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やれやれに関するurashimasanのブックマーク (5)

  • 斎藤環先生 pentaxxx の「嘘つき」Uの話。

    東畑開人×斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 森口尚史によるiPS治験デマが盛り上がってるけど、やはり思い出されるのはソウル大学の黄禹錫教授のてんまつ。黄教授は2004年から2005年にかけてヒトクローンES細胞の培養に成功したとする論文をサイエンスに発表し、一躍「国民的英雄」となった。 2012-10-14 21:10:02 東畑開人×斎藤環 対談集『臨床のフリコラージュ——心の支援の現在地』青土社 @pentaxxx 韓国科学技術部は黄を「最高科学者」の第1号に認定、「黄禹錫バイオ臓器研究センター」が設立され、記念切手が計画され、大韓航空のファーストクラスに10年間乗り放題の権利が与えられ、巨大な銅像が建立され、多数の黄の伝記や漫画が発売されるに至った(Wikipedia)。 2012-10-14 21:10:19 東畑開人×斎藤環 対

    斎藤環先生 pentaxxx の「嘘つき」Uの話。
    urashimasan
    urashimasan 2012/10/15
     まあ、嘘をつき続ける人よりは知ったかぶりを続ける人のほうが何倍もマシではあるよね。
  • 『文学の精神分析』斎藤環(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「文学につける薬」 「文学」が嫌い、という人が意外に多い。関心がないというのではなく、積極的に、嫌い。筆者の勤務先は、「文学研究者」をめざしている人がいるはずの所なのだが、実際には、文学が嫌い、という人がけっこういる。口で言わなくてもわかる。顔にそう書いてある。 実は、筆者もそのひとりである。いつもではないのだが、ときどき、嫌いになる。昔はもっとそうだった。「文学」は、胃腸の働きのよくない者には向かないのかもしれない。腹にもたれるし、胸焼けもする。陶しいときには、実に、陶しい。 そんなときに「文学」の消化分解を助ける薬がある。その昔、筆者がよく手にしたのは精神分析批評だった。この20年の間に精神分析や精神分析批評をめぐる環境は変わっていったが、今回、斎藤環の作家論を集成した『「文学」の精神分析』を読んでみて、あらためて「そういうことだったか」と思ったことがいくつあ

    『文学の精神分析』斎藤環(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    urashimasan
    urashimasan 2009/09/09
     斎藤環 "冷えるための装置" ”たぐいまれな言語の使い手である賢治に対して、はたして本当に「去勢」が欠けているなどと言いうるものだろうか”
  • 「「千と千尋の神隠し」は「少女売春」の話ではありません。」 - ちゃずけのはてなにっき

    「指輪物語」で有名なトールキンが自分の作品に読者が「暗喩」を求めるのを否定した、の話を読んだことがある。 ファンタジーの世界とは個人が作りあげたものではない、の意識を持っていたんじゃないかとその時、思った。 ファンタジーとは、別世界からのメッセージが個人を通して伝えられるものだ、 個人の「表現力」という心象風景だけを取り上げて「分析」されるのは迷惑だ、もっとその美しい世界を自由に楽しめ、と トールキンは言いたかったんじゃないのか、宮崎作品へのネットでの激しいバッシングを読む度考える。 私も、つっこむためだけに見るような己の感性の貧しさを恥じよ、と先日読んだ日記の方に完全同意する。 昨日、「千と千尋の神隠し」を見直してみた。 この作品は町山さんが「少女売春の話だ!」などといつものように妄想電波炸裂なことを言ったので、以来、 その口まねさえすれば聡明に見えると信じている頭の悪い人間がその発想が

    「「千と千尋の神隠し」は「少女売春」の話ではありません。」 - ちゃずけのはてなにっき
    urashimasan
    urashimasan 2008/08/19
    ”個人が表現した「夢」は下手な「精神分析」で切り刻まれるような世界ではない、くだらない「夢判断」を得意になって「批評」と称する人間はどれだけ哀れな存在であることか。” 下手には下手と言えばいい。
  • パンダとポニョ(2): たけくまメモ

    (※前回からの続き) なぜ宮崎駿に限って例外的な映画作り(極端な作家的独裁)が許されるのかといえば、もちろん大ヒットするからであって、それ以上でも以下でもありません。しかしなぜヒットするのか、その理由について、俺はこれまで納得のいく説明を読んだことがありません。絵が綺麗だとか、動きが素晴らしいとか、高いテーマ性があるからとか、音楽がいいとか、いくらでも説明はあるのだけれども、それだけが理由だとは、どうも思えないのです。 なぜなら宮崎アニメ以外にも、高いテーマ性をもっていたり、映像や音楽が素晴らしい作品はいくらでもあるからです。もちろん宮崎駿が天才であって、高い芸術性と娯楽性を併せ持った巨匠だということは分かっています。そんなこと、小学生でも知っている。しかし、具体的にどこがよくて、何がヒットの原因なのか説明しろと言われると、とたんによくわからなくなるのです。 宮崎アニメについては昔から言わ

    urashimasan
    urashimasan 2008/08/12
    ”宮崎監督には、そもそも「ドラマのつじつまを合わせる」ことへの興味が最初からないとしか思えません。”
  • パンダとポニョ(3): たけくまメモ

    ←鳥山石燕『画図百鬼夜行』より (※前回から続く) ところで、以前のエントリ(→★)でも書きましたが、ポニョは「さかなの子」と主題歌で歌われているにも関わらず、とても魚には見えないという問題があります。どちらかといえばそれは、江戸時代の画にある妖怪の人魚にしか見えないわけです。(左図) ←人魚図 江戸時代の瓦版 笹間良彦『図説・日未確認生物事典』より しかし、主人公の宗介はポニョを見て開口一番「あ、金魚だ」と言いますし、お母さんのリサも、保育園の友達も「可愛い金魚」と言います。このことから、私たち観客は、これは人間のような目鼻がついており、髪まで生えていてどうも金魚には見えないけど、そこは「マンガのウソ」というやつで、こう見えても金魚なのだろう。金魚に違いない。と、うっかり考えてしまいます。 それはあたかも、二足で歩いて人間の言葉をしゃべるミッキーマウスを見て、とてもネズミには見えない

    urashimasan
    urashimasan 2008/08/12
    ”人間の無意識とはなんだかわからないものがその本質なので、無意識をそのまま映画にすれば、なんだかわからないものになって当然だと思います。”
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