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言葉と日本語に関するirbsのブックマーク (2)

  • 「詩」というもの/谷川俊太郎|「新潮」編集部

    僕が小学校に行ってた頃ね、日戦争してたでしょ、戦地の兵隊さんに手紙を書きましょうなんて宿題が出るわけ、僕は何書いていいかわからないんだ、母にそう言うと、自分のことを書けばいいのよと言われる、そこでまた困っちゃうんだ、自分のことって何書けばいいのって言うと、遊んだことでも、勉強したことでもなんでもいいのよと母は言う、そうすると頭に浮かぶのは、朝起きて顔を洗って朝ごはんをべてみたいなこと、子供心にも全然面白くない、いやいや鉛筆でひらがなと漢字を書いていた。 今考えるとこれは一種のトラウマになったんじゃないかな。文章を書くのはとにかく苦手、それより前に字を書くのが既に苦痛だった。思うように字が書けない、しょっちゅう母親に直されていた、大人になってからも字が上手く書けない。それが字を書いて言葉を操ることで暮らしを立てるようになったんだからわからない。「詩」というものが存在してなかったら、僕は

    「詩」というもの/谷川俊太郎|「新潮」編集部
  • 「さようなら」という言葉 | 日日是好日 | 彼岸寺

    言葉に関わる仕事をしているせいか、日語の意味を考えるのが好きです。 同じ音だけれど違う漢字を宛がわれて、まったく別々な場所に置かれている言葉が、実は重なり合う意味を持っていることに気づくと視界が広がったような感じがします。たとえば「話す」と「離す」。人はつらいことや悲しいことがあると、何度も同じ話を繰り返し聞いてもらいたくなります。たぶん、「話す」ことで「離す」ことをしているんじゃないかな? と考えたりするのです。 「さようなら」という言葉については、須賀敦子著『遠い朝のたち』の中で紹介されていた、アン・モロー・リンドバーグのエッセイの一節からその語源を知りました。アンは飛行家のチャールズ・リンドバーグのだった人。彼女は夫で東京を訪れたときに「さようなら」という言葉に出会ったようです。 「この国の人たちは、別れにのぞんで「そうならねばならぬのなら」とあきらめの言葉を口にする」。英語

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