おなじみの黄色いパッケージの駅弁「シウマイ弁当」で知られる、1908年創業の崎陽軒(横浜市)。4代目の野並晃さん(41)は、キリンビールを経て家業に入り、コロナ禍が続く中で社長に就任しました。出張など移動の減少で売り上げが大きく落ちたとき、それまで日の目を浴びてこなかった施策が突破口になったといいます。 ーー子どもの頃、家業はどのような存在でしたか。 特に意識することはなかったです。二世帯住宅で一緒に暮らしていた祖父(当時の会長)からも、仕事の話をされた記憶はありません。ただ思い返すと、友達からは「おまえんち、冷蔵庫開けたら赤い包みがいっぱいなんだろう」などとネタには使われていましたね(笑)。 妹が1人いる長男ですが、だから継げと言われたこともありませんでした。ただ、大学3年で就職活動が始まった時は、父に「どうするんだ」と聞かれましたね。いきなり会社に入るよりは他の会社を経験したかったので