2024年には創立110周年の節目を迎える宝塚歌劇団。が、その「宿痾」が引き起こした事件の帰趨は年をまたぎ、輝かしいはずの伝統はかすむばかりだ。一方、利益主義が幅を利かせる劇団では、かねて巨大宗教との関わりが取り沙汰されてきた。その実態とは……。 *** 両者の主張に隔たりが 宙(そら)組の娘役だったAさん(103期)=享年25=が飛び降り自殺を遂げたのは2023年9月30日の朝だった。それから3カ月――。 「劇団は12月20日、遺族側の代理人と11月下旬に続いて2回目の面談を行ったと明かしました。あわせて『現時点での見解をお伝えし、一定のご理解をいただくことができたと考えております』とし、今後についても『誠実に協議してまいりたい』との談話を発表しています」(社会部デスク) 一方で同日、遺族側もコメントを発表し、 〈(劇団側が)遺族側意見書の内容を踏まえ、(調査)報告書の内容にかかわらず、
岸田政権の政権支持率の下落に歯止めがかからない。そんな中、創価学会の池田大作名誉会長死去を受けて自らのXに追悼メッセージを投稿し、ネットをざわつかせた。一体なんでそんなことを……。経済アナリストの佐藤健太氏がその真意を語るーー。 岸田の手のひら返しに公明党・創価学会は冷めた見方 支持率が急降下した岸田文雄首相が公明党依存を強めている。政権発足後は一定の距離を置く強気の姿勢を見せてきたものの、不人気の深刻化で年内解散の道が封じられ、来年の自民党総裁選での再選が危ぶまれているためだ。公明党の支持母体である創価学会の池田大作名誉会長死去を受けて関係強化を急ぐが、手のひら返しのようなスタンスには公明党・創価学会内に冷めた見方も広がる。 「池田大作氏の御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました
時事通信は11月20日、「岸田首相弔意、政教分離で波紋 政府『前ローマ教皇にも』 池田氏死去」の記事を配信した。11月15日、創価学会の池田大作名誉会長が老衰で死去。18日に事実が明らかになると、まず岸田首相はX(旧Twitter)に「深い悲しみにたえません」などと投稿した。 【写真を見る】若かりし日の池田大作氏 妻と3人の息子との集合写真 *** さらに19日、岸田首相は東京・信濃町にある創価学会本部別館を弔問のため訪れた。時事通信は、現職の首相が学会施設を訪れるのは《異例》と指摘。池田氏が学会を支持母体とする公明党の創立者であることから、《連立政権を組む同党に配慮したとみられる》と伝えた。 ところが岸田首相の行動を、政教分離の観点から問題視する意見が相次いだ。例えば18日のコメントは「内閣総理大臣」と「自民党総裁」の肩書で出された。19日の弔問も首相としての行動だったのは、時事通信が報
公明党創設者で、支持母体・創価学会の池田大作名誉会長が死去した。カリスマ指導者を失った公明はこの先、党勢を維持できるかが課題となる。池田氏が敷いた自公連立政権は20年以上になるが、近年は公明の「平和の党」路線が安全保障政策で自民党に押し切られる場面も目立つ。絶大な求心力を誇る精神的支柱の存在は公明の組織力の源泉だっただけに、支持者を引き留め、結束を保てるか党執行部の手腕が問われる。 【画像】「政治との関わり」があるとした宗教法人の回答 「自民をどこで食い止められるかというのは公明の役割。それはこれからも変わらない」。池田氏死去の報が流れた18日、公明九州方面本部の幹部の一人は取材にこう強調した。 公明は結党35年後の1999年、自民との連立政権をスタート。以来野党転落期を挟み、選挙協力を土台として連立路線を維持し「共に風雪に耐えた」(山口那津男公明代表)関係を築いた。公明は特に弱者への配慮
創価学会の池田大作名誉会長の死去を受けて、岸田文雄首相が自身のX(旧ツイッター)に投稿した追悼のメッセージが政教分離に反するとの批判が出ていることについて、松野博一官房長官は20日午前の記者会見で、「個人としての哀悼の意を示したものだ」との見解を示した。 【写真】創価学会の池田大作名誉会長が死去、95歳 組織を飛躍的に拡大 首相は池田氏の死去が報じられた直後の18日午後3時53分、「御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました」などとする内容を投稿し、末尾には「内閣総理大臣 岸田文雄」と記した。 これに対し、SNS上では「内閣総理大臣名で宗教法人のトップの訃報(ふほう)にコメントを出すのは問題では」「政教分離に反する」との指摘が相次いだ。松野氏は「公明党の創立者である池田氏に対して、個
岸田文雄首相が宗教法人・創価学会の池田大作名誉会長の死去に弔意を示した対応が波紋を広げている。 SNS上では憲法が定める政教分離と関連付けて疑問視する意見が続出。松野博一官房長官は20日の記者会見で「個人としての弔意」と説明し、問題はないとの認識を示した。 首相は18日、自身のX(旧ツイッター)に内閣総理大臣の肩書を添えて「深い悲しみに堪えない。国内外で平和、文化、教育の推進に尽力し、歴史に大きな足跡を残された」と投稿。自民党総裁としても同じ内容のコメントを出した。 19日には東京・信濃町にある創価学会本部別館を弔問に訪れ、原田稔会長らと面会。現職の首相が学会施設を訪れるのは異例だ。池田氏は学会を支持母体とする公明党の創立者で、連立政権を組む同党に配慮したとみられる。 SNSでの指摘に対し、松野氏は「個人として哀悼の意を表するため、首相個人のアカウントで弔意を示した」と強調。昨年12月に前
ジャーナリストの江川紹子氏が創価学会の池田大作名誉会長の死去についての思いをつづった。 創価学会は18日、公式ホームページで15日夜に池田名誉会長が東京・新宿区の自宅で死去したことを発表した。95歳だった。 このニュースに江川氏は「時代の歯車が静かに1つ動いた、と感じる」と大きな時代の流れを感じたことを明かした。 その上で「政治への影響力を持ちうる存在で、戦争や軍隊、総動員体制などに体験としての忌避感を抱いているだろう、と(私が)思える人はあと1人かな…」と私見をつづった。 名前こそ明かしていないが、江川氏は政治への影響力を持ち、戦争・軍隊に対し、忌避感を持っている大物はあと1人と見ているようだ。
18日、創価学会の池田大作名誉会長(95)が、亡くなったことが分かりました。半世紀にわたって、巨大宗教団体を率いた指導者の死は、今後の政界にどのような影響を与えるのでしょうか? ■学会員たちからは「先生」と呼ばれ…心の支えに 池田大作名誉会長(2007年):「多くの人々に感動を与えました。感服致しました」 15日、95歳で老衰のため亡くなった創価学会の池田大作名誉会長。その人生は、波乱に満ちたものでした。 平和を説き、学会員たちからは「先生」と呼ばれ、心の支えとなっていた池田氏。 池田名誉会長(1991年):「私は本当に戦争が憎い。平和でなければならない」 1928年、東京で生まれ、19歳の時に創価学会に入り、1960年、32歳の若さで第3代会長に就任しました。 ■公明党を結党…政権分離巡り批判も 大きく動いたのは翌年、政治団体「公明政治連盟」を立ち上げ、政界へ進出し、1964年に現在の公
公称会員数(信者)827万人の巨大宗教組織、創価学会の名誉会長であり、公明党の創設者でもある池田大作氏が亡くなった。創価学会の発表によれば、東京都新宿区の自宅で11月15日夜半、老衰のため95年の生涯を閉じたという。岸田文雄首相は哀悼の意を表し、国内外のメディアはこぞってカリスマ死去の影響を伝える記事を報道しているが、池田氏が率いた巨大組織を支える幹部や一般会員たちは、トップの死をどうとらえているのか。後継者問題や組織運営、政権への影響などについて、複数の会員たちが集英社オンラインの取材に応じた。 〈画像〉1962年に撮影された30代の頃の池田大作氏 32歳で宗教団体のトップになった池田氏1960年、32歳で創価学会3代会長に就任し、3年後の63年に公明党を結成、日蓮の立正安国論を引用した結党宣言を行った。75年に発足したSGI(創価学会インターナショナル)会長に就任、79年に創価学会名誉
創価学会の池田大作名誉会長が死去した。 学会を支持母体とする公明党は、長らく連立与党の一角を占めてきたが、最近は「平和の党」の看板と政権の方針にずれも目立つ。精神的な「支柱」を失い、党内に「言葉がない」(党ベテラン)と動揺も見られる中、学会の集票力に影響が及ぶ可能性も否めず、自民党は動向を注視している。 【写真特集】追悼 2023~池田大作氏死去、95歳~ 「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」。公明党が「立党精神」に掲げるフレーズは、前身の「公明政治連盟」の時代に、池田氏が唱えた一節からの引用だ。現在も党内で「不変の精神」と最重視されるなど、同氏の存在は強い影響力を持ってきた。 公明党は、1993年に誕生した非自民連立の細川政権に参画したが、1年足らずで頓挫した。政権に返り咲いた自民党は、学会の「政治関与」をやり玉に挙げ、池田氏の国会招致を再三要求。95年に秋谷栄之
宗教法人創価学会は11月18日、池田大作名誉会長が15日夜に老衰のため亡くなったと発表した。95歳だった。 【写真あり】“資産1兆円“の噂に言及した元信者の長井秀和 公表している日本での会員世帯数は827万で、公明党の支持母体として知られる創価学会。池田氏は最高指導者として、教団を飛躍的に拡大させてきた人物だ。 「池田氏が創価学会に入会したのは、19歳だった’47年。’60年に3代会長に就任すると、創価学会は’64年に公明党を結成しました。池田氏は海外布教や世界平和を目指す国際交流にも力を入れ、’75年に国際機構『創価学会インタナショナル』(SGI)の会長に就任。 中国の周恩来元首相や旧ソ連のゴルバチョフ元大統領など世界各国の要人と会談し、国外にも勢力を広げました。いまでは世界192カ国・地域に280万人の会員がいるといいます。池田氏は’79年に会長を退き名誉会長に就きましたが、大きな影響
創価学会の池田大作名誉会長が死去したことを受け、岸田文雄首相は18日、X(旧ツイッター)で「歴史に大きな足跡を残されました」などと哀悼のメッセージを発信した。創価学会は公明党の支持母体として知られていることも重なり「政教分離どこいった?」と、SNSが大いにざわついている。 岸田首相はXに「池田大作氏の御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました」と投稿。「ここに謹んで御冥福をお祈りするとともに、御遺族の方々および御関係の方々に対し衷心より哀悼の意を表します。内閣総理大臣 岸田文雄」と記し、首相の立場としてメッセージを発信した。 しかし、この対応でXは大荒れに。「政教分離のはずなのに、選挙協力してもらったからですか?」「一宗教団体でしかない創価学会の池田大作の死去に対して岸田首相が公の場
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