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ケータイ小説に関するurashimasanのブックマーク (12)

  • 荻上チキ「ケータイ小説批評の批評だょ」 - ビジスタニュース

    荻上チキ「ケータイ小説批評の批評だょ」 2011年02月23日21:30 担当者より:『社会的な身体』(講談社現代新書)などの著書で知られる批評家・荻上チキさんが、2008年に当時多数刊行されたケータイ小説を論じた書籍についてレビューした原稿です。当時のブームを改めて振り返ることができる内容ですので、ご一読のほど。 配信日:2008/07/16 2007年のケータイ小説ブームを受け、今年には「ケータイ小説批評」言説が多く出揃っている。トーハンの売り上げランキングを見る限り、さすがに昨年ほどの勢いはケータイ小説には見受けられないのだが、その一方で既に「あのブームはなんだったのか」という分析が始まっている模様。 今年発売したケータイ小説に関する書籍だけでも、次のようなものが並んでいる。 (1)田透『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書、2008/2) (2)吉田悟美一『

  • 『Hang Reviewers High / ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』へのコメント

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    『Hang Reviewers High / ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち』へのコメント
    urashimasan
    urashimasan 2010/10/18
    "「批評は死んだ」「批評が機能してない」…そもそもの原因は批評の向かう方向が間違っているのだ。相田みつをを疎外すること、ケータイ小説を疎外することでしか自分たちの優位をアピールできないところ"
  • 浜崎歌詞に「ケータイ」が登場しないという事実を我々は決して忘れてはならない - kenzee観光第二レジャービル

    kenzee「浜崎あゆみ「Rock'n Roll Circus」vs「to LOVE」問題に移る前に、前から思っていた素朴な疑問を呈してみたい。速水さんが再三、の中で述べているように浜崎の音楽とケータイ文化は密接にかかわっており、二人三脚でこのゼロ年代を駆け抜けた。そのワリには浜崎の歌詞にはケータイが登場しないのだ。たとえば恋人から着信があってうれしいとか一日たってもメールが返ってこない寂しい、とかそういう描写は浜崎ソングには一切ない」 司会者「「何回かけても繋がんないんだけどー」「ゴメーン地下街歩いてたんで電波入んなかったんじゃないかニャー」「最近の地下街余裕で電波入るわヴォケ!」とかそういうリリックがあってもよさそうですが浜崎にはそういうケータイ的なコミュニケーションがまったく描かれてこなかった。これはどうしてだろう?」 kenzee「たとえば浜崎は2001年ごろ、ツーカーのイメージ

    浜崎歌詞に「ケータイ」が登場しないという事実を我々は決して忘れてはならない - kenzee観光第二レジャービル
  • Hang Reviewers High / リアル鬼ごっこ

    「リアル鬼ごっこ」という小説の評価は全くひどくて、それは知っていた。いわく、物語の筋が陳腐であり、かつ展開が矛盾したものであったり突飛であったりして、とても読むに耐えないのだという。こんなものが何万部も売れて、映画化まで決まるのはおかしいという。Amazonのレビューにはそういう罵詈雑言を書き連ねたレビューがどんどん掲載されている。それによると、そもそも文章が書けておらず、このを罵倒するレビューを書いている者の方がよっぽど豊かな日語能力があるのだという。 僕がただ不思議なのは、そんなにひどいならば、なぜ何万部も売れたのだろうかということだった。Amazonレビューの意見では、小説読者の質が下がっているから、こんなものが売れるのだということだった。実につまらない意見で、そんな老人の繰り言のようなことを書いていて楽しいのだろうかと思う(もちろん彼らは楽しいのである)。そういう意見は単に書

    urashimasan
    urashimasan 2009/06/15
     ”単に書き手自身が作品を否定しただけであって、結局この本が多くの人に支持された理由について何がしかの理解をもたらすわけではない。”
  • Hang Reviewers High / ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち

    速水健朗「ケータイ小説的。」は、僕が読んだここ1年ほどに上梓された批評に類する文章のうちで、最も面白い。ひょっとすると、ここ数年で最も面白いものの1つだと言っていい。 僕が書を高く評価する理由の最たるものは、これが単にケータイ小説というジャンルを批評したものだから、ということではない。それよりもむしろこのが、正しく批評であろうとしているからなのだ。速水健朗は、例えば、ケータイ小説を擁護するために、つまりそれを愛する人々が属するコミュニティの代表者としてなど、書を記述してはいない。同時に、彼はケータイ小説など唾棄すべきだという理由では書を書いていない。彼が書を記述しようとする動機はただ、次のようなものである。すなわち、今ケータイ小説は現代の日の社会にとって無視できない程度の支持を集めている。端的に言えば市場において十分に売れている。にもかかわらず、それは多くの論者によって無視され

    urashimasan
    urashimasan 2008/08/03
    ”いま広範囲の読者が「ほんとにあった話」を求めてしまっている事態”
  • 斎藤環『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』 - logical cypher scape2

    小説トリッパーでの連載をまとめて、加筆したもの。 トリッパーの連載もほぼ読んでいた。というか、自分がトリッパーを読んでいたのは、ほとんどこの斎藤環の連載を読むのが目的だった。トリッパーをチェックしていた時期と、これが連載されていた時期はちょうど重なっている。 かなり、時評的な色彩が強く、今となってはちょっとなあと思うところもあったりするが、逆に、今でもいけるだろうというところもある。 取り上げられる作品は、いわゆるファウスト系であったり、参照される論も、東、大塚、笠井といったあたりが中心なのだが、しかしそれ以外にも、『DeepLove』『いま、会いにゆきます』『電車男』を取り上げてみたり、『となり町戦争』『りはめより100倍怖ろしい』を取り上げてみたり、あるいはもっとそれ以外の作品(『メタボラ』や『悪人』、『ベルカ、吠えないのか』、『ニート』、『半島を出よ』など)が取り上げられていたりする

    斎藤環『文学の断層 セカイ・震災・キャラクター』 - logical cypher scape2
  • ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち 作者: 速水健朗出版社/メーカー: 原書房発売日: 2008/06/09メディア: 単行購入: 25人 クリック: 781回この商品を含むブログ (213件) を見る 内容(「MARC」データベースより) 浜崎あゆみ、NANA、郊外型ショッピングモール、携帯メール…。彼女たちの物語はどこから生まれたのか? コミュニケーションという地獄を生きる少女たちの文化と生態を、ケータイ小説から読み解く。 最近ずっと「ケータイ小説が売れた原因を分析した」を見かけては手にとっているのですが、この『ケータイ小説的。』というのは、そのなかでもかなり興味深い一冊でした。ほとんどの「ケータイ小説論」が、ケータイ小説を「社会現象」として、あるいは、「ケータイ小説に書かれている内容は事実か?いまの高校生は、当にこれを『リアル』だと感じているのか?」ということを

    ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
    urashimasan
    urashimasan 2008/07/19
    ]”サイトに自作をアップするのも、いつものメールの延長で、手軽に、紋切り型の物語を書いて遊んでる子がほとんどです”
  • 【雑記】・「ケータイ小説の分析って、そんなに必要か?」 - ふぬけ共和国blog

    なんか、たまたまネットウロウロしていたらいわゆる「ケータイ小説」を分析したが何冊か出ていて、それの書評が書かれていた。 私は、それらのをまだ読んでない。でもその書評のいくつかを読んですごく気になった。 ・その1 まず、根的な疑問として、なんで「ケータイ小説」を分析しなければならんの? 「ケータイ小説」を分析することの意義は、以下の二点にしかないはず。 ・自分も「ケータイ小説」、あるいは「ケータイ小説的なもの」をリリースして、お金をもうけたい ・明らかに書籍を読まず、通常の文学には指を動かさない「ケータイ小説」の読者の心情を理解し、彼女たちに向けた言葉をつむぎなおして、最終的に世の中をよくすることに役立てる いやホント、笑うところじゃないから。まあ、「ケータイ小説」の読者が奪っているのがマンガの読者か、ライトノベルか、ゲームかはわからないし、商売上の分析をするのはわからないではない。

    【雑記】・「ケータイ小説の分析って、そんなに必要か?」 - ふぬけ共和国blog
  • 女子高生のリアリティ

    どっちかというと、電車男の時は、非モテオタたちが「こんな女神のようないい子が存在するなんて!」と騒いでたけど「相手を落とすつもりならこのぐらい女なら普通にやるだろ常考」と恋愛経験者側はシビアに見てたという感じじゃないだろうか。 「こんな現実あるわけない」とファンタジーにしたかったのは非モテの方って感じ。 恋空に女子高生がリアリティを感じるのは、妊娠もレイプも絵空事じゃなくて自分に実際に起こりうることという認識があるからじゃないかな。実際それなりにはカジュアルに起こってることだと思う。 自分は県内で偏差値が一番高い進学校に通ってたけど、同級生で中学時代の元彼(違う高校)に呼び出されて行ってみたら知らない人たちにレイプされたって子はいたし、電車通学多かったから痴漢にあう子もたくさんいて、電車を降りてもつきまとわれて怖い思いをしてた子ってのもいるし、電車通学じゃない子でも夜道で追いかけられて怖い

    女子高生のリアリティ
  • 2008-07-07 - ぼんやり上手

    ケータイ小説文化的背景を探るという変化球ケータイ小説。レディース雑誌「ティーンズロード」や浜崎あゆみ、郊外のショッピングモール文化といった一見脈絡のないものを結びケータイ小説を読み解く大胆な見取り図を提示しています。 今までまったく小説や物語に触れたことのないような人が書いたケータイ小説というのは、どうやって生まれて、どういう風に受け取られてるのか。物語を語りたい/聞きたいというのは、人間の自然な欲求だけれど、ケータイ小説はそれを既存の小説とはまったく違ったコードでやっている。それはどんなコードなのか。こういったことがこのでぐいぐい解き明かされていくのがとてもスリリングでした。 読んでいて一番驚いたのが、189ページのケータイ小説の精神分析的解釈。 要約すると、「ケータイ小説というのは、自分を抑圧するDV彼氏を、不治の病や不慮の死という形で殺す物語」ということですが、この解釈にはナ

    2008-07-07 - ぼんやり上手
    urashimasan
    urashimasan 2008/07/08
    "189ページのケータイ小説の精神分析的解釈"
  • 「ケータイ小説的。”再ヤンキー化”時代の少女たち」/速水健朗 - 空中キャンプ

    速水健朗新刊(原書房)。ちょうおもしろい! 社会学的な見立てもばっちり決まって、綿密なリサーチと共に展開される論旨も説得力じゅうぶん。ケータイ小説を論じながら、同時に郊外論であり、携帯電話の普及にともなうあたらしいかたちのコミュニケーション論でもあり、九〇年代から〇〇年代にかけての文化論でもある。こうしたたくさんのキーワードが、速水の提示するひとつの枠組みの中にぴったりと収まる気持ちよさが味わえる好著でした。これ、すごくいいですよ。「なにかを上手に説明されるとすごく気持ちがいい」というわたしの性格にぴったりの一冊、「説明されたがり」の欲求を満たしてくれるテキストである。 わたしは東京に住んでいて、ふだんは新宿の紀伊国屋か、渋谷のブックファースト(移転してからはいまひとつ好きではない)、もしくはパルコ地下のリブロでを買う。映画を見るのも、同じく新宿か渋谷。車は持っていないから、買いものをす

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    テレビドラマ 【動画】「ナイツ&マジック」をフルで無料視聴する方法と見逃し配信サイト 2021年9月27日 chigusa@atonality.jp

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