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都市と沖縄に関するirbsのブックマーク (4)

  • 写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース

    スウェーデンのメーカー、ハッセルブラッドのカメラを2台、むき出しのまま肩から交差するようにかけ、ビッグスクーターで沖縄の街を走る。それが写真家・石川竜一(31)の普段の姿だ。撮りたいと思う人と遭遇したら迷わず声をかける。ポートレートを撮り始めたのは2010年。3000人を超える「沖縄の肖像」を撮った。頭で考える前にシャッターを押した。「撮って撮って、自分は消えてしまえばいいと思ってた」。ところが、無数の被写体と向き合ううちに、よそよそしかった世界はその姿を変えていく——。 『okinawan portrait 2010-2012』『絶景のポリフォニー』で写真界の芥川賞と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞した若手写真家が、写真を撮ることで探し続けているものとは。 (ノンフィクションライター・藤井誠二/Yahoo!ニュース編集部) 写真集『okinawan portraits 2010-2012』

    写真が生き続ける理由になった 「路上」から生まれた若き写真家 - Yahoo!ニュース
    irbs
    irbs 2016/10/19
    言われてみれば、牧港のエンダーは58号沿いにポッカリあいた空間を作ってるから夜中にたむろするのにうってつけかも。あそこに石川竜一がいたんだ…
  • http://www.okinawa-senshi.com/index.htm

  • もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS

    電子マガジン「α-synodos」新連載! 貧困、スラム、売春、犯罪……。1960年前後の「沖縄タイムス」の記事から、戦後沖縄の知られざる側面を鋭く切り取る。 *  *  * 沖縄戦が終わってから13年、復帰まであと14年。1958年は、「戦後沖縄」のちょうど折り返しの時期だった。 那覇のすぐ隣にあり、いまでは閑静なベッドタウンとなっている浦添市。1958年、この街で凄惨な事件が起こった。 ある日、浦添市沢岻付近の幹線道路で、走行中のトラックに飛び込んだAという29歳の青年がいた。Aは一命を取りとめたが、「可愛いやつを殺した、俺もこの車で轢き殺してくれ」とわめいていたという。 そのすこし前。Aは、近所に住む遠縁の自宅を訪れ、同じことを話していた。「一番可愛いやつを殺した。君や親戚を皆殺しにして、俺も死ぬ」そう叫んでいた。そして、Aは、ズボンのポケットから、切り取ったばかりの血まみれの片方の

    もうひとつの沖縄戦後史──「オッパイ殺人事件」と経済成長/岸政彦 - SYNODOS
  • 1950年代の那覇の街の様子をカラー撮影した動画がYouTubeに上がってる | ず@沖縄

    これは一見の価値ありです。思わず見入ってしまいました。ビデオを投稿されたwbm2012さん、撮影されたBlackieさんに感謝します。wbm2012さんはBlackieさんのご子息です。 提供いただいた写真及び動画のブログへの掲載・改変・利用にあたっては著作権者であるWbm Bradford氏より許可をいただいています。転載等はご遠慮ください。 目次 撮影経路撮影時期時系列リンク 撮影経路フィルムは壺屋交差点から開南向けに少し進んだところを起点に撮影されています。現在ののうれんプラザ近くの三叉路を右折し、神里原大通り(神原大通り)を直進します。神里原はこのころは沖縄一の繁華街でした。映画館や商店が並んでいます。 現在壺屋うふしーさーのある角を左折し、浮島通り方向へ向かいます。サンライズ通り(新栄通り)との交差点で周囲を撮影。その後千歳橋通り・浮島通りを直進します。 国際通りに出る直前で一旦

    1950年代の那覇の街の様子をカラー撮影した動画がYouTubeに上がってる | ず@沖縄
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