・国分寺 きよしくんマップ」のタイトルで、忌野さんのファンでもある女性イラストレーターが、森田さんの話を基に作成した。ファンの聖地「たまらん坂」をはじめ、初めてギターを買った楽器店、画家志望だった忌野さんが画材を買いに通った文具店などが描かれている。
“KING OF ROCK”忌野清志郎がこの世を去って、2010年5月2日でちょうど1年。彼の早すぎる死を悼んで、ノンフィクション作家・神山典士が綴った渾身のドキュメント『忌野清志郎が聴こえる~愛しあってるかい』がアスコムより発売された。 【関連情報】『忌野清志郎が聴こえる~愛しあってるかい』の書籍情報 この書籍は、2009年に雑誌『フライデー』に連載された「忌野清志郎伝、あのシャウトが聴こえる」の大改訂版。 追加取材中には、清志郎が高校時代の初恋の女性に贈った幻の未発表曲の音源も発掘された。その音源の全貌や、デビューからの不遇の8年間、初めてメイクをしたステージのこと、亡き母の思い出と出生の秘密、晩年リリースされたアルバム『夢助』に込められた想いなど、58年間の生涯を駆け抜けた清志郎の熱いスピリッツが関係者の証言、知られざるエピソードとともに語られている。 なお、著者・神山典士が主宰する
作家・神山典士の作品を販売するサイト「神山典士・熱血e‐ライブラリー」がオープンした。過去の単行本は1章100円、雑誌に発表した作品は基本的に無料でダウンロードできる。 同サイトでは、オープン記念として、5月2日に1周忌を迎える忌野清志郎のドキュメント作品「忌野清志郎が聴こえる~愛しあってるかい」の第1章と終章を無料で公開する。 同作品は、4月28日に新刊本(全9章)として全国書店で発売されるもの。昨年「週刊フライデー」に連載された「忌野清志郎伝、あのシャウトが聴こえる」の大改訂版だ。追加取材の過程で発掘された初恋の女性に贈った幻の音源の全貌や、デビューからの不遇の8年間、初めて化粧をしたステージ、亡き母の思い出と出生の秘密、晩年のアルバムタイトル「夢助」に込められた想いなどを通し、忌野清志郎の58年間の生涯が描かれる。第1章と終章の無料公開は7月までとなっている。 《織本幸介》
昨年5月に死去したロック歌手忌野清志郎さん(享年58)の新アルバム「Baby#1」に、長男の竜平(たっぺい)さん(21=大学生)が参加していることが10日、分かった。新アルバム発売は、1月14日に発表されていたが、89年の未発表音源を基に、竜平さんが仲井戸“CHABO”麗市(59)ら生前に父が親しかったメンバーたちと協力し、完成させたことも新たに分かった。 清志郎さんが、21年前に米ロサンゼルスで録音して、その後行方不明だった幻の音源が、昨夏に東芝EMI(現EMIミュージックジャパン)の静岡・御殿場工場の倉庫で発見された。清志郎さんの録音エンジニアだったZAK氏が制作の指揮を担当。RCサクセションの元メンバーCHABO(チャボ)や、08年2月の生前最後のライブでも演奏したサックス梅津和時、片山広明、渡辺隆雄、旧友の歌手金子マリらもレコーディングに参加した。 竜平さんも、コーラスを担当した。
故・忌野清志郎さんの作品も展示された都立日野高校の「OB展」=東京都国立市の「コート・ギャラリー国立」 昨年5月に58歳で亡くなったロックシンガーの忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんが、毎年作品を出品していた母校・東京都立日野高校OBらによる美術展が、東京都国立市のギャラリーで始まった。「有名人としてではなく、友達として静かに見守りたい」。そんな同窓生らの思いから、遺作はほかの作品と一緒に並んでいる。 OB展は、同校の元美術教諭で、ヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルにもなった小林晴雄さん(78)を慕う同窓生らが集まり、30年ほど前から年に1度開いてきた。清志郎さんは10年ほど前から出品し、06年にがんの闘病生活に入っても続けていた。 今年の清志郎さんの出品作品は、白と黒の2色で猫やフクロウなどを描いた3点。生前に描かれたもののなかから家族が選んだという。清志郎さんの同級生で、自
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