タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

社会と音楽に関するregicatのブックマーク (2)

  • 今の若者が尾崎豊「15の夜」を聴いて、「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」となるとしたら問題なのか

    。 @madanaizo 「今の若い人は尾崎豊の「15の夜」を聴いてもバイクを盗まれた方が可哀想と思う」みたいな話。それ自体は「当然だろ」と思うのだが、もしそれが「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」であれば、結構問題なのではないか…と、今ふと思ったり。 2020-12-25 15:46:02 。 @madanaizo いや、シンゴジの時に「ゴジラが可哀そうだ!」と言った人を笑ったヤツが結構いたじゃん。おれは笑った方に対して「こいつらとは友達になれねぇな!」と思ったけど、あれと尾崎も同じなのかもしれない…と思えば実にケシカラン話なのではないかと。今急に。 2020-12-25 15:46:02

    今の若者が尾崎豊「15の夜」を聴いて、「盗まれた側の気持ちしか分からないし、分かりたくない」となるとしたら問題なのか
    regicat
    regicat 2020/12/27
    この歌の当時想定されてた「盗まれる側」は、バイトしてようやく買ったとかじゃなく、特に苦労もしてないけど親や先生に可愛がられ親の金で買ってもらったような子なんじゃないかな。
  • 技術はコンテンツに対し中立でいられるのか?<br>~CD1枚74分とサビ頭ポップソングにその真髄を見る~ | AdverTimes.(アドタイ) by 宣伝会議

    今回は、技術が規定する環境(アーキテクチャー)とコンテンツ内容の関係について話したいと思います。 今から約30年ほど前、国内ではじめてソニーからCDプレーヤー1号機が発売され、CDソフトの販売も始まりました。この件には、単に「ステレオ機器と音楽ソフトの流通形態にまつわる話」を超える深い意味合いがあります。技術とコンテンツの関係を考えるうえでの、基事例として、ぜひ紹介したいと思います。 音楽というものは、それ自体は手にとって触ったりできないものです。それ故、その内容を録音した物理的なパッケージ技術が、それを商品として流通させるために必要とされてきました。しかし、物理的なパッケージや録音形態が変わること、具体的には、「アナログ盤からCDへと変化すること」は、来的ならば、あくまでミュージシャンと聴き手をつなぐ「流通形態」つまり、音楽を届けるパイプの変化の話にすぎないはずです。 つまりアナログ

    regicat
    regicat 2012/03/29
    うーん、眉唾。サビ頭曲ってむしろ昭和の歌謡曲に多い気がするけどな。青い珊瑚礁、勝手にシンドバッド、ペッパー警部。ああ年がバレる。
  • 1