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沖縄と写真に関するirbsのブックマーク (10)

  • 「沖縄にはこんな風景があった」大正から昭和…よみがえる古里の姿165枚【写真特集】 | 琉球から沖縄へ 続よみがえる古里 | 沖縄タイムス+プラス

    西洋風の建築物や路面電車が走る那覇の近代的な街並み、琉球王国時代からの伝統の芸能や暮らし。朝日新聞大阪社で見つかった戦前の沖縄の写真には、琉球が日の1県として変わっていく姿と、祖先から受け継いだ生活文化を営む人々のたくましい姿が入り交じる。那覇、島尻、やんばる、宮古、八重山。沖縄戦後、風景は一変したが、人々の暮らしぶりは今の私たちの文化につながっていることを知らせてくれる。計165枚から一部を紹介する。(社会部・城間有)(写真は全て朝日新聞社提供) 大正から昭和初め 那覇の市場 大正末から昭和の初めに撮影された那覇の市場。写真裏のメモには「左方の建物は肉市場(市設)」と書かれている。当時東町の旭橋付近に公設市場があり、魚や野菜、米、雑貨、焼物などが売られていた。肉市場は「シシマチ」と呼ばれていた。路面電車は、1914年から33年まで那覇市の通堂-首里間を走った「沖縄電気軌道」。人力車や

    「沖縄にはこんな風景があった」大正から昭和…よみがえる古里の姿165枚【写真特集】 | 琉球から沖縄へ 続よみがえる古里 | 沖縄タイムス+プラス
  • 一枚の写真が物語ること - 沖縄の孤児院で働いていた女性たち - 沖縄戦孤児と慰安婦 - Battle of Okinawa

    [ AI によってカラー化しています。] 【原文】 Life in Shimobaru, one of civilian camps established on Okinawa in Ryukyus by U.S. Military Government. Old ladies' home and orphanage. Maintained by Military Government and manned by ex-geisha girls. 【和訳】 下原での生活の様子。この地には、軍政府によって設置された沖縄島の民間人収容所の一つ。軍政府運営の老婦人用住居兼児童養護施設。ここでは、元「芸者ガールズ」(若い女性) が労役に従事していた。 撮影地: 下原 1945年 5月 10-20日 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 沖縄県公文書館 ここに一枚の写真がある。 米軍が "e

    一枚の写真が物語ること - 沖縄の孤児院で働いていた女性たち - 沖縄戦孤児と慰安婦 - Battle of Okinawa
  • 沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル

    糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場 ––––。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。 写真の購入はこちら朝日新聞フォトアーカイブ

    沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル
    irbs
    irbs 2017/06/05
    祖母が11歳の頃。すげー
  • 石川竜一の写真展が2会場同時開催、沖縄の人々を写す60点 | CINRA

    石川竜一の写真展『okinawan portraits 2012-2016』が、11月18日から東京・原宿のAM、新宿のエプソンイメージングギャラリー エプサイトで開催される。 1984年に生まれた沖縄出身の写真家・石川竜一。写真集『絶景のポリフォニー』『okinawan portraits 2010-2012』で2015年に『第40回木村伊兵衛写真賞』を受賞した。 同展は、『okinawan portraits 2010-2012』に連なる新作の写真集『okinawan portraits 2012-2016』が9月に刊行されたことにあわせて開催。沖縄の人々を捉えたポートレート60点を2会場で展示する。なお11月19日にはエプソンイメージングギャラリー エプサイトで石川と編集者・尾久子によるトークが行なわれる。

    石川竜一の写真展が2会場同時開催、沖縄の人々を写す60点 | CINRA
  • 沖縄がアメリカに統治されていた時代の人々の暮らしがわかる写真(1953年 - 1954年) : カラパイア

    沖縄は、日が敗戦直後の1945年(昭和20年)から1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還までの27年間、アメリカ合衆国に統治されていたのはご存知の通りかと思う。 これらの写真は朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日)で米空軍中尉を務めた後、沖縄に渡り人々の日常を撮影し続けたアメリカ人カメラマンが撮影した、1953年9月〜1954年8月にかけての沖縄の日常の風景だそうだ。

    沖縄がアメリカに統治されていた時代の人々の暮らしがわかる写真(1953年 - 1954年) : カラパイア
    irbs
    irbs 2016/10/31
    両親が小学生だった頃だ。母は自宅に灯りが無いので琉球政府ビル敷地の照明の下で勉強していたそうな/あとリウボウちっちゃくてかわいい
  • 写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース

    スウェーデンのメーカー、ハッセルブラッドのカメラを2台、むき出しのまま肩から交差するようにかけ、ビッグスクーターで沖縄の街を走る。それが写真家・石川竜一(31)の普段の姿だ。撮りたいと思う人と遭遇したら迷わず声をかける。ポートレートを撮り始めたのは2010年。3000人を超える「沖縄の肖像」を撮った。頭で考える前にシャッターを押した。「撮って撮って、自分は消えてしまえばいいと思ってた」。ところが、無数の被写体と向き合ううちに、よそよそしかった世界はその姿を変えていく——。 『okinawan portrait 2010-2012』『絶景のポリフォニー』で写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞した若手写真家が、写真を撮ることで探し続けているものとは。 (ノンフィクションライター・藤井誠二/Yahoo!ニュース編集部) 写真集『okinawan portraits 2010-2012』

    写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース
    irbs
    irbs 2016/10/19
    言われてみれば、牧港のエンダーは58号沿いにポッカリあいた空間を作ってるから夜中にたむろするのにうってつけかも。あそこに石川竜一がいたんだ…
  • 明治時代に撮影か 首里城内部撮影の写真見つかる NHKニュース

    かつての琉球王国の政治文化の中心だった首里城の内部を明治時代に撮影したとみられる写真が山形県米沢市で見つかりました。首里城の資料は、太平洋戦争の沖縄戦で多くが失われていて、専門家は「最も古い写真の1つで貴重だ」と注目しています。 博物館によりますと、沖縄県では明治14年からおよそ2年間、米沢藩最後の藩主だった上杉茂憲が現在の県知事にあたる県令を務めていたことから、写真が上杉家に伝わった可能性が高いということです。専門家は建物の傷みが少ないことから、明治12年に琉球王国が終わった直後に撮影されたとみていて、王国時代の首里城の面影を残していると注目しています。 首里城の復元作業に関わる琉球大学の高良倉吉名誉教授は「今までぼくたちが見た膨大な首里城関係の写真では最も古い写真の1つでしょう。特に初めて久慶門のやぐらを教えてくれる貴重な写真で、そのときにちょっとさすがに声が出ました。それぐらい感動

    明治時代に撮影か 首里城内部撮影の写真見つかる NHKニュース
  • http://www.okinawa-senshi.com/index.htm

  • なごなぐなScrapbook

    東京都現代美術館(MOT)で現在行われている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展に、僕と・岡田裕子と息子・会田寅次郎の三人からなる「会田家」というユニットは参加しています。僕ら3人は当展の担当学芸員である藪前知子氏とチェ・キョンファ氏と去年から小まめに連絡を取り合い、準備を進めてきました。 展覧会が始まって約1週間がたった7月23日と24日、美術館を代表する形で、チーフキュレーターの長谷川祐子氏と企画係長の加藤弘子氏から、出品作のうち2作品に対する撤去要請がありました。理由は、観客からのクレームが入り、それを受けて東京都庁のしかるべき部署からの要請もあり、最終的に美術館として協議して決定した、と説明を受けました。 2作品のうち1つは、僕たち3人が共同制作した「檄」という、墨文字がしたためられた6メートルの布の作品。もう1つは僕が去年作った「国際会議で演説をする日の総理大臣と

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  • 沖縄の昔の写真 - ずmemo

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