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日本で最初の神前結婚式は、明治33年(1900年)に東京大神宮で行われた。神道は日本古来の伝統的なものだと考えられがちだが、組織宗教として体系化されたのは明治以降だ。現代の私たちにとって当たり前の常識や習慣は、ほんの少し昔まで常識でも習慣でもなかった。 「現代」を理解するためには、過去を知ることが欠かせない。 病気にならなければ健康の大切さが分からないように、過去と照らし合わさなければ現代がどのような時代か分からない。現代を理解するための過去の知識のことを、教養という。 教養を身につけるには、相応の本を読むのがいちばんだ。が、いまの私たちは膨大な文献を読めるほどヒマではない。そこで威力を発揮するのがWikipediaだ。たしかにWikipediaの情報は正しいとは限らないし、どんなに読み込んでも「つまみ食い」程度の知識しか身に付かない。しかし、聞きかじりの知識であっても、何も知らないよりは
イシャンゴの骨は旧石器時代の計算に使われた棒だと考える人がいる。 計算機の歴史(けいさんきのれきし)の記事では、計算機(計算機械)やコンピュータの歴史について述べる。また、コンピュータは計算機械であるばかりでなく、同時に情報処理機械でもあるので、本項でも計算機械に限らずデータ処理機械にも触れる。あまり一般的な語ではないが「コンピューティング」の歴史だと捉えるとよいであろう。 概要[編集] 計算の歴史の中での位置づけ[編集] 人間がおこなう暗算以外の計算は、小石などをカウントしたことにはじまり、数字を書き記す技法が発展し、やがて手動操作をおこなう器具が生まれた。ネイピアの骨や算木、計算尺など、数学を応用した器具も作られた。一方、機械により器具のけた上がりなどを自動化するアイディアも生まれ、これが計算機械の原点である。より大がかりな計算を機械により自動化することが試みられるようになり、またアナ
信州大学繊維学部は「繊維」の名を冠する国立大学唯一の学部である。昭和40年代以降、全国の大学の学部、学科名から「繊維」が消えていくなかで、守り続けてきた。いまや、先端的な繊維研究の拠点で、繊維に関する論文数は世界の繊維系大学で第1位である。 1910(明治43)年に設立された官立の上田蚕糸専門学校を前身とする信州大学繊維学部は、伝統のある繊維研究拠点である。来年100周年を迎える。現在、国立大学で「繊維」の名を冠する唯一の学部である。昭和の時代の終わりまでに全国の大学の学部、学科名から「繊維」が消えたが、なぜ本学の繊維学部は生き残ったのか。いや、この20 年余り、われわれはなぜ、繊維学部を守り続けてきたのか。 明治以来隆盛を極めていた日本の繊維業界が試練の時代に入ったのは、東京オリンピック後の国民総生産が世界第2位になった1969 年の翌年1970 年からである。1971 ~79 年には、
総合研究大学院大学と東京大学は11月1日、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)のゲノム解析により、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であることを支持する結果を得たとし、アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示されたと発表した。 成果は、総合研究大 生命科学研究科 遺伝学専攻教授を兼任する国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門の斎藤成也教授、東大大学院 医学系研究科 人類遺伝学専攻分野の徳永勝士教授、東大大学院 理学系研究科・理学部の尾本惠市名誉教授らの研究グループによるもの。研究の詳細な内容は、11月1日付けで英国学術誌「Journal of Human Genetics」オンライン版に掲載された。 日本列島は南北4000km以上にわたっており、3万年以上前から人間が居住してきた考古学的・人類
科学史や技術史とは一線を画する「工学史」という新しい領域を読む。 かなりの大著と思いきや、ポイントを絞ってコンパクトにまとめている。機械工学を中心に据え、細部は参考文献に任せ、キモのところを大づかみに伝えてくれる。おかげで、歴史・地理の両方から俯瞰的に眺めることができる。知のインデックスとして最適な一冊。 テクノロジー&サイエンスといえば、西洋の専売特許だが、長い目で見ると違う。ニーダム線図、ニーダム・グラフと呼ばれるグラフが顕著だ。歴史的には、長いあいだ中国こそが科学技術の先進国だったことは知っていたが、ここまであからさまだとは。 中国は古代から中世まで科学技術で世界をリードしていた。だが西洋は後期中世から急激に成長し、ルネサンスを境に両者の関係は逆転している。新参者にすぎない西欧が、なぜ中国を追い抜いたのか? もちろん科学と軌を一つにしてきた軍事面から説明できる。「戦争の世界史」を読む
「科学史をちょっと勉強してみたいんですが、どんな本がありますか?」という質問を、ときどきいただきます。 科学史を専攻している人間にとってはたいへんありがたいことです。 なのですが、こういうとき、答えるのに困ってしまうというのもまた確かです。 たいていの学問分野にはスタンダードな教科書・入門書というのがありますが、科学史の場合は、適当な本を挙げるのが難しいのです。 その大きな理由は、「科学史」とひとくちに言っても対象があまりに広いことにあります。 「科学」だけとってみても、物理、化学、生物、地学etc.とさまざまな分野があります。 「歴史」だけとってみても、古代から現代まで、日本からヨーロッパまで多様です。 加えて、科学史の研究対象で紹介したように、科学にまつわるありとあらゆることの歴史が科学史の範囲になります。 これらを一冊でカバーするような本を書くというのはとても困難だと言わざるをえませ
Histories of Scientific Observation 作者: Lorraine Daston,Elizabeth Lunbeck出版社/メーカー: Univ of Chicago Pr発売日: 2011/02/01メディア: ペーパーバック購入: 2人 クリック: 25回この商品を含むブログを見る Gianna Pomata, "Observation Rising: Birth of an Epistemic Genre, 1500–1650," in Histories of Scientific Observation, ed. Lorraine Daston and Elizabeth Lunbeck (Chicago: University of Chicago Press, 2011), 45–80. 科学史の領域で強い関心を寄せられてきた実験ではなく観察に着
(あらすじ) 大学で学問研究をするという今では当たり前のことは、19世紀初頭ドイツに端を発する。 これは研究と教育とを結び付けて行う新しいタイプの大学(研究大学)によるものである。 研究大学は、ゼミナール方式を採用し成功させることで、研究と教育とを結び付けるという理念を実現した。 ゼミナール方式は、大学では、まず古典文献学の分野で採用された。古典文献学ゼミナールは、ドイツの中等教育(ギムナジウム)で生まれた古典教師の需要に応えた。これにより学問研究を職業とすることが可能となり、実利的でない学問の純粋化が可能になった。 ゼミナールでは、参加者は知識を伝授されるのでなく、自分で研究を行いゼミナールで発表し、他の参加者から批判的吟味を受け、討論することが求められた。 このためゼミナールは研究者を育成するのに優れ、また批判的吟味の習慣から議論の厳密化や研究の実証性が追求される傾向が生まれた。 古典
5百万冊の本から学んだこと (TEDTalks) Erez Lieberman Aiden & Jean-Baptiste Michel / 青木靖 訳 2011年7月 (エレズ) ご存じと思いますが、1枚の絵は千の言葉に値すると言います。しかしハーバード大学ではこの点について疑問を抱きました。(笑) それで専門家のチームが編成されました。ハーバード大学、MIT、アメリカン・ヘリテージ英語辞典、ブリタニカ百科事典、それに我らがスポンサーGoogleも参加しています。そして4年間に渡って詳細な研究が続けられ、驚くべき結論が得られました。皆さん、1枚の絵は千の言葉に値するのではありません。我々の発見によれば、1枚の絵は5千億の言葉に値するのです。 (ジャン) いかにしてその結論に至ったのか? エレズと私は、人類の文化と歴史が時とともにどう遷移してきたのか概観できる方法に考えを巡らせていました。
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