タグ

酒と歴史に関するirbsのブックマーク (4)

  • “辺境の密造酒”スコッチ・ウイスキーが世界を制した訳――「資本主義の酒」の歴史的マーケティング

    “辺境の密造酒”スコッチ・ウイスキーが世界を制した訳――「資主義の酒」の歴史的マーケティング:「伝統とこだわり」をどう確立したのか(1/7 ページ) 日人は「手作業の暖かみ」を――言い換えれば労働集約的で非効率なものを好むようです。この記事を書いているこの瞬間にも、「印鑑を押すロボット」をデンソーと日立が共同開発していることがニュースになっていました[1]。そもそも印鑑を廃止するという発想は、邦では歓迎されません。なぜなら、暖かみがないからです。(※果たしてロボットの押した印鑑に暖かみがあるのか……という議論には、ここでは立ち入らないことにしましょう) この日人の習性に合わせて、酒などの嗜好品のプロモーションでは「手作り感」や「職人のこだわり(=属人性)」が強調されがちです。スコッチ・ウイスキー――日で高い人気を誇る“ウイスキーの王様”――も例外ではありません。メーカーは各製品の

    “辺境の密造酒”スコッチ・ウイスキーが世界を制した訳――「資本主義の酒」の歴史的マーケティング
  • 近代フランス大衆と居酒屋 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人生の交差点・居酒屋 「てきとうに知らない町に行って知らない居酒屋に入る」 を以前ライフワークとしてやっていました。 なるべく遠くの地方都市が良くって、駅前の少し外れにある地元の人がいくような居酒屋に1人で行って、常連さんと仲良くなる。これ、結構楽しいんです。 めったに来ない新規さんだから歓迎されるし、すぐに知らない人と打ち解けて、卑わいな話から重たい身の上話、数十年のキャリアから産み落とされた至極の明言が聞けたりします。 居酒屋は異なる生活している人びとが集う場所で、日常何わぬ顔をしている人たちの歴史や思いが交錯する、言わば人生の交差点であります。 実は近代ヨーロッパで居酒屋(タヴァーン, Tavern)が果たした役割は大きく、民衆が集い共同性を得る場所として機能しました。 居酒屋が近代ヨーロッパの民衆にとってどういう場所であったのかを見ていきます。 記事三行要約 中世以来の親方制度が

    近代フランス大衆と居酒屋 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • 幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ

    先日の記事「「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著」にいくつか、ペリー艦隊来航時の日人代表も泥酔していたことを思い出した、といった趣旨のコメントがついていて、そうそうあの酔っぱらいエピソードも面白いんだよね、ということで幕府代表団とペリー艦隊との飲みニケーションエピソードを「ペリー艦隊日遠征記(上)(下)」から紹介しよう。酒を飲むことでのコミュニケーションが相互理解と親睦、異文化交流に大いに役立ち、日米和親条約締結に大きな影響を及ぼしたのだ。両者の酒宴はあわせて五回あった。 1853年7月12日1853年7月8日、ペリー艦隊は浦賀沖に姿をあらわし、米フィルモア大統領から将軍に宛てた親書の受け取りを求めた。これに対し日側は、かねてから黒船来航の情報を元に準備していた通り浦賀での受け取りを拒否、長崎への移動を求めるが、ペリーはこれを拒否して、現在地浦賀での授受を求めた。そ

    幕府代表とペリー艦隊の飲みニケーション全5回まとめ
  • 「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著

    幕末に日を訪れた外国人が驚いたことの一つに、日人がひどく酒癖が悪いというものがある。例えばヘボン式ローマ字で知られるヘボン(日在住1859~92)は昼間っから酒を飲んで酔いつぶれ、あるいは大暴れしている人びとの多さに驚き、また酔って仕事もままならなくなる日人家事使用人たちに悩まされている。せめて仕事中ぐらいは酒を飲まない労働者を雇えないかと日人商人に尋ねるが、そんな日人を見つけるのは難しいと言われて途方に暮れていた。他の外国人もすっかり出来上がった武士の姿に恐怖を感じている。昼間っから刀持った酔っぱらいが歩いているんだからそりゃ怖い。ヘボンに遡ること三百年、ルイス・フロイスも戦国時代の日人の酒癖の悪さを書き留めていて、もちろん欧米でも酔っぱらいは多かったものの、西洋人からは日人の酔い方は度を越して酷いと見られていた。 武士も町人も昼間っから酒を飲んで仕事もそこそこに、そこら

    「居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化」飯野 亮一 著
  • 1