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歴史に関するurashimasanのブックマーク (55)

  • 激動の時代、うまくいかなくなったアワとキビの栽培、うまくいかなくなったイネの栽培 | 日本語の意外な歴史

    ブログをお読みいただき、ありがとうございます。ブログでは今まさに日語(の話者)が大陸から日列島に入ってくるところを捉えようとしていますが、日列島に入った日語(の話者)がその後どうなったのかという問題にも徐々に目を向けていきます。紀元前900~800年頃に大陸から新しい人々が入ってきて、日の弥生時代が始まります。弥生時代から、日歴史は以下のように展開していきます。 邪馬台国論争は有名なので、邪馬台国という国とそこにいた卑弥呼という女性のことは皆さんも聞いたことがあるでしょう。奇妙なことに、邪馬台国と卑弥呼の存在は、中国歴史書には記されているのに、日歴史書には記されていません。中国歴史書がなにか間違ったことを書いているのでしょうか、それとも、日歴史書(「古事記」と「日書紀」)がなにか隠しているのでしょうか。いずれにせよ、現代の私たちに混乱を引き起こしていることは

  • 波瀾万丈な朝鮮半島の歴史、渡来人の正体がなかなか明らかにならなかった理由 | 日本語の意外な歴史

    ブログをお読みいただき、ありがとうございます。ブログでは今まさに日語(の話者)が大陸から日列島に入ってくるところを捉えようとしていますが、日列島に入った日語(の話者)がその後どうなったのかという問題にも徐々に目を向けていきます。紀元前900~800年頃に大陸から新しい人々が入ってきて、日の弥生時代が始まります。弥生時代から、日歴史は以下のように展開していきます。 邪馬台国論争は有名なので、邪馬台国という国とそこにいた卑弥呼という女性のことは皆さんも聞いたことがあるでしょう。奇妙なことに、邪馬台国と卑弥呼の存在は、中国歴史書には記されているのに、日歴史書には記されていません。中国歴史書がなにか間違ったことを書いているのでしょうか、それとも、日歴史書(「古事記」と「日書紀」)がなにか隠しているのでしょうか。いずれにせよ、現代の私たちに混乱を引き起こしていることは

  • 縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果

    かつて近世の古民家のような茅葺きに復元された縄文時代の住居が、土をかぶせた屋根に変わってきた。発掘調査に基づいており、新たに復元整備される遺跡では土屋根が主流になるとみられる。31日まで開催中のユネスコ世界遺産委員会では、土屋根が複数箇所で見られる「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録される見通し。縄文集落の景観イメージは大きく変わりそうだ。 まるで土饅頭裏側から見ると、まるで土饅頭だ。「北海道・北東北」を構成する17遺跡の一つ「入江貝塚」(北海道洞爺湖町)の復元住居は土で覆われ、従来の茅葺きとイメージを大きく違える。「風が入らず、保温性が高い」(同町教育委員会)という。 茅葺きのイメージがあるのは、現在見られる復元住居の多くが茅葺きのためだ。縄文や弥生時代の家は、地面を掘りくぼめて複数の柱を立て、その上に屋根を掛けた半地下式の竪穴住居。床のくぼみや柱穴は全国で見つかっているが、失われた屋根

    縄文人の家、「茅葺き」から「土屋根」へ 研究30年の成果
    urashimasan
    urashimasan 2021/07/19
    ”「御所野遺跡」(岩手県一戸町)で平成8年に行われた焼失住居跡の調査では、焼け残った柱や屋根材と焼土の堆積状況から全国で初めて縄文時代の土屋根住居を確認。樹皮の下地に土をかぶせた土屋根が復元された”
  • 中国の新石器文化の一覧 - Wikipedia

    この地図では中国を九つの地域に分けている。 中国東北部: 内モンゴル自治区、黒竜江省、吉林省、遼寧省 中国西北部 (黄河上流域): 甘粛省、青海省、陝西省西部 黄河中流域: 山西省、河北省、河南省西部、陝西省東部 (華北平野。以前は中国古代文明の発祥地とされていた) 黄河下流域: 山東省、安徽省、江蘇省北部、河南省東部 長江下流域: 江蘇省の大部分および浙江省 長江中流域: 湖北省と湖南省北部 四川省と長江上流域 中国東南部: 福建省、江西省、広東省、広西チワン族自治区、湖南省南部 (ベトナム北部の紅河下流や、台湾も含まれる) 中国西南: 雲南省、貴州省 文献[編集] Chang Kwang-chih, The Archaeology of Ancient China, Yale University Press: New Haven, 1986 (Fourth Edition Revis

  • 中国最古、5300年前の宮殿跡か 後代の王朝と共通点:朝日新聞デジタル

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    中国最古、5300年前の宮殿跡か 後代の王朝と共通点:朝日新聞デジタル
    urashimasan
    urashimasan 2021/01/20
    ”双槐樹遺跡では規則的に並ぶ住居や道路の跡、祭祀(さいし)場、天文観測施設の遺構などが発掘され、約5300年前の都市遺跡とみられている”
  • 「国宝級」の玉虫入り馬具と判明 福岡・船原古墳で出土:朝日新聞デジタル

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    「国宝級」の玉虫入り馬具と判明 福岡・船原古墳で出土:朝日新聞デジタル
    urashimasan
    urashimasan 2020/11/13
    福岡県古賀市の国史跡・船原(ふなばる)古墳(6世紀末~7世紀初め)で出土した多数の馬具の中に、玉虫の羽を組み込んだ装飾があることがわかった。
  • “マッチョ”な弥生人 その正体は!?|NHK NEWS WEB

    弥生時代、女王・卑弥呼が治めた「邪馬台国」があったという説もある九州北部。ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。“マッチョ”な理由を探ってみると、古代人たちの知られざる営みが見えてきました。(福岡放送局ディレクター 佐々木健)

    “マッチョ”な弥生人 その正体は!?|NHK NEWS WEB
  • 後漢の銅鏡、完全形で出土 福岡仲島遺跡、2世紀前半 - 産経WEST

    福岡市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で見つかった。市によると、弥生後期の銅鏡が割れていない状態で発掘されるのは珍しく、福岡平野では初めてという。 銅鏡は直径11・3センチで「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」と呼ばれるタイプ。コウモリのような文様に、子孫繁栄を意味する「長宜子孫」の4文字が施されている。さびもなく、鏡面に物がかすかに映るほど状態が良かった。 中国歴史書「後漢書」には、107年に倭国(日)が奴隷を献上したとの記述があり、市は銅鏡と時期が重なることから「大陸との交流を考える上で貴重な資料だ」としている。 今年4月、弥生時代後期の土器と一緒に捨てられたような状態で出土した。 出土した銅鏡は12日から来年4月1日まで福岡市博物館(同市)で展示される。

    後漢の銅鏡、完全形で出土 福岡仲島遺跡、2世紀前半 - 産経WEST
    urashimasan
    urashimasan 2018/01/07
     福岡市博多区の仲島遺跡で、2世紀前半(弥生時代後期)に中国・後漢で製作されたとみられる銅鏡が完全な形で 「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」「長宜子孫」の4文字
  • 秀忠、織部に武家茶へ転換指示か 茶道史の定説変える可能性 - 共同通信 47NEWS

    古田織部に関する新たな記述が見つかった「家系譜 古田氏」(竹田市立歴史資料館蔵) 古田織部の肖像画  武将で茶人の古田織部(1615年没)の親族の家譜に、徳川秀忠が織部に格式を重んじる武家流の茶法を定めるよう命じたとする記述があることが15日、古田織部美術館(京都市北区)の調査で分かった。 これまで、千利休に代表される町衆の茶道に代わる武家茶道(大名茶)を定めるよう織部に命じたのは、豊臣秀吉とされてきた。安土桃山時代の織豊文化の研究者で「古田織部」の著者・諏訪勝則さんは「秀忠が茶道を重要視し、武家茶道の創設により文化的に諸大名を従えようとしたと解釈できる。茶道史の定説を変える可能性がある資料だ」と評価している。

    秀忠、織部に武家茶へ転換指示か 茶道史の定説変える可能性 - 共同通信 47NEWS
    urashimasan
    urashimasan 2016/09/18
     ”親族の家譜に、徳川秀忠が織部に格式を重んじる武家流の茶法を定めるよう命じたとする記述がある” 政治的配慮で事実を曲げた可能性もあるよね。
  • 城郭放浪記

    2024年4月 播磨 図:霞ヶ城 /図:金鑵城 /敷地陣屋 /堀井城 /図:段ノ城(下城) /図:段ノ城(上城) 2024年3月 豊前 図:障子ヶ岳城 /図:戸代山城 備前 図:片岡城 周防 大内弘直館 長門 図:城山城 /図:川棚茶臼山城 安芸 図:申宮城 備後 図:溝口城 /図:大谷城 /図:中山城(尾道市) 伊予 図:親行城 /図:松ヶ森城 /図:元城(野村町) /上城(野村町) /図:鎌田ヶ城 /火打城 伊予 亀之城 /山之城 /宇和島藩 日向谷御番所 /宇和島藩 野村組代官所 2024年2月 出雲 図:高麻城 山城 図:静原城(南城) /図:静原城(北城) /図:堂ノ庭城 丹波 図:新庄城 /園部城 美作 図:堀坂城 /図:医王山城 /図:利元城 /図:天神山城(上横野) /図:浦場城 伊予 図:朝児城 /図:龍ヶ森城 /宇和島藩 近永代官所 土佐 図:小深浦新城 /図:(仮)錦

    城郭放浪記
  • 解説:黄河に古代の大洪水跡、伝説の王朝が実在?

    中国で紀元前1920年ごろに発生した地震の犠牲者たち。この地震で地滑りが発生し、黄河がせき止められた。数カ月後、せき止め湖の決壊で起こった大洪水は、中国の年代記に書かれた洪水と同じものなのかもしれない。 8月4日、科学誌「サイエンス」に掲載されたある研究結果が、中国屈指の重要な伝説を地質学的に裏付けるかもしれない。 4000年近く前、中国の奥地で地滑りが起こり、岩や土砂が黄河の峡谷に流れ込んだ。崩れ落ちた土砂は高さ200メートルにもなる巨大な自然のダムとなり、数カ月にわたって川をせき止めた。やがてダムが決壊すると水が一気に流れ下り、周辺の地域に押し寄せて大洪水を引き起こした。これが「サイエンス」で報告された筋書きだが、この洪水が、中国史を大きく動かした可能性がある。幻と言われる中国最古の王朝、夏王朝は、大洪水をきっかけに成立したと言われてきたからだ。(参考記事:「ミシシッピ文化、カホキアは

    解説:黄河に古代の大洪水跡、伝説の王朝が実在?
  • 中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか

    中国・重慶の湖広会館に展示される禹王の像を清掃する作業員(2015年11月1日撮影)。(c)AFP/STEPHANE DE SAKUTIN 【8月5日 AFP】中国の黄河(Yellow River)で4000年前に大洪水が起きたことを示す初めての証拠を発見したとの研究結果が4日、発表された。この大洪水は、夏(Xia)王朝とその後の中国文明の誕生につながったとされる。 米科学誌サイエンス(Science)に発表された研究結果によると、大洪水が発生したのはこれまで考えられてきたよりも数百年遅い紀元前1920年。これは、禹(Yu)王による夏王朝樹立の時期が通説よりも遅かったことを意味し、この発見により歴史が書き換えられる可能性がある。 禹王はこの大洪水で、水の流れを元の水路に導くために必要なしゅんせつ工事を指揮し、治水の才能を発揮した人物として名声を得た。研究を主導した南京師範大学(Nanjin

    中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見 文明史書き換えか
    urashimasan
    urashimasan 2016/08/05
    ”大洪水が発生したのはこれまで考えられてきたよりも数百年遅い紀元前1920年。これは、禹(Yu)王による夏王朝樹立の時期が通説よりも遅かったことを意味し” 伝承と発掘が一致しないのに強気の解釈。
  • 【江戸時代の身分制度論】士農工商から身分的周縁へ | Kousyoublog

    2016年五月の初頭ごろだったか、Twitterで士農工商という表記が教科書から無くなっているという話が話題になっていた。そう。もう江戸時代の身分制を「士農工商」として表記することは退けられて久しいのだ。少なくとも一九七〇年代初頭に疑問が呈され、九〇年代にほぼ否定され、その結果として二〇〇〇年代半ば以降、教科書から消えはじめた。 かねてから近世身分制社会について個人的にまとめたいと思っていたので、いい機会と思い改めて研究書籍や論文を読み直したり、新規に関連文献を読んだりして一気にブログ記事としてまとめてみようと思いたったのが運の尽き。なんだかんだで書き終えるまで三か月ほどかかってしまい、かつ三万三千文字オーバーの超長文記事となってしまった。誰が読むんだ。 というわけで、長文を読みたくない人のための簡単なまとめ ・士農工商は職能分担を表す言葉で、社会通念として身分体系を意味するようになるの

    【江戸時代の身分制度論】士農工商から身分的周縁へ | Kousyoublog
  • 曹操の墓を専門家が解説したよ(その三) - 枕流亭ブログ

    その二のつづきです。 郝性氏の発表です。曹操の墓からは「魏武王」の石牌をはじめ60数点の石碑が出土しています。そこにみえる副葬品から曹操の実像に迫っていく内容です。 曹操高陵出土文物の研究―安陽高陵出土石牌刻銘にみる曹操のすがた― 郝性(河南省文物考古研究所) 曹操は、中国歴史上で著名な政治家・軍事家・文学家である。唐代以前は栄誉を受けていたが、宋代以後は誹謗を受けて、奸悪でずるい小人の典型人物に貶められ、悪しざまに言われるようになった。これは、曹操の複雑で豊富な人生経歴や、多様な性格・流儀、そして政治・軍事・文学上の功績から、人々の高い関心を集め絶えず評論されたからであろう。ただし『三国演義』での悪人ぶりが知れ渡っており、史書『三国志』の著者陳寿の記した“非常之人、超世人傑”という評価は継承されなかった。真実の曹操の姿は、考古発掘で得た実物資料だけが語ることのできるものである。たと

    曹操の墓を専門家が解説したよ(その三) - 枕流亭ブログ
  • Nスペ「中国文明の謎」第2集感想 - 枕流亭ブログ

    11日放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第2集 漢字誕生 王朝交代の秘密」を視聴しました。わりと近年の発見がいくつか取りあげられていたので、見所はありましたね。以下は散漫なコメントですが。 ▼Youtube http://www.youtube.com/watch?v=g9FzXAsqXhM で、やや長目の公式のPR動画が見られます。 ▼冒頭 「どうして多様な文化をひとつにまとめることができたのか?」という冒頭の問いですが、「中華民族多元一体論ですね、分かります」と茶化したくなったりもします。「漢字」という回答はストーリーとして用意されていて、他の視点は取りあげられないことには注意です。 ▼望京楼遺跡 http://baike.baidu.com/view/5072399.htm 「夏」代末期の城跡と殷代初期の城跡が見つかってるところです。殺されたと見られる人々が番組の言うように夏の人

    Nスペ「中国文明の謎」第2集感想 - 枕流亭ブログ
  • Nスペ「中国文明の謎」第1集感想 - 枕流亭ブログ

    14日放送のNHKスペシャル「中国文明の謎 第1集 中華の源流 幻の王朝を追う」を録画でようやく見たので、感想めいたことを書いておきます。 http://www.nhk.or.jp/special/china-civilization/index.html ツッコミどころが多かった放送ですが、ことに中井貴一の芝居くささは、もう少しどうにかならなかったんですかね……(そこかよ!)。さて、気を取り直して題へ行きましょう。 1.二里頭遺跡=夏王朝の都説 亭主は河南省偃師市出土の二里頭遺跡を夏王朝の都とみなすには慎重派なのですが、そのへん多弁を労するのは面倒なので、いきなり投げときます。 図/竹内康浩『世界史リブレット95 中国王朝の起源を探る』(山川出版社)P40-41 図/竹内康浩『世界史リブレット95 中国王朝の起源を探る』(山川出版社)P42 二里頭遺跡は紀元前1600年前後のきわめて重

    Nスペ「中国文明の謎」第1集感想 - 枕流亭ブログ
  • 硯出土:弥生外交の証し 「伊都国」遺跡 | 毎日新聞

    古代中国(楽浪郡)と伊都国との文書による外交実務の実態が浮かび上がった。福岡県糸島市の三雲・井原遺跡で見つかった弥生時代の硯(すずり)。使節の文書や贈り物の点検が同遺跡で行われていた可能性が高まった。鍵を握るのは楽浪郡。硯も楽浪郡との交流によって伝来したと考えられる。 楽浪郡は紀元前108年、中国・前漢の武帝が朝鮮半島北西部に設置した出先機関。楽浪郡のあった現在の平壌一帯の墓からは、木製の台に置いた硯が出土している。 今回の硯は、楽浪郡の土器の集中出土地点で見つかった。西谷正・九州大名誉教授は「楽浪郡から生活用具の土器を持って来て滞在した人がいた。硯も持参してきたのだろう」と推測する。武末純一・福岡大教授は「文書行政が実施されていた楽浪郡の人は文字を使っていた。伊都国での外交文書作成でも楽浪郡からの渡来人が加わったのだろう」と指摘する。

    硯出土:弥生外交の証し 「伊都国」遺跡 | 毎日新聞
    urashimasan
    urashimasan 2016/03/02
    三雲・井原遺跡 西谷正・九州大名誉教授は「楽浪郡から生活用具の土器を持って来て滞在した人がいた。硯も持参してきたのだろう」と推測
  • 山伏集落800軒確認 国内最大規模、調査で初確認 九州の英彦山 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース

    三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。 【写真はこちら】山伏ってどんな格好してるの?  測量は山頂から中腹までの約6・9平方キロで実施。上空から40センチ四方ごとにレーザーを照射して地表の高低差を測定し、山伏が暮らした宿坊や仏堂などがあったとみられる平たん面を800余カ所確認した。集落に通じる古道や「窟」と呼ばれる修行場の岩穴も見つかった。 宿坊の確定には柱の配置から間取りを調べたり、古文書と照合したりする必要がある。これまで300近く確認した。町まちづくり課の岩教之副課長は「レーザー測量で森林

    山伏集落800軒確認 国内最大規模、調査で初確認 九州の英彦山 (西日本新聞) - Yahoo!ニュース
  • 11/7「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」参加記 - 発声練習

    11/7と8に立教大学で行われている公開シンポジウム「近代日の偽史言説 その生成・機能・受容」の7日発表(第1部と第2部発表の1つ目)を聞いてきた。大変、面白い発表だった。 日学研究所:公開シンポジウム「近代日の偽史言説 その生成・機能・受容」11月7・8日 近代日の偽史言説レジュメ(第1部) 近代日の偽史言説レジュメ(第2部) 近代日の偽史言説レジュメ(第3部) 最初に 立教大学池袋キャンパス、第5号館の1・2番教室が会場。事前申し込み不要、参加費無料&テーマがキャッチーなせいか大盛況で教室に入りきらないぐらい。100人越えだったのじゃなかろうか。10分ほど遅れて会場に入ったので最初の発表は聞き逃してしまった。 あと、歴史コミュニケーション研究会で出会った方々も何人かいらしたが、確信がもてなかったのでご挨拶できなかった。 普段は工学部&計算機科学系の発表しか聞かないので、プレ

    11/7「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」参加記 - 発声練習
  • 吉野ケ里遺跡の調査総括 報告書、第1弾が完成 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞

    ■「弥生時代の集落跡」テーマ 外環壕の形成時期修正 弥生時代の環壕(かんごう)集落跡、吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の約30年にわたる発掘調査結果を編集した総括報告書が完成した。「弥生時代の集落跡」をテーマにした第1弾で、ムラからクニへの変遷を学術的に伝える基礎資料となる。

    吉野ケ里遺跡の調査総括 報告書、第1弾が完成 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞
    urashimasan
    urashimasan 2015/06/08
     外環壕の形成時期を、土器の分析結果を基に従来の弥生中期後半から弥生後期前半に修正・弥生後期後半(2~3世紀)に身分の高い人の居住域とされる南内郭/卑弥呼の時代だね。