星野源が9thシングル『恋』を10月5日にリリースした。昨年12月2日にリリースされ、大ヒットを記録した4thアルバム『YELLOW DANCER』以来となる待望のニューシングルだ。 今回のインタビューでは、その『YELLOW DANCER』で打ち立てた“イエローミュージック”のコンセプトから音楽への取り組み方、今作に与えた影響など『恋』収録曲について星野源の現在の考えが詳細に語られている。聞き手は音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏。(編集部) 「自分の感覚に自信をもてるようになった」 ――『YELLOW DANCER』のリリースから約10ヶ月が経過しました。『YELLOW DANCER』は星野さんのキャリア的にも日本の音楽シーン的にもエポックメイキングな作品になったと思いますが、改めて星野さん自身『YELLOW DANCER』で得た最大の収穫はなんだと考えていますか? 星野:自分の好きな音楽
ハンバート ハンバートの新作「FOLK」は、誰のサポートも入れずに2人だけの歌とギターで作り上げた無添加純正作品と言うべき内容となっている。こういったスタイルで彼らがアルバム作りに臨むのは意外にも今回が初。佐藤良成と佐野遊穂のおなじみの掛け合いの面白さもより際立つ結果となっており、もちろん入門編としても最適だ。 そんな彼らができ上がったばかりのアルバム「FOLK」を携えて、尊敬する大先輩・細野晴臣がホストを務めるInterFMのラジオ番組「Daisy Holiday」に出演。番組収録はベートーベンの置物が厳かに鎮座する細野のプライベートスタジオにて行われた。 収録当日に2人が持参していた1枚のはがき。そこには彼らがこのアルバムを作るうえで大切なモチベーションとなったメッセージが書かれていた。送り主の欄には細野の名前がある。彼らに「FOLK」という直球な題名の作品を作らせることになった言葉と
40年に及ぶ細野晴臣のキャリアを、歴代のエンジニアが細野本人と共に辿った書籍「細野晴臣 録音術~ぼくらはこうして音をつくってきた」が、現時点で3刷を記録するなど話題となっている。同書の著者は、World StandardやSoggy Cheeriosでの活動に加え、プロデューサーとして南寿あさ子やハナレグミ、羊毛とおはならを手掛けてきた鈴木惣一朗。細野が84年に立ち上げたレーベルであるノンスタンダードから音楽家デビューを飾って以来、30年近くに渡って偉大なる音楽家を近くで見てきた人物だ。 鈴木はなぜ、〈録音術〉という観点から細野の歩みに迫ろうと考えたのか? 今回Mikikiでは、「スタジオの音が聴こえる 名盤を生んだスタジオ、コンソール&エンジニア」の著者で、自身もプロ・エンジニアである音楽評論家の高橋健太郎が鈴木にインタヴューする形で、細野とスタジオ録音史について2人に語ってもらった。
レーベルの顔は、細野晴臣。第一弾リリースも彼の12インチシングル『メイキング・オブ・ノンスタンダード・ミュージック』だった。当時、本作を手にした方はちょっとした衝撃だったはず。A面には7分に渡るディープなエレクトリック・ファンクが収められ、B面には対照的にラフなシンセ音がきままに奏でられる。おまけに、漫画や小説がたっぷり詰まった書籍まで付属されていた。それだけ気合の入ったレーベルのスタートだったのだろう。直後に登場したアルバム『S・F・X』も、この延長線上ともいえる怪作だった。この無機質なビートは、後にF.O.Eというユニットにつながっていく。細野の最もラジカルな時代といってもいいだろう。 ただ、ノンスタンダードの他のラインナップは、もう少しポップな世界観を持っていた。メロディアスなテクノ・ポップを追求したShi-Shonen、カラフルな無国籍ポップスを奏でるワールドスタンダード、エッジの
細野晴臣が、6月12日にNHK総合で放送されるドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』に出演することがわかった。 2012年から放送されている『ファミリーヒストリー』は、各界の著名人の家族の歴史を紹介するドキュメンタリー番組。『細野晴臣~タイタニックの宿命 音楽家の原点~』というサブタイトルで放送される今回は、日本人唯一のタイタニック号の乗客だった細野の父方の祖父と、ヤマハの前身である日本楽器製造でピアノ調律を学び、調律師の草分けとなった母方の祖父にスポットを当てる。 番組では、「タイタニックの生き残り」という重荷を背負うことになった細野家の事故前と事故後の様子が明かされるほか、大学生時に調律師になりたいと言った晴臣に「ダメだ」と答えたという母方の祖父の真意が明らかになるという。
細野晴臣が1月20日、京都精華大学にて特別講義を行った。細野は同大学で2013年度に開設されたポピュラーカルチャー学部で客員教員をつとめており、これまでにも「いい音楽とは何か」「どういった音を求めるか」など、第一線で活躍してきたミュージシャンならではの視点で教壇に立ってきた。2015年最初の特別講義となる今回は、自身の“土台”を作ったテレビ文化の話や、音楽史における「特異点」について語った。 細野によると、音楽史的に「特異点」と思われるアーティストでも、名前が広く知られたり、後世に残ったりするとは限らないという。「考古学のように音楽という地層をもぐっていくと、そうした音楽に出会えます。今は聴く手段が増え、便利な時代になりました」と話し、近年は古い音楽を探って聴いていることを明かした。 細野が時代に「特異点」をもたらした人物として名前を挙げたのは、「とんねるず」「ザ・ピーナッツ」の名付け親と
細野晴臣×坂本龍一、貴重なコラボライブ映像を収めたBlu-ray&DVDが発売決定! Music | 2015.02.10 Tue 細野晴臣が2013年12月に東京・EX THEATER ROPPONGIで行った2DAYSライブの初日、坂本龍一とのジョイントライブの模様を収録したBlu-rayおよびDVD『細野晴臣×坂本龍一 at EX THEATER ROPPONGI 2013.12.21』が、2015年3月18日(水)に発売される。 イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で活動を共にしながら、細野晴臣と坂本龍一が2人だけで演奏するのは2度目だったという貴重なライブは、伊藤ゴロー、青葉市子、小山田圭吾、U-zhaanら豪華ゲストも登場し、細野と坂本がこれまでのキャリアで発表してきた楽曲やカバーなど、さまざまな楽曲が演奏された。終盤には高橋幸宏も登場し、シンセサイザーを用いずにアコース
はっぴいえんど、YMOなどで活躍した日本を代表するミュージシャンであり、今もなお第一線で作品を発表し続ける細野晴臣。彼がLA、ハワイからロンドン、パリ、東京まで、世界各地の土地柄と音楽について語り尽くした書籍『HOSONO百景』(河出書房新社)が評判を呼んでいる。雑誌『TRANSIT』人気連載を元にした同書は、氏の旅行記の体裁を取りつつ、随所で音楽に関する深い考察が披露されており、音楽ファンにとっても必読の一冊といえる。今回、リアルサウンドでは同書の刊行を期にインタビューが実現。聞き手に音楽評論家の小野島大氏を迎え、現在の音楽観や、ルーツに対する考え方を中心にじっくりと話を聞いた。(編集部) 「知れば知るほど、自由が効かなくなるっていうのはある」 ――非常に楽しく拝読させていただきました。興味深い記述はいくつもあったんですが、まずニュー・オリンズの音楽の話のところで(「ニュー・オリンズの”
写真家・野上眞宏によるiPad向けの写真集アプリ『野上眞宏のSNAPSHOT DIARY』が、11月にリリースされる。 野上眞宏は、鋤田正義に師事し、1970年代に渡米したニューヨーク在住の写真家。はっぴいえんど、細野晴臣、大滝詠一、サディスティック・ミカ・バンドといったアーティストのジャケット写真などで知られている。 『野上眞宏のSNAPSHOT DIARY』は、野上が「写真日記」として撮りためていた1960年代から1970年代の作品を中心に、初公開作品も含む4000点以上の写真で構成。1万5千カットにおよぶフィルムからセレクトされた作品を修復・デジタル化して制作された。野上が学生時代から行動を共にしていたはっぴいえんど、Apryl Foolをはじめとするアーティストたちの姿、当時の若者文化や東京の風景などが捉えられている。 さらに同アプリには、野上の作品解説やエッセイ集も収録。オーディ
世界各地の土地柄と音楽について語り尽くした新著『HOSONO百景』(河出書房新社)の刊行を期に行った細野晴臣へのインタビュー後編。1940年代音楽の”再発見”など、ポピュラー音楽の豊かな鉱脈について語った前編に続き、後編では自身のキャリアを振り返りつつ、リズムに対する考え方や、音楽における"謎”について含蓄あるトークを展開してもらった。聞き手は小野島大氏。(編集部) 「僕がやってきた時代を通して、ずっと少数派でした」 ――文化の継承という点でいえば、この書にも、今の日本の音楽家はルーツの意識が薄らいでいるんじゃないかということを述べられてますよね(21P)。異文化を受け入れて自分のものにしていくという過程が欠如してるんじゃないか、と。 細野:まあそれも何にも知らないで言ってる意見なんで、実際はどうなんだか。昨日テレビ見てたら、リトル・リチャードに影響受けたような若いバンド…名前忘れちゃった
本日は、大瀧のラストワークとなるアルバム「EACH TIME 30th Anniversary Edition」の発売日であり、1981年に名作「A LONG VACATION」がリリースされた日。その後のカタログもほぼ同日の発売だったように、大瀧が強いこだわりを持っていた日だった。また会場となったSME乃木坂ビルは、地下にレコーディングスタジオがあり、大瀧は晩年ここでほぼすべての仕事を行っていた。仕事場として思い入れのある、彼にとって東京の自宅と言っても過言ではない場所ということでお別れ会の開催地に選ばれた。 会場には、菊、蘭、ユリの花などで彩られた祭壇の上に大瀧の遺影が飾られていた。遺影は1982年(当時34歳)のTBSラジオ「ゴー!ゴー!ナイアガラ」収録時の写真が、遺族の意向によって選定された。会の初めには黙とうが捧げられ、主催者代表としてソニー・ミュージックレコーズ代表取締役の村松
Opening TM:Minute Merengue/Harry Breuer M1 : (Let Me Be Your) Teddy Bear/Elvis Presley M2 : Get Together/The Youngbloods M3 : Massachusetts/The Bee Gees M4 : Never My Love/The Association M5 : 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)/Harpers Bizarre Ending TM : The Song Is Ended/Stanley Black 大瀧詠一さんとの出会い 今日は大瀧詠一の話に終始すると思います。これを録ってる日にちはですね、大瀧くんの告別式の翌々日-------岡田くんが来てます。いろいろ話ましょうね。大瀧くんと会った頃の話を中心にね。その
細野晴臣が東京・EX THEATER ROPPONGIで行う2DAYSライブの初日として、坂本龍一とのコラボライブ「細野晴臣×坂本龍一」が12月21日に開催された。このライブには高橋幸宏、伊藤ゴロー、青葉市子、小山田圭吾、U-zhaanといった豪華ゲストが入れ替わり立ち代わり出演。細野と坂本がこれまでのキャリアで発表してきたさまざまな楽曲が演奏された。 開演するとまずは細野と坂本が2人だけでステージに姿を現し、「今日はこういうメンバーだけど、シンセないし、YMOじゃないんだよね」「できるのかな?」といったトークを交わしつつ「恋は桃色」を披露。細野がアコースティックギターを爪弾きながら歌い、坂本がピアノで伴奏を付けていく。アーヴィング・バーリンのカバー「The Song is Ended」では細野が歌い出しのメロディを急に忘れてしまいやり直す一幕も。2人は「緊張するね」と言いつつも、リラック
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