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批評論に関するurashimasanのブックマーク (31)

  • ライトノベルが教科書の授業って? その意図を大学講師に聞いてみた―「『ソードアート・オンライン』は、教材として理想的」 | ダ・ヴィンチWeb

    ライトノベルは文学ではない」。ライトノベル読者であれば、誰でも一度は親や友人、教師からそう言われた経験があるのではないでしょうか。ライトノベルといえば漫画タッチの挿絵であったり、登場人物のくだけた口語一人称表現であったり、魔法や超能力などファンタジックな設定が多いのが特徴です。一般小説や純文学とはかけ離れた印象が強いため、「文学ではない」と思われてしまうのも仕方のない事かもしれません。 しかし愛知教育大学では今年度も国文学の講義で人気ライトノベル『ソードアート・オンライン』(川原礫:著、abec:イラスト/アスキーメディアワークス)を教科書として採用してインターネット上で話題となったことは皆さんもご存知かと思います。ライトノベルからでも何かを学べるのであれば、ライトノベルは文学なのではないか? ライトノベルを教科書にしていったいどんな授業をしているのか。興味を持った方も多いのではないでし

    ライトノベルが教科書の授業って? その意図を大学講師に聞いてみた―「『ソードアート・オンライン』は、教材として理想的」 | ダ・ヴィンチWeb
    urashimasan
    urashimasan 2015/05/11
    国文学じゃなくて批評理論だ”私たちの感性を批判的かつ建設的に見直すこと・なぜ自分はこの設定を面白いと思うのか?なぜこの場面は自分の心に刺さるのか?この場面にこんなにも心動かされている自分とは何か?”
  • Hatena ID

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    urashimasan
    urashimasan 2014/12/22
     Th.W.アドルノの『音楽社会学序説』・情緒的聴取者 ”ドイツ・ロマン派の詩人のような人のことである。どんな音楽でも「反理性精神の源泉」と捉えているというと、今で言うキラキラ女子やヤンキーのような感じ”
  • 不謹慎ネタを否定されて原作者に逆ギレする連中は死ねばいいのに - Danas je lep dan.

    『咲-Saki-』界隈には,「咲さんが放火魔」というネタが存在した。咲の回想シーンにおいて,謎の金髪の少女や炎上する住宅などが登場したことから,「咲さんが家に火を放って少女を殺害したことが彼女の過去のトラウマではないか?」という説である。まあ不謹慎というかブラック過ぎるネタだが,不謹慎だったりブラックだったりすることそれ自体は何も問題ではない。わたしも,基的には横目で眺めて笑って楽しんでいた。もちろん「わたしは嫌い」という意見はあろうし,それについては個々人の嗜好であるので何も言うつもりはない(わたしだって,たとえば憧への風評被害は色々な意味で不愉快である。が,だからといってそのネタを使うのをやめろ,とは言わない)。ゆえに。このエントリで問題にするのは,不謹慎ネタそのものではなく,それを他者から窘められた時の反応である。 上記の説は,基的に「水面日和」というブログが中心になって提唱して

    urashimasan
    urashimasan 2014/06/04
     ”(テクスト至上主義)だったら作者の意図が明らかになったからって泣き言言ってんじゃねえよ” 泣き言を言うのはおかしいけれど、作者の言葉でもってテクスト主義や読者反応論を否定するのもなんだかなあ。
  • 妻が小説を終わりから読む理由 - GAME NEVER SLEEPS

    最初にいっておくと、別に彼女はネタバレに無自覚ではなく、俺が彼女にネタバレされて嫌な思いをしたことは一度も(たぶん)ないし、その是非や良い悪いを語りたいわけでもない。きっかけはポッドキャストをいっしょにやってる、@miyaokaさん(id:miyaoka)のこのポスト。 文中のめぐみさんは僕ので、イダテンさんは僕なんですけど、前々からなぜ彼女が楽しみにしてる長編小説を終わりから読むのか気にはなっていた(ちなみに長編アニメーションでも同じ行動をとる)。 ここではてな社にカチこんだこともある@kiyosick(id:kiyo-shit)さんから理由になりそうな情報が。 うーん、性差の話なのか?直接会って話している僕の印象とは何か違う。そんな普通に先を知りたい感じじゃない。こんな感じでただならぬ覚悟をもって結末を知りたがるのだ、は。 もう少し聞いてみるとこんな答えが。 でも、これは僕が聞いて

    妻が小説を終わりから読む理由 - GAME NEVER SLEEPS
    urashimasan
    urashimasan 2013/10/24
     私は結末なんて気にしない派だが、なんでも謎解きとしてしか読もうとしない人よりはずっと気が合いそう。/そういえば妻もそういう傾向が。
  • 『風立ちぬ』 - 内田樹の研究室

    宮崎駿の新作『風立ちぬ』を観てきた。 宮崎駿は「どういう映画」を作ろうとしたのだろう。 もちろん、フィルムメーカーに向かって、「どういう映画を作りたいのですか?」とか「この映画を通じて何を伝えたいのですか?」というような質問をするのは意味のないことである(「言葉ですらすら言えるくらいなら映画なんか手間暇かけて作りませんよ」という答えが返ってくるに決まっている)。 でも、映画の感想を述べる立場からすると、このような問いを自問自答してみるというのは、決して無意味なことではない。 映画というのは、それについて語られた無数の言葉を「込み」で成り立っているものだからだ。 お門違いなものであれ、正鵠を射たものであれ、「それについて語る言葉」が多ければ多いほど、多様であればあるほど、賛否いずれにせよ解釈や評価が一つにまとまらないものであるほど、作品としては出来がよい。 私はそう判断することにしている。

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    urashimasan 2013/08/09
     ”何か言わずにいられない。とりあえず何か言っておかないと、自分が何を観たのかわからないまま宙づりにされていて、気持ちが片づかないのである”
  • The Red Diptych

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    urashimasan
    urashimasan 2013/04/23
     私は批評家ではないしすべての論点に賛成するわけでもないけれど、ここに書かれた不満にはおおいに共感できる。なぜ自らが作品と向き合い反芻することは、こうも嫌悪されるのだろうか。
  • 一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか

    とは劇作家オスカー・ワイルドの言だが、 俺はまったくその通りだと思う。 およそ、世の「作画崩壊」だの「脚が矛盾してる」だの「設定と違う」だの「作風と合わない」だのというのは まさに先のワイルドの言葉に凝縮される。 想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。 その方が考えなくていいから。 無批判に一貫性に従っていればいいから。 もし 「この作画はキャラデザと違う、統一性がないものだからダメだ」 とか 「この脚は矛盾していて理解できない」 とか 「原作の作風と違うから見てられない」 とか そういう風に感じたのなら、想像力が弱まっているかもしれないと考えた方が良い。 「作画崩壊だ!」などと騒がない方が良い。 それはつまり 「自分は想像力を欠いた人間だ!」と叫んでいるようなものだから。

    一貫性というのは想像力を欠いた人間の最後の拠り所である。 - まっつねのアニメとか作画とか
    urashimasan
    urashimasan 2012/11/04
     ”想像力が欠けているから一貫性・統一性・無矛盾などというものにその拠り所を求める。”
  • The Red Diptych

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  • 「深読み」と「誤読」

    urashimasan
    urashimasan 2012/06/26
     エーコ "テクストを読む行為は、たしかにゲームではあるけれど、それは書き手と読み手が同じルールでゲームに参加するものである、という考えです。"
  • ゲームはいかにして物語となるか 4

    urashimasan
    urashimasan 2012/06/26
     "ロジェ・シャルチエ「最も影響力を持つ書物とは、結局のところ無意識から無意識へと働きかける書物なのだという事実です」(『書物から読書へ』訳書p353"
  • 身分制による批評の禁止 - Freezing Point

    患者ポジションの研究者やライターは、医師や福祉関係者にとって、批評の対象になるか。 (1) 対立している (2) レベルが低い に留まらず、 (3) 倫理上許されない という理由で、《批評してはならない》 とされることが多い。 神経症圏の患者さんであれば、診断学的な位置づけは医師や福祉関係者と同じだが、 支援に関して 《する側/される側》 が一度できてしまうと、下駄を履かされた承認か、 全面的に「頭をなでてもらう」ような言及しかされないことがほとんど。*1 多くの “当事者” は、褒められることでウットリするが、それは身分制的に隔離されたにすぎない。 原理的に新しい話をしていても、論争以前に「隔離されて」終わる。 このことは、医療・福祉だけでなく、《弱者》ポジション全般にいえる。 「弱い者を肯定せよ」という正義を振りかざす人は、マイノリティの言動を正当に批評できない。 弱者批評へのタブーは

    身分制による批評の禁止 - Freezing Point
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    urashimasan 2012/06/02
    "患者ポジションの研究者やライターは、医師や福祉関係者にとって、批評の対象になるか。 (1) 対立している (2) レベルが低い に留まらず、 (3) 倫理上許されない という理由で《批評してはならない》 とされることが多い"
  • 名曲名演随筆 : 批評と権威 〜批評家とは〜

    2011年08月25日21:29 カテゴリ小林秀雄近代文学 批評と権威 〜批評家とは〜 すぐれた批評家であればあるほど、自分が批評家として存在することに対する自嘲的な思考を抱き、苦い言葉を吐露する。創作者が他の創作者の作品を批評していた状態から、創作しない者が創作者の作品を批評する状態へと移行したとき、批評は独立したジャンルとなった。しかし、この独立には奇妙なねじれが存在せざるをえなかった。 ポール・ヴァレリーはすぐれた批評を書いたが、その前に彼は『若きパルク』を書いた詩人であった。しかし、自らは詩を創作しない者が、他者の創作した詩を評するとはどういうことなのか。 創作しないその道の専門家であるということ。自らは創造性に恵まれないのに、他者の作品の良し悪しだけは鋭敏にわかってしまうということ。このことについての反省的自覚が自嘲的な思考や苦い言葉をもたらす。私が若い頃に親炙したわが国の批評家

  • The Red Diptych

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    urashimasan
    urashimasan 2011/10/08
     ゴダール ”私は批評されることを、ただし明白な証拠をもちいて批評されることを必要としているのです……あの映画を気に入ったかどうかはどうでもいいことです。私がほしいのは証拠なのです”
  • 各方面でごまかされている当事者性 - Freezing Point

    「〈企画〉 アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ」(京都大学新聞社) もとのアニメは見ていないが、強く触発された。 当事者性とは、伝わらないものを抱えること。 受け入れられたいという願望を満たすために自分で格闘しなければならない、そういう状況に追い込まれること。 そして、《責めあり》の存在であること*1。 たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる。 そもそも思考は、ある仕方で批判可能性を引き受けつつ、それとは別の階層の批判可能性を封じる*2。 お約束――≪この話をしているかぎり、論じ手は自分の関係性それ自体について当事者的自己解体を迫られることはない(分析それ自体のレベルで面白くないと責められることはあっても、思索事業の前提は批判されない)≫ 当事者とは、倫理性を帯びることなのに、 現状の当事者概念は*3、倫理性を免除する装置でしかない。 周囲は《

    各方面でごまかされている当事者性 - Freezing Point
    urashimasan
    urashimasan 2011/05/01
    "たいていのキャラクター論や物語構造の分析は、論じ手じしんの当事者性を回避する装置になる" http://backupurl.com/7lvye9
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    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    urashimasan 2011/04/13
     社会反映論
  • The Red Diptych

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  • 海外のわけのわからないものより身近なサブカルチャーを褒めろ? - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)

    海外のわけわからないものを紹介する/論じるより、(そのリソースを使って)身近のサブカルチャーを褒めるべきだ」という主張が、さまざまなジャンルにおいてなされることがある。 しかし、私は昔からこうした考えにはひどく懐疑的だ。 そもそも私たちの知識や見識はひどく偏狭なものである。輸入の絶えた文化が自閉して滅びるということは、少し調べてみればわかるはずだし、とすれば、言語、国家、そして習俗といった障壁に阻まれている海外作品という「他者」*1と共存するのがまず先にあるべきだろう。 身近なサブカルチャーは――身近であるがゆえに――質的に同時代において閉じられたものである。それらをきちんと論じ、外部へと開いていく作業が重要なのは言うまでもないが、それは自ら資格があると任じる者が適切な方法をもって行なえばよいことであり、海外作品を「わけのわからないもの」として遠ざけ、軽視してよい理由にはならない。あえ

    海外のわけのわからないものより身近なサブカルチャーを褒めろ? - Flying to Wake Island 岡和田晃公式サイト(新)
  • 切りとれ、あの祈る手を - どっこい狸

  • 物語消滅論 - どっこい狸

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    urashimasan 2010/11/02
     空虚なのは作家なのかフォルマリズムなのか。
  • Hang Reviewers High / ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2

    東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2」は、とても親切なであり、まずはそれに感心した。 前作となる「動物化するポストモダン」に限らず、これまで東浩紀の著作のやり方は、主張を固めるための検証作業がともすれば大雑把であるし、また、さほどに関連性が深いとは言えない事例を強引に繋ぎ合わせて一つの流れを意識させようとするものがあった。僕はこのやり方を批判するものではない。むしろ、あざやかに全体の論旨を生み出していくダイナミックさに感銘を受ける。 しかしもちろん、このような書き方は批評の言語としては今の日で例の少ないものだから、読者は彼のやり方に違和感を感じるかもしれない。だが彼がなぜこれを選んでいるかということは、現在に至るまでの東浩紀の批評活動のルーツがすべて収められた「郵便的不安たち#」を読めば明確に分かるはずだ。ここでは簡単に触れるまでにしたいが、要するに彼の動機にはポ

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    urashimasan 2010/10/19
    "多くの読者は批評というものが特定分野に対する博物学的な「まとめ」から成り立っていると考える・各分野で閉塞せず、しかも超越的な論理なしでもジャンルを横断できる批評の方法を模索している"