生前親交のあったアントニオ猪木さんが亡くなった。無念、残念だ。 猪木さんとは六本木に事務所があった頃からの付き合いだが、共通の話題はプロレスではなく、朝鮮半島と日本との関係についてだった。その集大成が今から8年前に出版した対談本「北朝鮮と日本人 金正恩体制とどう向き合うか」だ。そうしたご縁もあって、猪木さんの訃報に接してどうしても書き留めておかなければならないことがある。 猪木さんが「スポーツを通じて国際平和」をスローガンに政治家に転じたのは1989年で、大陸中国を揺さぶる「天安門事件」が発生し、ベルリンの壁が崩壊した激動の年であった。 東ドイツの瓦解による東西ドイツの統一の余波は朝鮮半島にも波及し、翌1990年にはソ連(現ロシア)が韓国と国交を樹立し、日本も自民党の実力者・金丸信副総理が北朝鮮との国交正常化のため訪朝した。韓国と北朝鮮との間でも分断史上初の首相会談が実現し、ソウルと平壌で