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バブルに関するtohokuaikiのブックマーク (7)

  • 役職定年に適応できない バブルおじさん2人の生態 | NIKKEIリスキリング

    バブル期の大量採用時代にビジネス社会にデビューしたバブル入社組。現在アラフィフを迎えている。その世代の評判が「今すこぶる悪い」と人事・組織コンサルタントの相原孝夫氏は言う。自身同世代である相原氏は、バブル入社組への応援歌として新書『バブル入社組の憂』(日経プレミアシリーズ)を刊行した。この世代が現役生活の残された時間を有益に過ごすには、どうすればいいのか、書の一部を抜粋して連載で紹介する。ここまで2回にわたって役職定年をうまく乗り切った3人について考えてきたが、今回はうまく適応できなかった2人の事例を見ていこう。 ◇    ◇    ◇ 役定社員が2人いる職場の若手社員の声うちの課は8名のうち、2名は役職定年(役定)のベテラン社員だ。AさんとBさん、タイプの違った2人だが、正直言って、いずれも困ったオジサンなのだ。課長をはじめ、皆手を焼いている。 メンバーたちは陰でふたりを"やくていさ

    役職定年に適応できない バブルおじさん2人の生態 | NIKKEIリスキリング
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2018/08/17
    ポスト島耕作世代だよね。辛いなあ。ロスジェネとは違った辛さを感じる。
  • 田中圭一のゲームっぽい日常 バブルの舞台裏 - OPTPiX Labs Blog

    「政府は景気が回復しているというけれど、少しも実感することができない。」 これは、小泉政権のころからず〜っと世間で言われ続けていることだ。こんな話を聞くたびに私は周囲の人に「じゃあどうなったら景気が回復したと実感する?」と聞いている。様々な答えが返ってくるけれど、総合してみると「バブルの時代が戻ってくれば」というのが一般的なようだ。なるほど、好景気とはまさにあの時代を指して言うのだろう。 しかし冷静に考えてみてほしい、「バブル」と名前がついてることから、この好景気は「弾けることが前提」であり、決して人々を幸福にするものではないのだ。 ボクはよく20代の人から「あなた方はいいですよね。バブルの時代にいい思いをしたのでしょう。」と言われることがある。 しかし、あの時代ボクは社会人になったばかりで、いい思いなんかほとんどしちゃいないのだ。バブル期にいい思いをしたのは、経営者から課長ぐらいまでの管

    田中圭一のゲームっぽい日常 バブルの舞台裏 - OPTPiX Labs Blog
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/04/14
    ・・・・ということは、この先バブルの経験がある人達が完全に引退するまで「景気がよくなった」と評価されることは無いわけか。
  • 今見るとスゴイ『バブル時代のOLのファッション』に驚きの声なつかしむ声「こんな格好で仕事してたのか」

    ピヨコ@姐さん @piyocop1054p グラン山貴とかプライベートメニューとか着てwwwwww プリティコンサバ系を目指してたから、こんなイケイケギャル(死語)じゃなかったけど。昔の服の肩パットがガンダムって言われてたのよくわかるwww  >RT 2016-08-13 00:50:15

    今見るとスゴイ『バブル時代のOLのファッション』に驚きの声なつかしむ声「こんな格好で仕事してたのか」
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/08/17
    まぁ、ギャグだよな。
  • オレたち黄昏バブル入社組:日経ビジネスオンライン

    だが、会社に忠誠を誓う代わりに雇用を守る暗黙の「契約」を、会社は反故にし始めた。世界競争にもまれる中、かつて大量採用した「バブル入社組」を支えきれなくなってきたのだ。捨てられるバブル入社組。だがそれを「卒業」と考えれば、必ずしも不幸ではない。 日経ビジネス8月3日号の特集「社畜卒業宣言」では、「契約不履行」に走り始めた企業の実態と、それによって、居場所をなくし始めたバブル入社組の姿を描き、その先にあるべき未来の雇用形態を探った。 この連載では、特集の連動企画として、誌面では紹介しきれなかったアンケート結果の詳細や、新たな働き方を始めた先駆者の試みなどをリポートする。手始めに、取材した実話を基に構成したストーリーを通じて、会社による一方的な契約不履行に直面して困惑するバブル入社組の実像を浮き彫りにする。 日中の最高気温が35度近くに達し、今年一番の暑さとなった7月中旬の夕方。東京都内の中堅広

    オレたち黄昏バブル入社組:日経ビジネスオンライン
  • もう消費者なんていない時代に、広告は広告でいいのだろうか。

    ぼくは広告に携わりながら、2000年頃からメディアの未来をずっと考えてきた人間だ。どうやらデジタル化で、これまでと同じやり方では済まなくなってきそうだし、しかもそれはこれまでのメディア界にとって危機になりそうな予感がしていたからだ。 2000年代後半に、予感していた危機は現実のものとなった。だがその危機はデジタルが直接もたらしたのではなく、リーマンショックという思わぬ方向からやって来たものだった。08年から09年にかけて広告費が急減し、メディア界は大混乱となった。さらに2011年の東日大震災は、人びとの、そしてメディア界の基的な"気分"を大きく変えてしまった。変化した気分の受皿として、結果的にインターネットが機能していった。今年になって震災の混乱からようやく立ち直ってきた。だがどうもメディア界はこれまでの姿を取り戻すのではなく、新しい姿に向かって再構成しはじめているように思える。

    もう消費者なんていない時代に、広告は広告でいいのだろうか。
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2013/07/05
    こういうことをバブル入社世代の人が書くと、ロスジェネとしてはすごくイラッとするわけですが、なんなんでしょう。この感情は・・・。
  • インターネット企業はどれだけの富を創造するか:梅田望夫・英語で読むITトレンド

  • すべての経済はバブルに通じる - 池田信夫 blog

    サブプライム危機以来、それ見たことかといわんばかりに、マル経の残党が『金融権力』や『閉塞経済』などの駄を出しているが、書は行動ファイナンスの専門家によるオーソドックスな金融理論を踏まえた議論である。 ところが皮肉なことに、その論理構成は宇野弘蔵によく似ている(著者も岩井克人『貨幣論』に言及しているが、あれは宇野のパクリ)。マルクスが資主義の質を生産(労働)に求めて労働価値説のアポリアに陥ったのに対して、宇野は流通にその質を求めた。これは市場で価格が決まると考える新古典派と基的には同じである。 宇野は資主義の歴史を差異による利鞘の進化と考えた。商人資主義は地域による価格差で利潤を上げたが、この差異は通商が発達すると消滅する。これに対して産業資主義は資蓄積で利潤を上げたが、これも同様の資家が出てくると競争によって利潤率が低下する。そこで資の有機的構成の高度化(技術

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