タグ

批評の貧困に関するurashimasanのブックマーク (37)

  • トトロってどんな話なの?

    何が目的で話が進められてんのか分からん。 っていうかジブリの9/10作品くらい何やってるか理解できてない(ラピュタ、魔女宅あたりは分かる) 特に紅の豚が訳が分からない。 小さい子が見て分かる内容なの? 自分の理解力が乏しいの? 誰か説明してほしい。

    トトロってどんな話なの?
  • 宮崎駿監督にはただただ軍事マニア全開のアニメ映画を作ってほしいという声

    タケダ1967 @takeda1967 宮崎さんてある時期から感覚が文化人おじいちゃんみたいな感じになっちゃったじゃないすか。でもあれって巨匠になって世間体を気にしてるだけで隅っこの雑誌で描いてるものをみるとちゃんとキレキレで面白いのね。これとかセンス抜群だよ。よそいきにカッコ付けないでただただ面白いのを作って欲しいよ pic.twitter.com/sKtEQQ6tRI 2018-08-30 18:58:11

    宮崎駿監督にはただただ軍事マニア全開のアニメ映画を作ってほしいという声
  • ジジはなぜ言葉を失ったままなのか―『魔女の宅急便』(宮崎駿) - Devil's Own

    Kiki's Delivery Service/1989/JP 『魔女の宅急便』について書きたいと、かれこれ3年くらい思い続けていました。宮崎駿の監督作の中でも屈指の人気作だから、特別な思い入れを持つ人も多いとおもう。私なんかよりもずっと多くの回数を繰り返し見ている人だっているだろう。私がこの作品について深く考える直接のきっかけとなったのは宗教学者、島田裕巳の『映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方』を読んだことだ。『ローマの休日』や『スタンド・バイ・ミー』などの名作を「通過儀礼」という視点から分析することで、テーマやメッセージをつまびらかにする論評集で、映画(特にアメリカ映画)を読み解く格好のテキストになっている。そののなかに『魔女の宅急便』を扱った章がある。タイトルは「『魔女の宅急便』のジジはなぜ言葉を失ったままなのか?」。ここで島田は『魔女の宅急便』、ひいてはジブリ作品全般に

    ジジはなぜ言葉を失ったままなのか―『魔女の宅急便』(宮崎駿) - Devil's Own
    urashimasan
    urashimasan 2015/01/14
    (本文ではなくて)島田裕巳の『映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方』”ここで島田は『魔女の宅急便』、ひいてはジブリ作品全般における「通過儀礼の不在」を指摘”/自分の武器で切れないものはゴミ扱い
  • 『思い出のマーニー』米林作品の「反創造」姿勢とは

    以前、ブログ記事『借りぐらしのアリエッティ』 脅威!不毛の煉獄アニメーションを書き、かなり悪し様に言葉を尽くして、米林宏昌監督をののしった。そのくらい、米林監督の初監督作『借りぐらしのアリエッティ』のつまらなさというのは、人智を超えたものだった。 そもそも、テーマやストーリー以前に、何を見せたいのか、何を感じさせたいのかが不明瞭なほど、演出のレベルが低くセンスも無いために、作品としての体(てい)を成していなかった。 仮に、目一杯好意的に見て、スタジオジブリ作品で初監督を務めることのプレッシャーや現場の意思疎通不足、混乱などを加味しながら、演出の不備を最大限に看過し擁護するとしても、それでも最も失望し驚かされたのは、作品から感じられる個性や野心の欠如、創造性の欠如、知性や主義主張の欠如、ユーモアと観客へのサービス精神の徹底的な欠如という、あまりにも根的な資質や姿勢が欠如していたことであり、

    『思い出のマーニー』米林作品の「反創造」姿勢とは
    urashimasan
    urashimasan 2014/07/27
     すくなくとも評者は原作を読めていない。
  • 村上春樹と宮崎駿の物語は、マニュアル化されている!? - チェコ好きの日記

    「村上春樹のファン層と、宮崎駿のファン層って重なる気がするんだよな」 と、いっていたのは、知人だったかだれだったか。前者のファンではあるけれど、後者はどちらかというとアンチに属する私は、思わず「むむむ」と反論したくなったものです。 しかし、先日『物語論で読む村上春樹と宮崎駿——構造しかない日』というを読んだことがきっかけで、「やっぱり村上春樹と宮崎駿って似てるのかもしれない」と思い直した私は、この超有名な2人の作者の物語について、考えてみることにしました。 物語論で読む村上春樹と宮崎駿 ――構造しかない日 (角川oneテーマ21) 作者: 大塚英志出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)発売日: 2009/07/10メディア: 新書購入: 12人 クリック: 69回この商品を含むブログ (43件) を見る 村上春樹と宮崎駿の物語は、マニュアル化されている!? 「ホッ

    村上春樹と宮崎駿の物語は、マニュアル化されている!? - チェコ好きの日記
  • ドリーさんのamazonのレビューなんか全然すごくない

    件の記事は以下を参照されたし Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー このレビューがおもしろいことは認める。独特の切り口に歯に衣着せぬ物言いは、確かにとびっきり面白い。でも、ただ単に面白いだけで、作品の質は何にも言い当てられていないと思う。 ネタにマジレスするなって怒られるかもかもしれないけど、好きな小説をここまでコケにされて、「これこそが正当の評価だ」みたいなブコメをたくさん読むと、何か一言言いたくなって書いた。 作品で元気付けられて何がいけないのだろうか?わざわざ嫌いな作家の作品を読んで、長々とレビューを書いたわけだから、 ①俺は作品を正当な評価をすることができる ②世間では流行っているが、面白くない小説が流行っているのは許せない ③俺の読み方によると、これはつまらない作品だ ④その誤った評価を俺が正してやる! このような思考の元

    ドリーさんのamazonのレビューなんか全然すごくない
    urashimasan
    urashimasan 2013/05/12
     村上春樹作品には全く共感できないが、批評めかした罵倒芸があんなに共感を集めてしまうのにはむなしさを憶える。何かを守らんとするわけでもない罵倒なんぞがそんなに楽しいものなのかね。
  • アニメ評論家には、そんなにアニメ作画は批評するに値しないものと思

    われているのだろうか?(タイトル入りきらなかった) http://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2013/02/05/013220 それにしても、と僕は思う。 日には、アニメに関する批評が存在しない。批評家が存在しないだけでなく、批評の場そのものが存在しない。 (「庵野秀明はいかにして八十年代日アニメを終わらせたか」東浩紀) 東浩紀が上のように記したのは1996年で、それから17年が経った今日におけるアニメ批評のややうんざりするくらいの百家争鳴、玉石混交を伴う興隆ぶりは周知の通りだが、然るに未だに日には、アニメ作画に関する批評が存在しない、という一抹の事実には素朴に驚かされる。とはいうものの、作画について語るという文化自体が、せいぜいここ十年くらいの間に醸成されてきた、というこれまた意外に思われる史実と突き合わせてみれば、それほど驚くべきこと

    アニメ評論家には、そんなにアニメ作画は批評するに値しないものと思
  • The Red Diptych

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych

    urashimasan
    urashimasan 2013/04/23
     私は批評家ではないしすべての論点に賛成するわけでもないけれど、ここに書かれた不満にはおおいに共感できる。なぜ自らが作品と向き合い反芻することは、こうも嫌悪されるのだろうか。
  • 「面白い作品と面白くない作品」「批評家と批評文」の話

    「面白さを理解するために批評という翻訳が必須な作品」は面白いのか?面白くないのか? 「批評家の批評文」とはどうあるべきか? などなどのお話。 続くかも、続かないかも。 御意見、御感想、お待ちしています。

    「面白い作品と面白くない作品」「批評家と批評文」の話
    urashimasan
    urashimasan 2012/12/08
     学習において、初見で理解できないと焦ってしまう性質は、何かを深く探求することの大きな妨げになる。正解のない批評の世界では、より大きな問題なのかも。
  • Kotaku - The Gamer's Guide

    RuneFest, a convention run by the creators of RuneScape, is supposed to be an annual celebration of the fantasy MMO that came out in 2001 and has stayed improbably relevant in 2018 due to updates, iterations, and an active streaming community. This year, some attendees raised concerns about one streamer in particular,…

    Kotaku - The Gamer's Guide
    urashimasan
    urashimasan 2012/06/26
     「あらゆる小説を「推理小説」のように読もうとすることの誤り」問題。(エーコ)
  • アニメ監督・北久保弘之氏、宮崎駿氏がなぜ『天空の城ラピュタ』を失敗作だと思われているのかを語る。

    北久保監督のつぶやきをまとめました。 北久保さんのつぶやきを拝見し私個人としては、宮崎監督はラピュタは制作者として後悔がものすごく残ってしまった作品なのではないかと感じました。また宮崎監督は携わった全作品について多かれ少なかれ納得していないのだと考えます。だからこそ今現在も新しい作品に挑戦し続けられるのだと思います。 北久保弘之 - Wikipedia - http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BC%98%E4%B9%8B

    アニメ監督・北久保弘之氏、宮崎駿氏がなぜ『天空の城ラピュタ』を失敗作だと思われているのかを語る。
  • The Red Diptych

    ようこそゲストさん ブログトップ 記事一覧 ログイン無料ブログ開設 The Red Diptych

    urashimasan
    urashimasan 2011/10/08
     ゴダール ”私は批評されることを、ただし明白な証拠をもちいて批評されることを必要としているのです……あの映画を気に入ったかどうかはどうでもいいことです。私がほしいのは証拠なのです”
  • わにぞう日記 酷評レビューのメンタリティー研究がしてみたい

    「コクリコ坂から」を肯定的評価とともにみた。ところが世のレビューを見ると酷評の嵐。この現象は「アリエッティー」の時と同じだ。なぜ彼らがここまで酷評をするのか。率直に言って理解しにくいが、想像はできる。彼らの期待しているものとこれら最近2作品のベクトルが異なること。一定の人生経験と思慮を前提とした作品となっていることがあるのだろう。 世界そのものの在り方に対するメッセージは入っていない(というか、人の生き方の根にかかわるメッセージが入っていることからすると世界そのものの在り方を含んでいるのだが、彼らには理解できないのだろう)。主人公が世界を救ったりはしない(というか、これら2作品のテーマはこの世界に生きる我々の問題を含んでいるのだが、彼らには理解できないのだろう)。ファンタジーはない(というか、こんな素敵な設定はファンタジーそのものなのだが、彼らには感じ取れないのだろう)。少し加えるとする

  • さやかと杏子はどこまで“メンヘル”だったのか? - シロクマの屑籠(汎適所属)

    http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110527/1306510563 リンク先では、『魔法少女まどか☆マギカ』のさやかと杏子、特にその最期について、『認知障害』『うつ病』『メランコリー親和型性格』といった精神医学の用語を用いて解説を行っている。その概要は、“さやかと杏子は『認知障害』の状態に陥っていた”、という主張だ。つまり、これらの精神医学の用語で、さやか・杏子の“心理的背景”の中核は説明できる、ということらしい。はてなブックマーク上では賛辞の声が多く集まっているようだが、私自身の知識と照らし合わせて、どうもしっくり来ないし納得できない。そこで、このエントリで反駁を試みることとする。 1.さやか・杏子はどこまで“正常な思考が出来ない状態”に陥っていたか? まず、“認知障害”という、かなり曖昧な精神医学用語に、さやか・杏子が該当していたか?について考えよう

    さやかと杏子はどこまで“メンヘル”だったのか? - シロクマの屑籠(汎適所属)
  • 「反アニメ批評な話とか」の反応

    フレーバー @StarlightFl1982 .@Munetakaoi さんの「反アニメ批評な話とか」をお気に入りにしました。 確かにマギカの批評には違和感があったのでこの方向ってのは期待してる。そもそも○○を越えるって何? http://togetter.com/li/133374 2011-05-09 12:57:15

    「反アニメ批評な話とか」の反応
  • 反アニメ批評な話とか

    むったん @Munetakaoi いやあ,アニメって作品の中身(ストーリー)は語られる/批評されるけど,技術的なこと/演出的なことって案外批評されないよね.マンガ論やってた人間から見ると不思議. 2011-05-09 01:16:45

    反アニメ批評な話とか
  • 各方面でごまかされている当事者性 - Freezing Point

    「〈企画〉 アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ」(京都大学新聞社) もとのアニメは見ていないが、強く触発された。 当事者性とは、伝わらないものを抱えること。 受け入れられたいという願望を満たすために自分で格闘しなければならない、そういう状況に追い込まれること。 そして、《責めあり》の存在であること*1。 たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる。 そもそも思考は、ある仕方で批判可能性を引き受けつつ、それとは別の階層の批判可能性を封じる*2。 お約束――≪この話をしているかぎり、論じ手は自分の関係性それ自体について当事者的自己解体を迫られることはない(分析それ自体のレベルで面白くないと責められることはあっても、思索事業の前提は批判されない)≫ 当事者とは、倫理性を帯びることなのに、 現状の当事者概念は*3、倫理性を免除する装置でしかない。 周囲は《

    各方面でごまかされている当事者性 - Freezing Point
    urashimasan
    urashimasan 2011/05/01
    "たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる" http://backupurl.com/7lvye9
  • 希有馬さんによる最近の宮崎駿先生論

    井上純一(希有馬屋)『逆資論』発売中 @KEUMAYA 宮崎駿はポニョのドキュメンタリーでこういってる(うろ覚えだけど)。「ファーストカットが決まると、映画の大部分は決定してしまう」。これは宮崎駿のように天才じゃない、凡人の自分にも分かる。 2011-02-16 12:04:34

    希有馬さんによる最近の宮崎駿先生論
  • 『崖の上のポニョ』は大傑作の「童話=神話=《ホラー》」だ、って今更…

    村上春樹と宮崎駿の作品は どうもオンタイムで観れない、読めない 『ポニョ』もDVDで今日はじめて観た あまりの傑作ぶりにたまげた(宮崎作品のマイベスト…かも…)

    『崖の上のポニョ』は大傑作の「童話=神話=《ホラー》」だ、って今更…
  • ラピュタの物語構造の考察 なぜ劣化コピーになるのか?

    セガガガのRPGパートのシナリオくらいしか、代表作が無い俺[ http://twitter.com/shields_pikes ]が書きました。 キャラや世界観や伏線を参考にしても、宮崎作品は模倣出来ない。 ラピュタやエヴァを参考にして作品を作ると、なぜ劣化コピーになりやすいのか、考察しました。

    ラピュタの物語構造の考察 なぜ劣化コピーになるのか?