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宮沢賢治に関するurashimasanのブックマーク (15)

  • 「黒と白との細胞…」のスライド

    「詩ノート」に収められている「〔黒と白との細胞のあらゆる順列をつくり〕」に関して、以前に「「黒と白との細胞」による千億の明滅」という文章をまとめたことがありましたが、これを書き直してある場所でお話することになったので、パワーポイントでスライドを作っていました。 下記から見られるファイルはその中の一枚で、作品冒頭の「黒と白との細胞のあらゆる順列」という言葉の意味するところについて、図示しようとするものです。アニメーション機能を多用していますが、このちょっと難解な一節の説明として、はたして成功しているかどうか・・・。 下の画像をクリックすると、別ウィンドウでスライドが表示されます。ウィンドウ下部の再生ボタンをクリックすると、順にアニメーションが進んで行きます。

    「黒と白との細胞…」のスライド
  • 宮澤賢治の世界感覚について

    3月4日の「第3回イーハトーブ・プロジェクトin京都」の際に、竹崎利信さんによる「私家版宮澤賢治幻想旅行記・抄」と、「なめとこ山の熊」の間のつなぎとして、20分ほどお話をさせていただきました。 当日は時間的制約のために説明が足りなかった部分を若干補って、日ここに当日のスライドとともに、その内容を掲載いたします。 1.「私家版宮澤賢治幻想旅行記・抄」に出てきた賢治作品 まだ「感動醒めやらぬ」という感じですが、竹崎利信さんの素晴らしい舞台でしたね。私も台やDVDなどでは見せていただいていたのですが、実演ではやっぱり圧倒されました。 これは、「私」と「宮澤賢治」との間で繰り広げられるダイナミックな劇であるとともに、賢治ファンにとっては、様々な賢治作品のカタログのように楽しむこともできる作品です。 さっき出てきた作品(および書簡)を順にリストアップしてみると、下のようになります。 有名な作品も

    宮澤賢治の世界感覚について
  • 小野浩という編集者/作家

    宮澤清六著『兄のトランク』に、次のような一節があります(p.90)。 ・・・・・・大正十二年の正月に、兄はその大トランクを持って、突然郷辰岡町の私の下宿へ現われた。 「此の原稿を何かの雑誌社へもって行き、掲載さして見ろじゃ。」と兄は言い、それから二人で上野広小路へ行って、一皿三円のみはからい料理を注文して財布をはたき、さっさと郷里へ引き上げた。 当時学生の私は、そのトランクを「婦人画報」の東京堂へ持って行き、その応接室へドシッと下し、小野浩という人に「読んで見て下さい」と言って帰ったのだ。 あの「風の又三郎」や、「ビヂテリアン大祭」や「楢ノ木大学士の野宿」などと言う、桁っ外れの作品が、どうして婦人画報の読者たる、淑女諸氏と関係ある筈があろう。 そいつを思う度毎に、私はあまりの可笑しさに、全く困って了うのだ。 「これは私の方には向きませんので」と数日後にその人は慇懃に言い、私は悄然とそれを

    小野浩という編集者/作家
  • なぜ往き、なぜ還って来たのか(1)

    童話「ひかりの素足」と「銀河鉄道の夜」は、二人の子どもが図らずも死後の世界へ行って、うち一人はそのまま死の側に残り、一人だけが帰ってくるというお話です。作品世界の設定は、一方は岩手の方言が話される山村、他方は星祭りの行われる異国(?)ということで、雰囲気は対照的に異なっていますが、物語の骨組みは同じなのです。 さらに骨組みだけではなくて、その「死後の世界」の描写の細部にも、よく似たところがあります。 例えば、まず「ひかりの素足」に出てくるボール投げの話。 一人が云ひました。 「こゝの運動場なら何でも出来るなあ、ボールだって投げたってきっとどこまでも行くんだ。」 一方、「銀河鉄道の夜」では・・・。 〔以下原稿一枚?なし〕 「ボール投げなら僕決してはづさない。」 男の子が大威張りで云ひました。 次には、「ひかりの素足」に出てくる「巨きな人」が言及する不思議な。 その巨きな人はしづかに答へまし

    なぜ往き、なぜ還って来たのか(1)
    urashimasan
    urashimasan 2011/06/20
    「ひかりの素足」と「銀河鉄道の夜」http://backupurl.com/qq5ko2
  • 底にきたなくしろく澱むもの

    前回の記事「ガリレオの筒眼鏡」では、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で観察し、『星界の報告』(右写真)という小冊子において公表した天文学的発見、すなわち月の表面は完全な球体ではなく地球と同じような凹凸があること、および銀河の正体が無数の小さな星の集合であることを、賢治がそれぞれ「月天子」、「銀河鉄道の夜」という作品のモチーフとして生かしていることを書きました。 その時点で私は、賢治が『星界の報告』における二つのトピックをそれぞれ重要なモチーフとした作品を書いていることは、単なる偶然と考えていました。これらの発見は、科学史的にも非常に有名なもので、何もガリレオの著書を直接読んでいなくても、どんな天文学書にも書いてあることだからです。 しかし、その後また『星界の報告』を読んでいると、賢治はひょっとしてこのガリレオの著書を、何らかの形で読んでいたのではないか、と思う箇所がありました。 ガリレオは月面を

    底にきたなくしろく澱むもの
    urashimasan
    urashimasan 2011/03/02
    "ガリレオが地球のことを、「世界の底によどんでいる汚い滓ではない」と言うのに対して、賢治は岩手山のことを、「ひかりの微塵系列の底にきたなくしろく澱むもの」と言っているわけです"
  • 名作は天然である

    urashimasan
    urashimasan 2009/10/28
    ”名作とは天然である。隅から隅まで計算しつくして書かれたものは、実は名作の名に値しない・一般の人々の間にも名前が浸透している詩人たちは、そのほとんどがいわゆる「天然詩人」なのではないだろうか。”
  • 『文学の精神分析』斎藤環(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「文学につける薬」 「文学」が嫌い、という人が意外に多い。関心がないというのではなく、積極的に、嫌い。筆者の勤務先は、「文学研究者」をめざしている人がいるはずの所なのだが、実際には、文学が嫌い、という人がけっこういる。口で言わなくてもわかる。顔にそう書いてある。 実は、筆者もそのひとりである。いつもではないのだが、ときどき、嫌いになる。昔はもっとそうだった。「文学」は、胃腸の働きのよくない者には向かないのかもしれない。腹にもたれるし、胸焼けもする。陶しいときには、実に、陶しい。 そんなときに「文学」の消化分解を助ける薬がある。その昔、筆者がよく手にしたのは精神分析批評だった。この20年の間に精神分析や精神分析批評をめぐる環境は変わっていったが、今回、斎藤環の作家論を集成した『「文学」の精神分析』を読んでみて、あらためて「そういうことだったか」と思ったことがいくつあ

    『文学の精神分析』斎藤環(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    urashimasan
    urashimasan 2009/09/09
     斎藤環 "冷えるための装置" ”たぐいまれな言語の使い手である賢治に対して、はたして本当に「去勢」が欠けているなどと言いうるものだろうか”
  • 仏教を知らなかったら

    小倉豊文氏の、「二つのブラック・ボックス―賢治とその父の宗教信仰」(『宮沢賢治』第2号, 洋々社)という文章の中に、次のような一節があります。 その政次郎翁が問わず語りに「私が仏教を知らなかったら三井・三菱くらいにはなれましたよ」と、苦笑まじりに言ったことを私は確かにきいている。 この政次郎氏の言葉は、その後もよく引用されて有名になっていますが、その「苦笑」の意味は何だったのでしょうか。なまじ仏教など知ってしまったばかりに資家に徹しきれなかった自らに向けられているのか、あるいは逆に「外道」のように利潤追求に明け暮れる当時の財閥の姿に向けられているのか…。いずれにしてもこの言葉は、政次郎氏という人の一筋縄ではいかないようなしたたかさを示しているように思えます。 それにしても、これだけの大言をさらっと言えるというのは、すごい自信ですね。また実際の商売においても、きっと政次郎氏はそれだけの手応

    仏教を知らなかったら
  • 岩手山とくらかけ山

    岩手山 そらの散乱反射のなかに 古ぼけて黒くえぐるもの ひかりの微塵系列の底に きたなくしろく澱むもの 以前に「岩手山と澱粉堆」という記事にも書いたように、『春と修羅』に収められている作品「岩手山」は、賢治が生涯に何度も登って愛していたはずの岩手山という山を、なぜか否定的に、ほとんど嫌悪感も漂うほどに、描いたものです。 これはいったいどうしてなのか・・・と思います。 ところで、賢治が終生愛し、しかし他方で、どうしてもある種の否定的な感情を抱くことを禁じえなかった存在があります。 それは、父親の政次郎氏です。 この「岩手山」という作品は、ひょっとして父政次郎氏を象徴するものではないか、と思ってみたことがありました。 「古ぼけて黒くえぐるもの」「きたなくしろく澱むもの」とは、質屋の暗い番台に黙って座っている、頑なな父親の姿ではなかったでしょうか。周囲には、「古い布団綿、あかがついてひやりとする

    岩手山とくらかけ山
    urashimasan
    urashimasan 2009/01/27
     仮説 岩手山=父 鞍掛山=母
  • 夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子』

    先日、竹田恵子さんを聴きに行くために東京へ往復する新幹線の車中で、夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子』という小説を読みました。 私がこののことを知ったのは去年の秋のことでした。ある大学の日文学科でこの『上弦の月を喰べる獅子』について研究しているという学生さんからメールをいただき、この小説の中に賢治の「青森挽歌」が出てくるのだけれども、以前に私が「《ヘッケル博士!》への呼びかけに関する私見」という記事に書いていた内容を、その研究に引用してもよいかということを、問い合わせてこられたのでした。 もちろん、無断で引用していただいても構わないものである旨をお答えするとともに、夢枕獏氏の小説に「青森挽歌」が出ているとは知らなかった、ということを返事に書きましたら、またお返事があり、この小説には「青森挽歌」だけでなく賢治の他の作品の引用も多くあること、さらに「主人公の一人として宮沢賢治が使われてい」て、「

    夢枕獏『上弦の月を喰べる獅子』
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    urashimasan 2009/01/27
     青森挽歌・ヘツケル博士の証明=個体発生は系統発生を反復する
  • 「雲の信号」と雁(つづき)

    1.作品 雲の信号 あゝいゝな、せいせいするな 風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし 山はぼんやり 岩頸だつて岩鐘だつて みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ そのとき雲の信号は もう青白い春の 禁慾のそら高く掲げられてゐた 山はぼんやり きつと四杉には 今夜は雁もおりてくる (一九二二、五、一〇) 2.これまでのあらすじ 私は数年前に、「石碑の部屋」の「雲の信号」詩碑のページに、この「雲の信号」(『春と修羅』)という作品について、私なりに思うところを書いてみていました(詳細は「雲の信号」詩碑参照)。 ところが最近、「雁は冬鳥なので日では繁殖行動はしない」とのご教示をいただき、さらに先日の記事では、この作品の日付である「5月」という時期には、そもそも日には「雁」は存在しないということをやっと知り(重ね重ね無知でした!)、作品末尾の「きつと四杉には/今夜は雁もおりてくる」という

    「雲の信号」と雁(つづき)
    urashimasan
    urashimasan 2008/11/28
    「雲の信号」四本杉におりてくる雁の解読 五月の雁=ラジュウムの雁=すばる
  • 宮沢賢治 - ウラ・アオゾラブンコ

    宮沢賢治 【みやざわ・けんじ】 詩人、児童文学者。明治29年8月27日〜昭和8年9月21日。岩手県花巻に生まれる。大正4年、盛岡高等農林学校に入学、短歌や散文の習作をはじめる。大正10年、稗貫農学校(現、花巻農業学校)の教諭となる。大正13年、詩集「春と修羅」を刊行。天文、地質、化学などの豊穣な語彙や、死をめぐる苦悶と鎮魂が渾然となった特異な作品世界を展開した。また同年には童話集「注文の多い料理店」(大正13)も刊行。説明的・教訓的な童話とは異質な、独自の童話群となっている。大正15年に農学校を退職し、独居自炊の農民生活をはじめ、稲作の施肥や改良品種を教えるなど、農民たちとの交流を深める。昭和8年9月21日、急性肺炎により死去。享年37歳。生前にはほとんど評価されなかったが、草野心平らの尽力により、死後になって全集が刊行され、評価を高めた。代表作は「春と修羅」、「注文の多い料理店」、「グ

  • 「雲の信号」と雁

    数年前から、「石碑の部屋」の「雲の信号」詩碑というページに、この作品に関する私なりの解釈を載せていました。この「信号」というのは、いったい何の「信号」なのかということについて、わからないままにあれこれ思ったことを、書いてみていたのです。 すると最近になってひょんなことから、賢治と鳥との専門家でいらっしゃる方から、「雁は冬鳥なので、日列島では繁殖行動は見られないのですよ」ということをご教示いただきました。 それで、この作品についてどう考えたらよいか、ちょっと思案中なのです。 で、まずはその作品全文をご紹介しますね。 雲の信号 あゝいゝな、せいせいするな 風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし 山はぼんやり 岩頸だつて岩鐘だつて みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ そのとき雲の信号は もう青白い春の 禁慾のそら高く掲げられてゐた 山はぼんやり きつと四杉には 今夜は雁もおりてくる (

    「雲の信号」と雁
  • 「雲の信号」詩碑

  • 悩みの果てに「いゝこと」と感じる

    『春と修羅』、「春と修羅 第二集」などの作品の中から、賢治がトシの「死後の行方」について思い、言及した箇所を、以下に順に挙げてみます。 (1) 1922.11.27 「永訣の朝」 けふのうちに とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ 「松の針」 ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ 泣いてわたくしにさう言つてくれ 「無声慟哭」 おまへはじぶんにさだめられたみちを ひとりさびしく往かうとするか (中略) おまへはひとりどこへ行かうとするのだ (中略) どうかきれいな頬をして あたらしく天にうまれてくれ (2) 1923.6.3 「風林」 おまへはその巨きな木星のうへに居るのか 鋼青壮麗のそらのむかふ (ああけれどもそのどこかも知れない空間で 光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか (3) 1923

    悩みの果てに「いゝこと」と感じる
    urashimasan
    urashimasan 2008/10/18
    喪の仕事
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