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戦争に関するakakitのブックマーク (176)

  • 徳島大空襲で社屋焼失 再刊の本紙第2号発見|徳島ニュース|徳島新聞デジタル

    戦後再刊した徳島新聞の第2号となる1945年10月2日付の新聞=写真=が大津市の新聞収集家山名隆三さん(79)宅で見つかった。紙面では、印刷機が設置された機械室の様子を伝える写真に「起上がつた(起き上がった)徳島新聞」との見出しを添え、再出発の決意を表す記事を掲載している。これまで徳島新聞が所蔵していなかった貴重な資料で、山名さんは紙面を徳島新聞に寄贈した。 再刊第2号はA2判2ページ。徳島新聞の再起を伝える記事は2面に掲載し、「歪められた筆の時代は去つた(去った)のです。お約束します。正しい真実を皆様に報告することを」との決意を記している。 1面では、連合軍司令部が外地の金融機関を接収することや、財閥の解体が迫っているニュースを報じている。 徳島新聞は45年7月4日未明の徳島大空襲で徳島市幸町にあった社屋が焼失し、輪転機は鉄くずになった。7月5日付~8月3日付は、板野郡(現在の鳴門市)撫

    徳島大空襲で社屋焼失 再刊の本紙第2号発見|徳島ニュース|徳島新聞デジタル
  • 『近代日本の人類学史 帝国と植民地の記憶』 中生勝美著 評・月本昭男(旧約聖書学者・上智大特任教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    戦前、戦中の研究実態 刺激的なである。書には、評者のような団塊の世代の者が学生のころ、東洋史や民族学、宗教学や文化人類学の 碩学 ( せきがく ) としてその名を記憶した研究者が次々と登場し、日が帝国を名乗った時代、彼らが日の植民地やその周辺地域で実施した調査の実態が明らかにされてゆく。 日清戦争後、清から台湾を割譲させた日は、その後、朝鮮を併合し、南洋群島の植民統治に乗り出してゆく。1930年代には満洲に 傀儡 ( かいらい ) 国家を樹立させた。そして、各地域の古い慣わしを調査して、植民地の法律や土地制度を「整備」し、効率的な支配を模索した。台北とソウルに設立された帝国大学はそうした旧慣調査を担うだけでなく、東南アジア、満洲、蒙古、 新疆 ( しんきょう ) などで民族調査を進めてゆく。戦時中には、大東亜共栄圏建設という国策にそって設置された民族研究所が現地調査を推進し、日

    『近代日本の人類学史 帝国と植民地の記憶』 中生勝美著 評・月本昭男(旧約聖書学者・上智大特任教授) : ライフ : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」:朝日新聞デジタル

    旧日軍の細菌戦部隊731部隊に関して市民団体が29日に開いた講演会について、県が後援申請を断っていたことが明らかになった。尾﨑正直知事は30日の定例記者会見で「当該の部署が自分の所管する事業に該当しないと判断した」と説明。その上で「後援しないという判断は果たしてどうだったのかなと思っている」と疑問を呈した。 尾﨑知事は「(後援申請を判断した)地域福祉部の所管に照らせば当該部署の事業に該当せずということだったのかもしれない。結果としてセクショナリズムに陥ってしまったのではないか」と原因に言及。県の後援申請取り扱い要領では部署ごとに後援申請の可否を判断しているが、県庁全体の視点で判断するよう改めるという。 また、尾﨑知事は「平和行政の推進は県の職務であり、戦争歴史に学ぶことが県の施策の推進に寄与しないことはあり得ない。公益に資する議論の場の確保を我々は応援すべき立場にあるのだろう。自由な議

    高知県、731部隊講演の後援断る 「事業に該当せず」:朝日新聞デジタル
  • &w[and w] | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]

  • コラム別に読む : ヒトラーに抵抗した人々 [著]對馬達雄 - 長山靖生 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■ナチスの手口の巧妙さ 戦争がもたらす最大の恐怖は、平和な時の道徳が失われることだ。 戦争中では敵を殺すことが奨励される。また反対する者を憎悪し、安易に攻撃するようになってしまう。これはどの民族、どこの国民もが仕出かしてしまう過ちだ。なかでもナチス・ドイツのユダヤ人虐殺は、組織的に計画的に「根気強い」といっていい執拗さで継続的に行われた。 それでも、ドイツにもヒトラーに抵抗をし続けた人々がいた。学生や知識人、あるいは名誉を重んじる軍人、そして特に権力を持たない一般市民の一部が、ユダヤ人を匿い、亡命を手助けし、ヒトラーの暗殺を計画した。 しかし書で強いインパクトを感じるのは、抵抗者たちの美談や戦時下にもあったドイツ国民の良識より、良識的な思考を保つ人々を追い詰めるナチスの「合法的」な手口の巧妙さのほうだ。 ナチスは「悪意法」を制定し、国家と党に対する「悪意ある攻撃」を犯罪と定め、「ユダヤ人

    コラム別に読む : ヒトラーに抵抗した人々 [著]對馬達雄 - 長山靖生 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 『戦場中毒』恍惚感という現実 - HONZ

    新聞社が社員を派遣しない危険地帯に潜り込むフリーランスの戦場カメラマン、横田徹氏の著書である。今年1月のISISによる邦人人質事件の際には、2週間で36テレビ番組に出演し、さらに新聞や雑誌の取材を10受けていたというので、名前を知る人も少なくないだろう。 アフガニスタン、パキスタン、シリア、パレスチナ、リビア、ソマリア、カンボジア、コソボ……。著者が撮影に訪れた場所を挙げるだけで、背筋が寒くなってくる。書かれる戦場事情は、報道ではなかなか伝えられないものが多い。特に、10回以上従軍取材を行っているイラク戦争の実情については詳しく書かれている。 戦場と一口に言っても、その生活環境は場所によって開きがある。最前線の前哨基地では、3度の事はほぼ保存のMREのみ。水道も無いため、体はペットボトルの水で洗うしかない。一方で、最前線や僻地を除けば、アフガニスタンやイラクのアメリカ軍基地では、

    『戦場中毒』恍惚感という現実 - HONZ
  • (あのとき・それから)昭和15年 サラリーマンの源泉徴収開始 遠ざけられた納税者意識:朝日新聞デジタル

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    akakit
    akakit 2015/10/12
    2014年の話だったのか。。。
  • 1945年、日本が受け入れたポツダム宣言には、何が書かれているのか(現代語訳)

    我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日に与えることで意見が一致した。 アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日に対して最後の一撃を加える体制が整っている。この軍事力は、日が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。 世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日の人々に対しても極めて明快な例として示されている。現在日に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日軍は壊滅し、また、日の国土は焦土と化すだろう。 日が決断する時は

    1945年、日本が受け入れたポツダム宣言には、何が書かれているのか(現代語訳)
  • 国の会計上の「戦後処理」終了へ 政府が政令案閣議決定 - 日本経済新聞

    政府は29日、第2次世界大戦の終戦前に朝鮮や台湾で使うお金の資金源となっていた「旧外地特別会計」の1944~45年度の決算をつくる政令案を閣議決定した。朝鮮総督府特別会計など10の特会が対象。特会の剰余金など約8億円は2015年度の一般会計に繰り入れる。財務省によると、国の会計上の「戦後処理」はこれですべて終結することになる。決算を作成するのは日政府が朝鮮と台湾、樺太、関東州、南洋で使ってい

    国の会計上の「戦後処理」終了へ 政府が政令案閣議決定 - 日本経済新聞
  • ニック・タース『動くものはすべて殺せ』 | みすず書房

    白井洋子先生(日女子大学教授、アメリカ史)より、書のためにエッセイをご寄稿いただきました。 民間人無差別大量殺戮と「憂慮する」兵士たち 白井洋子 ベトナム戦争終結から40年目の今年、アメリカ合衆国国防総省のホームページは「ベトナム戦争50周年記念」として、ベトナム戦争従軍兵士とその家族に感謝し、栄誉を讃えるさまざまな企画の報告記事と写真で飾られた。そこでは40年前に敗北した戦争終結の歴史は何も語られていない。米国政府は1965年を公式なベトナム戦争開始の年としている。その前年の64年8月、米国は、トンキン湾事件への報復として北ベトナムを爆撃し、翌65年2月以降、北ベトナムへの継続的な空爆作戦を展開した。3月には、米軍最初の地上戦戦闘部隊として海兵隊2個大隊3500人が沖縄の米軍基地からダナンに上陸、7月、同じく沖縄から発進した30機のB52がサイゴン南東地域を爆撃した。戦争アメリカ

    ニック・タース『動くものはすべて殺せ』 | みすず書房
  • (にっぽんの現在地)歴史に学ぶ 日本人と戦争の関係を見つめてきた作家・半藤一利さん:朝日新聞デジタル

    公開中の映画「日のいちばん長い日」は、第2次世界大戦の最終盤に日の中枢部で繰り広げられた“運命の24時間”を描く作品だ。原作者は作家の半藤一利さん(85)。敗戦間近の東京大空襲では自らも命を失いかけ、戦後に日国憲法の産声を聞いた。戦後70年の今、半藤さんの目に“この国のかたち”はどう映るのか。 ――半藤さんのノンフィクション作品「日のいちばん長い日」は衝撃的でした。たとえば、連合国に降伏するという政府の方針に反対して徹底抗戦を叫んだ軍人の存在です。一時は武力で皇居(宮城)を封鎖していたのですね。 「ええ、一種のクーデターでした。『ポツダム宣言を受諾して戦争を終結させるという今の政府の決断は間違っている。だから、自分たちの思うような政府に変えて政策をひっくり返さないといけない』。そう考えた一部の軍人たちが、暴力で国家をひっくり返そうとしたのです。軍隊は武装した組織です。どこの国でもク

    (にっぽんの現在地)歴史に学ぶ 日本人と戦争の関係を見つめてきた作家・半藤一利さん:朝日新聞デジタル
  • V.A. / みんな輪になれ ~軍国音頭の世界~ | EL SUR RECORDS

    投稿日: 2015年6月15日 ぐらもくらぶ, JAPAN CD ¥2376 (2015) 在庫あり SP音源復刻でお馴染みの<ぐらもくらぶ>がお送りする、 戦前に吹込まれた『音頭』の中から軍事やプロパガンダに関連する音源を集めた前衛的なコンピレーションアルバム! 『不平不満はお国を潰す!みんないくさに勝つためだ!』 国民を体感で動員する音楽、同調圧力を醸成する音楽、それが「音頭・盆踊り」だ! 農村社会・職場や学校などにおいて体に叩き込まれるリズムと歌詞。 戦前におけるプロパガンダと動員音楽の神髄が日独自のダンスミュージックこと『音頭』である! <終戦70周年記念企画> 音楽と社会との繋がりを検証する、ぐらもくらぶの「戦時プロパガンダシリーズ」! 戦前に吹込まれた『音頭』の中から軍事やプロパガンダに関連する音源を集めた、 「ぐらもくらぶ」ならではの前衛的なコンピレーションアルバム。 音頭

  • FNSドキュメンタリー大賞

    南方の島・パプアニューギニアに出征し、帰らぬ人となった歌手・上原敏… 彼の生涯を辿りながら、戦後55年の日を検証する渾身のドキュメンタリー!! 第9回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 『ジャングルの鎮魂歌 ~上原敏と戦後~』 (制作 秋田テレビ) <9月26日(火)深夜26:10~27:05放送> 「上原敏という歌手を知ってますか?」と質問して「知ってる」と答えられる人はそう多くないだろう。もし「知っている」と答えられたとしても、「彼のヒット曲は?」という質問に答えられる人は、ほとんどいないのではないだろうか? 上原敏は、秋田県大館市出身の歌手だ。昭和11年に27歳の時にデビューしたが、18年に召集され、翌19年に南方の島ニューギニアで戦病死した。享年36歳だった。同世代の郷里の先輩に、東海林太郎がおり、秋田県内でも東海林太郎は知っていても上原敏を知る人はそう多くない。 「当然、

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  • ソ連将校のレイプ、満州での飢餓 澤地久枝「すべてを話しましょう」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

    戦争は、私が少女であることを許さなかった 幼いころから戦争が終わるまで、私は満州にいました。そのころ常に考えていたのは、「もっと戦争のために、自分ができることはないのか」ということ。〈欲しがりません勝つまでは〉をたたきこまれた軍国少女は、「どんなにひもじくても、事のときは子供茶碗一膳しかべない」という決まりを自発的に守っていました。 そのうえに配給制がはじまり、子どもたちはどんどん栄養不足になる。弟は脳脊髄膜炎になり、私も妹も猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり、生死の境をさまよいました。全身の皮膚がずるむけになってね。痛くって痛くって……。 栄養失調で死ぬ人を何人も見ましたね。特に、満州から日に引き揚げるまでの難民生活の中では、いくつ子どもの死体を見たか、わかりません。お墓をつくる余裕もないから、枯れ木みたいになった死体を裏山の穴に捨てるのです。 そんな環境で生きるなかで、私の生理は止

    ソ連将校のレイプ、満州での飢餓 澤地久枝「すべてを話しましょう」(現代ビジネス編集部) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
  • 鶴見俊輔が戦場で味わった「恐怖」と戦後に下した「決断」(魚住 昭) @gendai_biz

    鶴見俊輔さんが戦地で味わった恐怖 哲学者の鶴見俊輔さんが亡くなった。93歳だった。 「安保の夏」に逝くなんて、もっと生きていてほしかった。鶴見さんが何かあったら発言してくれる。そう思うだけで、心強い気持ちになれたのに……。 あれこれ感慨にふけっていたら「SEALDsKANSAI」のメンバーである塩田潤さん(24歳・神戸大大学院生)の「鶴見さんたちの存在があるから僕たちがある」というコメントが朝日新聞に載った。 さすがSEALDsの一員である。鶴見さんという「どんな教条からも自由な知性」(社会学者の上野千鶴子さんの言葉)が耕した土壌があるから、彼らの反安保運動が広がるのだとちゃんと分かっている。 では、なぜ鶴見さんは戦後を代表する思索者になったのだろう。その理由は『戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く』(鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二の共著・新曜社刊)で余すところなく語られている。 祖

    鶴見俊輔が戦場で味わった「恐怖」と戦後に下した「決断」(魚住 昭) @gendai_biz
  • 日本のオーストラリア本土攻撃 今も根強い「侵略説」:朝日新聞デジタル

    南方からの視線 戦後70年 オーストラリアの国家史上、土を攻撃した唯一の外敵が日。今も「日の豪州侵略説」が広く信じられている。 「日軍は鉱物資源が豊富なこの国が欲しかったのだ。米軍が来なければ、豪州は日に侵略されていた」。メルボルン郊外にある高齢者向け施設の個室で、ノーム・ファーネスさん(93)は繰り返した。 真珠湾攻撃から間もない1942年1月、日軍は豪州の国際連盟委任統治領だったニューブリテン島(現パプアニューギニア)のラバウルを攻撃した。豪州軍の準備は乏しく、数時間で撃破された。 ファーネスさんは駐屯していた約1400人の兵士の1人だった。「自分の身は自分で守れ」と命じられ、ジャングルへ逃げ込んだ。10週間後に救出され、粗末な船で島から脱出。帰国時は、80キロの体重が57キロまで減っていたという。 豪州は1901年に連邦国家となった後も旧宗主国の英国と結びつきが強く、「英

    日本のオーストラリア本土攻撃 今も根強い「侵略説」:朝日新聞デジタル
  • (新ポリティカにっぽん)戦後70年の「いやな感じ」:朝日新聞デジタル

  • 佐藤優さんに聞く 日本の転換点となった出来事は?:朝日新聞デジタル

    「日の転換点」を考えるアンケートは、作家で元外務省主任分析官の佐藤優さんに協力していただきました。佐藤さんの「日の転換点」は――。 【1951年のサンフランシスコ講和条約締結】 沖縄の米軍基地や北方領土、安倍晋三首相に代表される歴史修正主義の動きなど、戦後日の最も重要で未解決の諸問題は、この条約が発端となっている。 早期の講和を望む日は沖縄だけ独立の対象から外し米軍基地を押しつけ、範囲もあいまいなまま千島列島を放棄した。それでいて、政治エリートたちはこの条約への根源的理解を欠き続けた。 この条約は国際法でいう「処分的条約」。第1次世界大戦後のベルサイユ条約と同じで、敗戦国の処遇を決めるもの。それを受け入れて国際社会に復帰したのに、戦犯を祭る神社を国のトップが参拝したり、東京裁判を否定したりするのは、国際政治のルールブックを無視する行為だ。我々は講和体制という世界秩序に組み込まれてい

    佐藤優さんに聞く 日本の転換点となった出来事は?:朝日新聞デジタル