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ブックマーク / medium.com (5)

  • 読書録:「知性とは何か」「学ぶとは何か」まで踏み込んで日本・フィンランド・中国・シンガポール・カナダの学校にプロの研究者が泊まり込んだ教育体験記。邦題以外最高。「日本の15歳はなぜ学力が高いのか?」ル…

    ■最高の旅行冒険記でもある 彼女の調査方法がまたすごい。 お仕着せの学校訪問、地元の教育関係者がアピールのためにアレンジした理想コースを避けるために、彼女は自力で各国の教師に、公開されているメールアドレスを頼りにアポイントをとり、ホームステイさせてくれる教師を探す。 そして教師の家に泊まり込みながら、1ヶ国のなかだけでも複数の学校に潜り込んで教鞭をとり、1ヶ月以上生活をともにする。その中で子どもたち、教育関係者、両親特に母親と様々な対話をする中で、文化含めてその国が教育に期待してるものを抽出する。その旅行記としてだけでも面白い。 僕は彼女が調査した中で、日中国とシンガポールには、住んでいたしそれなりに詳しい。たぶん言葉の理解とかを含めれば彼女より詳しいだろう。その僕から見ても、彼女のこの3カ国での体験は、文化の深いところをきちんと捉えている。教育にまったく興味がない人でも、そうした文化

    読書録:「知性とは何か」「学ぶとは何か」まで踏み込んで日本・フィンランド・中国・シンガポール・カナダの学校にプロの研究者が泊まり込んだ教育体験記。邦題以外最高。「日本の15歳はなぜ学力が高いのか?」ル…
  • 東京を「広場」と「壁」から考える──大都市における権力と空間

    御厨貴『権力の館を歩く』(毎日新聞社, 2010年/ちくま文庫, 2013年)──今回の建築討論の特集では「都市と政治──「壁」と「広場」から見えるもの」をテーマにしています。世界が「接続」から「分断」へと向かっているような空気感が、2010年代後半からみるみるうちに可視化されてきたという危機感が、このような特集を組まなければいけないと思った背景にあります。 御厨先生は『権力の館を歩く』や、まとめられた『建築と権力のダイナミズム』において、「建築と政治」の関係を多様な形で問われておられます。その延長線上のひとつとして、今回「都市と政治」の関係について、可能であれば「広場」と「壁」についても触れてお話頂ければ幸いです。 「壁」のない東京における「所払い」と「入府税」御厨:趣旨はわかりました。その「広場」と「壁」という話を聞いてすぐに思ったのは、自由民権運動のことです。自由民権運動っていうのは

    東京を「広場」と「壁」から考える──大都市における権力と空間
  • 56歳からコードを書き始めて食べていく方法

    私は56歳、最近プログラミングを始めたんだ。 なぜかって?やりたいからに決まっているじゃないか。ようやく最近コツをつかめてきてね。でもコツをつかめたからといって簡単にはいかない。正直なかなか手こずっている。でもいいんだ。 アルゴリズムに挑戦して我を忘れるのは楽しいし、まだテストしたい事があって「あと数分だけ」と繰り返し自分に言い聞かせるのもいい。「今度こそ上手くいったかも、、」とドキドキしてから「やったぞ!ついに動いた。」となる瞬間も大好きだ。 でもこんな私には今まで趣味と呼べるものが何ひとつなかった。自分に見返りがない事に時間を費やすのは嫌だったんだ。ただ楽しみのためだけに何かをするのが好きじゃなかったのさ。休みの日にやる事といったら、ちょっとした小遣い稼ぎになるような事ばかりだった。 オーケー。もちろんコーディングだって小遣い稼ぎさ。上手くやればかなり稼げる。これだってあなたから見れば

    56歳からコードを書き始めて食べていく方法
  • 雑誌表紙の進化過程

    コスモポリタンの表紙はコンサバな女性で始まりました。それからその女性は少しづつ肌を露出させるようになります。少しずつ少しずつ。そして最終的に女性はセクシーなポーズを取るようになりました。 この何十年もの間で女性の権利が認められるようになり、同時に女性は好きな服を着られるようになったということではないでしょうか。いや、もしかするとセクシーなほうが売れるってだけかもしれません。 セブンティーンビキニを着た十代のモデルはいません。まだまだ健全です。 セブンティーンのロゴに変化はありませんが、それ以外のデザインはほぼ全て変化しています。気持ちのいいくらいシンプルだった時期もありましたが、時と共にどんどんゴチャゴチャになっていきました。 雑誌の表紙の役割は、販売部数を伸ばすことです。売れるということは雑誌にあふれるの棚の中で、他よりも目立たなければいけないということです。そのため、表紙のデザインの主

    雑誌表紙の進化過程
  • 建築史に隠されたウェブデザインの未来

    ウェブデザインの進化の過程を考えるとき、西洋建築史はとても参考になります。美術の形として、両者は同じ項目で定義することができます。 人が集まる場所として機能する実用的に作られている技術の進歩に大きく左右される実用的だが、間違いなくアートでもあるこのような制約があるなかで、両者の進化の過程はとても似ています。どちらも同じように過去の作品をもとに、その上に新しいものを築いています。もしウェブデザインの未来が知りたければ、建築家が辿った道を見てみればいいのです。

    建築史に隠されたウェブデザインの未来
    irbs
    irbs 2015/06/26
    既に過去を継起的な歴史として相対化してしまっている時点で、かなり以前から意識の上でモダンに突入しているのは明らか/そもそも当の建築史は自己を芸術として正当化するための虚偽(そしてそこが面白い)
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