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批評に関するurashimasanのブックマーク (50)

  • アニメと英霊 第1回 | 文藝春秋 電子版

    天皇・神話・震災……なぜ日のサブカルチャーは右傾化するのか? 新海誠監督『すずめの戸締まり』(2022年)、海上自衛隊と『ONE PIECE』、庵野秀明総監督『シン・ゴジラ』(2016年)などを論じた、批評家・大塚英志氏による短期集中連載第1回。 ◆◆◆ 「残念ながら日教養の原点はジャンプ」 この原稿は一通のSNSの投稿から始まる。 1月2日、防衛省海上自衛隊(@JMSDF_PAO)とあるアカウントに、甲板の先端に旭日旗を掲げ「正義」と背に白く描いたTシャツ姿で腕を組む隊員たちの写真とともに「今年も専心職務の遂行にあたります!」とのコメントがSNSに投稿されたのだ(現在は削除)。その後ろ姿からは学園祭ノリの幼さ、あるいは元ヤン的なドヤ顔が透けて見える気がして、自衛隊文化とは今はこんな感じなのかと一瞬思い、そしてその元ネタが『少年ジャンプ』の人気まんが『ONE PIECE』にあると思い

    アニメと英霊 第1回 | 文藝春秋 電子版
    urashimasan
    urashimasan 2023/03/12
    “『ジャンプ』的「教養」の圏外に、ひどく初歩的な政治や経済や文化や科学が駆逐されていることの例は逐一、指摘する必要もないだろう”
  • 菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね

    *以下のテキストは、 マスメディアがアカデミー賞レースの報道を一斉に始める前の、2月20日に入稿、更に4日前に書かれたもので、つまり所謂 「あとだしジャンケン」ではない旨、冒頭に強調しておく。 今時これほど手放しで褒められてる映画があるだろうか? 当連載は、英語圏の作品を扱わないので今回は<特別編>となる。筆者は映画評論家として3流だと思うが、作は、複数のメディアから批評の依頼があった。大人気である。「全く褒められませんよ」「こんな映画にヒーヒー言ってるバカにいやがられるだけの原稿しか書けませんけど」と固辞しても、どうしても書けという。 そりゃあそうだ。筆者は一度だけヤフーニュースのトップページに名前が出たことがある。ジャズの名門インパルス!レーベルと、米国人以外で初めて契約したから? 違う。女優の菊地凛子を歌手デビューさせたから? 違う。正解は「『セッション』を自分のブログで酷評したか

    菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね
  • 『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所

    書いていたら長くなった。 先に要旨をまとめておく。 マンガ『この世界の片隅に』は前半が戦前・戦時の日常の描写、後半が主人公の心象であり「記憶」と「想像力」をめぐる物語である。他方、アニメ「この世界の片隅に」は、戦前・戦時の日常をそのまま再現・保存することにしぼられた作品であり、原作のもつ後半部分は後景に退いている。両者は別々の作品(別個の価値をもつ作品)である。 戦争小説戦争をめぐる創作(マンガ・アニメ・映画・ドラマ・演劇…)は手法と題材を選ぶことで、何かを強調し、何かを切り捨てるので、どんな作品であっても批判は呼び起こされる。多様な書き手が多様に描くことでしかこのジレンマは解決されないのではないか。 以下は、映画・原作のネタバレが含まれている。 「暗い」「つらいから読みたくない」と「楽しくて何度も読み返したくなる」 「女性のひろば」という雑誌(共産党発行)の2017年1月号に「『この世

    『この世界の片隅に』の原作とアニメの距離――もしくは戦争についての創作はどう描くのが「成功」なのか - 紙屋研究所
  • 「石森章太郎」は漫画界にとってどういう存在だったか - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

    1 話題になった増田記事 http://anond.hatelabo.jp/20160218185410 ■石ノ森章太郎って漫画界にとってどれ程の存在なんだろう あの人の漫画でうわーすげー天才だーと思った事がないんだよ でも存在感は結構ある、手塚や藤子には劣るけど 安定して面白いってくらいで自分の中では浦沢程度の存在なんだが 作品以上に漫画家の存在感がでかいなーと思うのはあさきゆめみしの大和とかもいる それへのブクマコメントとして以下書いた。 http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160218185410 石森はトキワ荘最大の俊才で、後世に多大な影響を与えたが、後世にスタンダードになった事例が多く、2016年時点では功績がかえって目立たない。が、たとえば24年組は石森がいなければ登場しなかった。 / “石ノ森章太郎って漫画界にとっ…

    「石森章太郎」は漫画界にとってどういう存在だったか - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記
  • イーストウッド『許されざる者』の保安官は、何故家を建てているのか。

    クリント・イーストウッド監督・主演作品『許されざる者』は、西部劇の名作であるとともに、深く観てみると難解な作品でもある。 そもそもタイトルにある「許されざる者」とは誰のことなのだろうか? 作では、罪ある人間たちが何人も描かれている。娼婦の顔をナイフで切りつけた男と連れの若い男、人殺しや強盗に明け暮れ仲間までも容赦なく殺害していたという主人公・ウィリアム・マニー、かつての相棒ネッド・ローガン、賞金首を撃ち殺したスコフィールド・キッド、名うての賞金稼ぎイングリッシュ・ボブ、公の立場を利用して強権をふるう保安官リトルビル・ダゲット、娼館の主人・のっぽのスキニーなどである。 子供達などを除いて、この映画に登場する誰もが、何かしらの罪にまみれている。主人公・ウィリアム・マニーにしてからが、悪名高い強盗できわめつきの悪党という過去を持っている。『シェーン』の主人公のような、精錬潔白に「正しい男」など

    イーストウッド『許されざる者』の保安官は、何故家を建てているのか。
  • ハウルの動く城がファンタジー映画の最高傑作であるわけ - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    ファンタジーとはなにか?現代のファンタジーの大きな源流はトールキンの指輪物語など一世紀ほど過去のイギリスの児童文学に遡ることができるだろう。それ以前はお伽噺や童話の世界になる。 つまり、もともとはファンタジーは子供に聞かせる話として誕生したものである。 お伽噺や童話そしてファンタジーに人々はどんな思いを託してつくってきたのか。 ぼくの母親から聞いた話だが、昔、母親の子供時代、日が貧しかった頃、狸に化かされたという話は学校 に弁当をもってこなかった子の冗談めいた定番の言い訳のひとつだったそうだ。つまり家が貧乏だから、弁当を持ってこないのではなく、狸に化かされて盗られただけだというわけだ。 人々は現実がこうあってほしいなという夢を物語に託したりする。シンデレラという話は貧しく冴えない少女が、魔法で身なりを整えたら実は美女で王子様に求婚されるというはなしだ。シンデレラと類似の民話、伝説の類は世

    ハウルの動く城がファンタジー映画の最高傑作であるわけ - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 徳間理事長じゃないっすか!〜映画『コクリコ坂から』の感想〜 - 関内関外日記

    レイトショーのブルク13はみなとみらい、桜木町駅徒歩1分にして『コクリコ坂から』を観るに絶好の映画館かもしらん、100席の小スクリーンもまたよしと思う。 徳間理事長の思い出 さて、それにしてもタイトルのとおりである。主人公の話をすっ飛ばして学校の理事長の話をしたいのである。学校の理事長は東京の出版社の社長であって、名前を徳丸という。徳丸の出版社では「アサヒ芸聞」なる週刊誌を出しているようであって、徳丸社長はといえばなにやら豪快で話のわかりそうなおっさんなのである。徳間理事長じゃないっすか! wikipedia:徳間康快 って、Wikipediaにも『コクリコ坂』の記述があるが、今読んだ。まあともかく、見た目も名前も徳間理事長なのである。そう、何度か書いてきたので隠すこともないが、俺はこの人が理事長だった中学・高校の出だ。ちなみに、俺はこの名前を<とくま・こうかい>と読む。 元は校長だったが

  • 日本アニメ美術論壇の誕生 - 法華狼の日記

    はじめに 大きく出たエントリタイトルだが、あくまでアニメ視聴者側が知ることのできる一般常識にとどまる内容にすぎないことを断っておく。私は素人としてもアニメの背景美術にくわしくないので、もっと広く深い知見を持つ人からの批判や反論も待ちたい。 主な話題は、アニメでなぜ人物画と背景画がなぜ乖離して見えるのかという、下記の意見について。 彼女の顔には細部がない・・・アニメの中の描写の落差について - ohnosakiko’s blog 写真から起したような写実的な水彩画風に描かれた街や自然の中に、ベタ塗りアニメ絵のヒロインという図は、ジブリに限らずよく見る。背景と人物の描写のレベルがわりと一致しているので今思いつくのは大友克洋や今敏だが、全体からすると少ないのではないだろうか。 だがそもそも、今のように「美術」にあらん限りの工夫と技術が傾注されていなければ、人物の顔に細部が存在しないなどということ

    日本アニメ美術論壇の誕生 - 法華狼の日記
  • 「ミヒャエル・エンデの貨幣観」雑感 - Ewig-Kindlich

    最近出たばかりの『ミヒャエル・エンデの貨幣観』というが、だいぶ前から気になっていたのですが、たまたま図書館に入っていたため読みました。それについて、個人的にかなり書きたいことができたので、感想がてらまとめたいと思います。 錬金術? さて、書の副題に「ゲーテの『メルヒェン』からシュタイナーを経た錬金術思想の系譜」とあります。まず、この副題を最初に見たとき?と思いました。というのは、シュタイナーは錬金術やパラケルススに言及することはあっても、シュタイナーの思想が錬金術に基礎づけられているとは考えられないからです。書を読む限りでは、シュタイナーが自分の思想を薔薇十字の思想だという点を、著者は錬金術と呼んでいるようです。ちなみに、著者も述べていますが、薔薇十字運動自体がその存在自体に疑問符がつくようなものなので、そもそもシュタイナー思想が薔薇十字に基礎づけられていると考えること自体がおかしい

    「ミヒャエル・エンデの貨幣観」雑感 - Ewig-Kindlich
  • エンデのファンタジーは空想的か?エンデの擁護とSpiel概念 - Ewig-Kindlich

    さて、今日『ミヒャエル・エンデ ファンタジー神話と現代』を借りてきて読みました。内容的には、エンデのインタビュー、映画について、ボイスとの対談についてで、僕個人としてはアントロポゾーフ*1がインタビュアーのため、エンデが普通の対談ではなかなか直接は言及しないアントロポゾフィーについて、かなり突っ込んだ話をしていて新鮮で面白かったです。が、解説がエンデのはずなのに、むしろ(正統派?)アントロポゾーフ的な観点(と僕は言いたくなるのですが)から書かれており、かなり批判的な内容だったので、少しそのことについて書いてみようと思い、久々のブログ更新と相成りました。一応、参考文献名は逐一挙げていきたいと思いますが、僕の記憶によっているのでご承知おきください。また、それほど長々と書くわけにもいかず、かなり素描的なものにとどまること、僕自身理論構成について構想中のものも含まれること、僕が用いる個々の概念道

    エンデのファンタジーは空想的か?エンデの擁護とSpiel概念 - Ewig-Kindlich
  • 〈企画〉アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ(2011.04.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    口コミやネット上での大騒ぎによって普段アニメをあまり見ないという人たちの間でもかなりその名を知られ始めた感のある作『魔法少女まどか☆マギカ』が、今月21日に最終回を迎えた。先の読めない展開の連続や、キャラクターたちを待ち受ける容赦ない過酷な運命、そしてそれらが視聴者にもたらす圧倒的な緊張感でもって今冬のアニメシーンを席巻した作はまさに今、あらゆるメディアを超えてもっとも「熱い」作品である。 鉄は熱いうちに打て。最終回の熱気が筆者にも、そして作を視聴した読者にもまだ残っているうちに作の批評を行いたい。以下、大きく2章に分けて論じていく。(47) Ⅰ 「まどか☆マギカ」をアイデンティファイする「伝わらない」世界 ストーリーというものを持つすべてのメディアに共通して言えることだが、「めでたしめでたし」のハッピーエンドで終わる話には必ず「想いが伝わる」瞬間がある。ラブストーリーであれば男が

    〈企画〉アニメ評 魔法少女まどか☆マギカ(2011.04.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • The Red Diptych

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    urashimasan
    urashimasan 2011/04/24
    "「自分自身の想像力が産み出してしまう異様なイメージとの対決」・「一見して読解不可能に思える詩的言語の解読」・「詩的言語をいかにして散文の内部で処理するか」"
  • ノンフィクション・歴史・古文書の出版社 - 柏書房

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    urashimasan
    urashimasan 2010/10/28
     "キリスト教的な禁欲主義と神道的アニミズムの奇妙な混合物を「あるべき自然」と詐称している。""一体どのような理屈から、ジブリアニメは「道徳的」かつ「健全」であると言えるのかと。" 誰が言ってるのか
  • To Be or Not To Be:ハムレットの独白 - 壺 齋 閑 話

    ハムレットの四大独白の中で最も有名なのは第三幕第一場でなされるものだ。To be, or not to be で始まるこの独白は、この世の矛盾と向き合いながら、そこに縺れ合っている糸を解きほぐすことができずに、堂々巡りをする、ハムレットという青年の矛盾に満ちた性格を際立たせていると考えられてきた。 いったい事実の底に潜む真実が明らかとなり、それに向かってなすべき方向がわかっているにもかかわらず、何もなさないでいるのは、不可解なことだ。人間というものは、なすべきことは、なすべきときには、なすように作られているものなのだ。 だがハムレットは何もしない。そしてその何もしないことの言い訳を自分の心の中で、しかも自分に向かっていつまでも繰り返す。ハムレットの独白は大体、方向の定まらぬ堂々巡りの思考であることが多いのだ。 こんな人物に面と向かって語りかけられたら、誰もがびっくりして尻込みするに違いない

  • 借りぐらしのアリエッティ - どっこい狸

  • 『借りぐらしのアリエッティ』 米林宏昌監 脚本を絞り込んで青春映画になったローファンタジーの佳作 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    評価:★★★★☆4つ半 (僕的主観:★★★★4つ) ■脚を絞り込んでわかりやすい青春映画の小作品になっていることの可否 見終わった感想は、「いまいち」でした。『ポニョ』の時も同じように感じたのですが、その感じている部分が違います。ポニョは、素晴らしいイメージの渦があるのだが、脚を絞りきってまとめきる力がなくて拡散してしまっていることへの不満でした。今回は、脚は、『耳をすませば』や『海がきこえる』を連想させるストレートな青春映画でした。ジブジの若手が監督をすると、なぜこうも青春映画に変貌するんですかねぇ。ちなみにジブリの良さである映像の美しさを十全に使用した「強み」の発揮にも、ぐっときました。けど、やっぱり「小さくまとまっている」という意味では、過去の宮崎駿の超大作のイメージを持つ身としては、うーんと思ってしまった。過剰さがそぎ落とされているからだと思います。 が、と一緒に見に行った

    『借りぐらしのアリエッティ』 米林宏昌監 脚本を絞り込んで青春映画になったローファンタジーの佳作 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
  • 借りぐらしのアリエッティ - 萩の塵拾い

    が悪い。小人と少年の交流を主眼にしたいのだろうが、まったくそれが描かれていない。そのため、「君は僕の心臓の一部」とかいうラストのセリフも、まことに宮崎らしいものだが、まったく意味をなしていない。ばかばかしい。 絵は、とてもきれいだ。特にアリエッティが可愛らしく、最近は主人公の顔の揺らぎが気になったジブリだが、今回はわりと良い感じに仕上がっている。最初の方の「借り」のシーンが上出来。 俳優の起用は、今回は実力派をそろえてうまくいったと思う。人数が少ないし。ただ大竹しのぶとホミリーという組み合わせは今一つかな。 画面的にはスケール感がでたらめすぎて気になる。話がつまらないので、どうしても気持ちがそういうところに向く。 とりあえず、ジブリは宮崎監督と鈴木プロデューサーに引退してもらうのがいいだろう。 これはメアリー・ノートン『床下の小人たち』を原作に、宮崎駿が脚を執筆した作品である。映画

    借りぐらしのアリエッティ - 萩の塵拾い
  • 『借りぐらしのアリエッティ』を見たゼ! - 空中キャンプ

  • 近年の児童書に見られる「主人公のお姫さま化」について - 児童書・YAブックレビュー [ティーンズブックス.jp]

    以前、ゆーずー無碍さんのブログで「ライトノベル化する児童文学」という記事が立てられ、話題になりました。  新書サイズ児童書の分野で、マンガ・アニメ系のイラストを起用した「ライトノベル風」の作品が数多く刊行され出したといった内容のものです。  近年では完全に定着したように思われるこの流れですが、記事のなかで問題とされていたのは、下記の三点。 ・一体いつ頃からこの変化がはじまったのか?  ・この傾向は、単にイラストを今風に合わせただけなのか?内容は? ・どういった出版社が動いているのか? そのうち上下の疑問に関しては2004年ごろを契機に「青い鳥文庫」や「フォア文庫」といった老舗レーベルが牽引役となり、他の出版社がその流れに追随したと記事でまとめられています。 が、作品内容については、「皆様が実際に読んでみて判断してください」という記述に留められていました。 では実際、作品内容に変化はあったの

    urashimasan
    urashimasan 2010/06/22
     おもしろい論考だが、作風の変化を読者願望の変化に結びつけるのはどうかなと思う。 作り手の商売のノウハウは時と共に向上して当然だが、子供心はそんなに変わらないのではないだろうか。