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歴史と研究に関するirbsのブックマーク (13)

  • 731部隊研究の権威が語る「731部隊は悪魔集団だったのか?」 | | まなナビ

    戦時中、中国の満州で、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発のために、多くの捕虜や現地住民を人体実験の犠牲とした731部隊(関東軍防疫給水部部)。731部隊研究の第一人者である常石敬一神奈川大学名誉教授は3年前、神奈川大学定年退職の時にこの研究を一度終えた。しかしその翌年の2015年、防衛省が大学などの科学技術研究への補助金を創設したという報道を受け、再び研究を開始させた。(前の記事「731部隊長石井四郎はなぜ人体実験を」「15才の少年隊員も人体実験に」「731部隊の空しい成果」) 軍事予算の中で731部隊が育っていった過程を明らかにしたい 2018年1月21日、BS1スペシャル「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」は大きな反響を呼んだ。人体実験の非人道さはもちろんだが、医学界と軍部とのかかわりの深さは72年の時を経ても、人々に衝撃を与えた番組の製作に協力した常石先生は

    731部隊研究の権威が語る「731部隊は悪魔集団だったのか?」 | | まなナビ
  • 朗報!大英図書館が100万点以上の画像を無料公開、明治維新前後の日本も | THE NEW CLASSIC

    大英図書館は、米・写真共有サービス「Flickr」に100万点以上の画像を公開し、誰もが無料で自由に利用できるライセンスを付与した。誌でも紹介している「デジタル・ヒューマニティーズ」という動きを象徴するような優れた試みだが、19世紀より約3世紀に渡る「地図や地質図、美しいイラスト、コミカルな風刺画、彩飾・装飾された文字、カラフルなイラスト、風景、壁画」などが公開されるという。   大規模なプロジェクト これらの素晴らしい写真は、マイクロソフト社との史料デジタル化プロジェクトによって生み出されたもので、来年には画像の背景情報を提供するためのクラウドソーシングのアプリケーションもリリースするという。また、画像に関するデータをGithubで入手できるというから、なかなかにクールだ。 これは彼らが「メカニカル・キュレーター」と呼ぶプロジェクトの一環で、彼らが一般ユーザーに向けて「何か画像を使った

    朗報!大英図書館が100万点以上の画像を無料公開、明治維新前後の日本も | THE NEW CLASSIC
  • 「五箇条御誓文」などネット公開へ…宮内庁 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    皇室などに代々伝わる古典籍39万点を所蔵する宮内庁図書寮文庫は、デジタル化した古文書や写真など約1万点の画像を11月1日からインターネットで公開する。 明治新政府の基方針を示した「五箇条御誓文(ごかじょうのごせいもん)」などの歴史的資料が閲覧できるようになる。 公開されるのは、蔵書のうち、国文学研究資料館(東京都立川市)の協力でデジタル画像化した資料。鎌倉期の天皇直筆の歌集「伏見天皇御集(ぎょしゅう)」や「新古今和歌集」(写)なども含まれる。 同庁のホームページから検索できる。これまでは同庁に直接赴いて閲覧申請が必要で、歴史学者などからの申請が年約400件あったという。同庁は、約31万点の目録をネット検索できるシステムも同時に開始する。

  • The HEADLINE | わかりやすいニュース解説

    2024年5月20日(現地時間)、国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン主任検察官は、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相や、ハマスのガザ地区指導者であるヤヒヤ・シンワル氏など計5名に対し、戦争犯···

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  • 進歩しない人間だからこそ、歴史に意味がある ―― 「経済学史」とはなにか/経済学者・若田部昌澄氏インタビュー - SYNODOS

    進歩しない人間だからこそ、歴史に意味がある ―― 「経済学史」とはなにか 経済学者・若田部昌澄氏インタビュー 情報 #経済学#教養入門#経済学史 研究室の扉を開けてみると、そこはの山、山、山。今回の「高校生のための教養入門」は経済学者の若田部昌澄先生に、ご専門の経済学史についてお話を伺いました。「経済学史は地味な学問です」と言い切る若田部先生。思想史の中でも独特の発展をとげた経済学史の魅力をご紹介します。(聞き手・構成/山菜々子) ―― 今回の「高校生のための教養入門」は、「経済学史」の若田部昌澄先生にお話をうかがいます。今日はよろしくお願いします! よろしくお願いします。経済学史は非常に地味な学問なので、高校生に向けての企画なんて聞いたことがないですよ(笑)。 ―― 地味な学問なんですか!? 私の学生時代はそれなりに人気だったのですが、最近の経済学の中ではあんまりポピュラーじゃありま

    進歩しない人間だからこそ、歴史に意味がある ―― 「経済学史」とはなにか/経済学者・若田部昌澄氏インタビュー - SYNODOS
  • 歴史を描くということ - scrapbook

    図書館史に関する何気ないつぶやきがリツイートされたり、ふぁぼられたりしているようだから、書きたかったことをすこしまとめておこう。 このところ図書館歴史について書かれたを何冊か読んだ。たまたまかもしれないが、いずれのも、著者が異なるにもかかわらず、同じような観点から同じような通史が書かれていた。 おおまかに要約すると、次のとおりだ。1)明治維新直後に図書館という概念は輸入されたが政府に理解がなかったため普及に時間がかかった(普及したのは日露戦争後)、2)戦時中の思想善導に荷担しつつ設置数を伸ばしたが、3)戦後はそれを反省して図書館の自律を謳うようになり、公正性と公開性を追求し、4)中小レポートをきっかけに図書館サービスを確立し、70年代に図書館建設および利用が延びた。このような経緯を図書館関係者からなる組織の視点から書き起こされていた。 業界内の人たちによる過去の努力が社会的な文脈から

  • 『おもろさうし』 斬新な解読で新説提示 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    芸能・文化 『おもろさうし』 斬新な解読で新説提示2012年8月19日  Tweet 『おもろさうし』島村幸一著 笠間書院・1200円 おもろ研究の最新の成果を盛った読みやすい好著である。難解とされてきたおもろが、とても分かりやすくなった。著者は最近、学位論文を増幅させて、大著『「おもろさうし」と琉球文学』(笠間書院)を世に問うた気鋭のおもろ学者である。書はそれを踏まえ、「おもろさうし」の全体に満遍なく行き渡って精選した20首のおもろに、斬新な解読を試みたものである。どのおもろについても新説が惜しみなく提示される。  例えば高校の教科書にも出る有名な一首「ゑけ 上がる三日月や/ゑけ 神ぎや 金真弓…」(巻第十・ありきゑと)は、従来、航行する船人が船上から天を仰いで月や星を讃えた歌と解釈されてきた。しかし巻十が幻想的な神(神女)の航海を詠む歌を含むことを踏まえ、宵(こもりの時)から夜明けに

  • https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h-1-6.pdf

  • 和本リテラシーのこと - コニタス

    書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。 気分の流れが見えるかな。 新年度が始まって、いくつかの授業で和リテラシーの話をしている。 『爆問学問』最終回が、中野“道樂”三敏先生だったので、みんな見たかなぁ、と期待するのだけれど、驚く程見てない。 あの番組、人気あったんじゃないのか……。 まぁ、番組は短いし、正直ホストの二人も途中に登場する若手も今ひとつピンと来てない感じで、かみ合わないまま終わってしまった感はある。それでもこういう“啓蒙”活動は大事だと思う。 中野先生の和リテラシーに関する呼びかけは、岩波新書『和のすすめ―江戸を読み解くために』含め、数々の御著書で展開されている通り。 また、長いけれど九州大学での講演が動画で観られるので是非。 と。ここまでは枕。 私の授業で使っている和リテラシー入門教材をここで紹介してみようかな、と。 とにかく

    和本リテラシーのこと - コニタス
  • 文献学からはじまった → 研究する大学と専門分化した科学の起源

    (あらすじ) 大学で学問研究をするという今では当たり前のことは、19世紀初頭ドイツに端を発する。 これは研究と教育とを結び付けて行う新しいタイプの大学(研究大学)によるものである。 研究大学は、ゼミナール方式を採用し成功させることで、研究と教育とを結び付けるという理念を実現した。 ゼミナール方式は、大学では、まず古典文献学の分野で採用された。古典文献学ゼミナールは、ドイツの中等教育(ギムナジウム)で生まれた古典教師の需要に応えた。これにより学問研究を職業とすることが可能となり、実利的でない学問の純粋化が可能になった。 ゼミナールでは、参加者は知識を伝授されるのでなく、自分で研究を行いゼミナールで発表し、他の参加者から批判的吟味を受け、討論することが求められた。 このためゼミナールは研究者を育成するのに優れ、また批判的吟味の習慣から議論の厳密化や研究の実証性が追求される傾向が生まれた。 古典

    文献学からはじまった → 研究する大学と専門分化した科学の起源
  • 図画取調掛 - Wikipedia

    図画取調掛(ずがとりしらべがかり)は、1885年(明治18年)文部省内に設置された部局で、東京美術学校の直接の前身である。 沿革[編集] 1880年代半ばころの日では、「国粋保存」の思潮や日美術・日画復興の機運が高まりを見せ、その一方で1883年(明治16年)工部美術学校が廃校になるなど西欧風美術教育は後退しつつあった。こうした状況を背景に1884年(明治17年)文部省内に設置された「図画教育調査会」の決議に従い、1885年12月5日、同省の専門学務局内に図画取調掛が設置された[1]。 同掛は濱尾新を委員長、岡倉覚三・フェノロサ・狩野友信を委員に西欧の図画教育の実態調査を委嘱され、翌1886年岡倉とフェノロサが欧州の調査旅行に出発、1887年に帰国した2人は日美術と西欧美術との詳細な対比に基づき、日の美術教育における毛筆画の意義を強調し実利を目的とする美術画法(すなわち専門家の臨

  • 大学校 (1869年) - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "大学校" 1869年 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年4月) 大学校(だいがっこう)は、明治2年7月(1869年8月)、明治新政府により東京に設立された官立教育機関群、もしくは教育行政官庁。この記事では改称後の「大学」(だいがく)、後身機関である「大学南校」(だいがくなんこう)および「大学東校」(だいがくとうこう)についても述べる。 大学校の長官(学長)たる「大学別当」に任じられた松平春嶽 概要[編集] 旧幕府から継承された昌平学校・開成学校・医学校の3校を統合し、旧昌平学校系を中心とする官立教育機関として構想され

    大学校 (1869年) - Wikipedia
  • 自宅でここまでできる→日本史史料の探し方/集め方(増補しました)

    我々は直接に過去を知ることはできない。 人間の行動や思考が残したさまざまな痕跡を手がかりに、過去を再構成する以外にそれを知る術を持たない。 そのようにして再構成された過去を歴史といい、再編成の手がかりとした痕跡を史料という。 もとより人が残した痕跡は〈書かれたもの〉に限らないが、古文書、古記録をはじめとする文献史料は、長きにわたって史料のなかでとくに優越した地位を占めてきた。 以前は限られた人しか見ることができなかった文献史料が、一部ではあるが歴史資料集として編纂され、刊行物として活字化されることを経て、多くの人が見ることができるようになった。 加えて近年、そうした刊行物はインターネット上で誰でも検索/参照できるようになっている。 以下では、自宅で誰でも(基的に)無料でアクセス可能な歴史史料を紹介する。 ここで紹介する歴史資料集は、大きく2つに分けることができる。 A.ひとつは各文書・記

    自宅でここまでできる→日本史史料の探し方/集め方(増補しました)
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