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災害に関するeastofのブックマーク (7)

  • 重点観測火山を34から15に、財政難や人手不足で…文科省 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    全国の国立大学が重点観測する火山を、文部科学省が来年度から、従来の半分以下の15か所に絞り込む方針を決めた。 大学の財政難や人不足で、観測網の維持が難しく「選択と集中」が必要と判断した。対象から外れた火山では、監視の目が手薄になる可能性もある。 観測を強化するのは、桜島や伊豆大島など従来、噴火活動が活発な火山。強化する火山では順次、地震計や傾斜計を増設していく。大きな変化が見られない火山が対象から外れる。 全国34か所の火山を観測する国立大学は法人化後、老朽化した観測機器を財政難で更新できず、年に数千万円の維持費を確保するのがやっと。地味な観測では学問的な成果につながりにくく、研究者も減少した。文科省では、対象の火山を絞り込み、噴火予知など防災につながる研究に専念できるようにする。 対象外の火山の観測を文科省は気象庁に移譲したい考えだが、同庁は「機器をそのまま引き受けるのは困難」としている

    eastof
    eastof 2008/10/06
    本当に大丈夫か?
  • 国道168号線地すべり

  • 昭和53-54年福岡市渇水 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2011年2月) 昭和53-54年福岡市渇水(しょうわ53-54ねんふくおかしかっすい)は、福岡県福岡市で1978年(昭和53年)5月から翌1979年(昭和54年)3月まで続いた渇水である。前年(1977年(昭和52年))の夏から翌春にかけての降水量が平年の70%以下となったことが引き金となり、水源をダムに頼っていたため回復が遅れ、287日間にわたって時間指定断水による給水制限が行われることになった[1]。 経緯[編集] 福岡市は高度経済成長に伴う都市化が進展し、それに合わせて水需要も増大していた。昭和30年代には水需要の増加に対して水源の確保が追いつかず毎年のように給水制限が繰り返されていたが、やがて状況は改善され1968年(昭和43年)以降は1975年(昭

    昭和53-54年福岡市渇水 - Wikipedia
  • 【ノーカット】急激に水位が上昇する河川の映像【完全無修正】

    7月4日の早朝、静岡県東部地域を襲った集中豪雨により、黄瀬川流域にも1時間で64mm(赤塚観測所)という大雨が降りました。この大雨により、黄瀬川の宿地点(長泉町宿)では5:40〜5:50のたった10分間に、2.71mも水位が上昇し、6:00には今回のピーク水位である4.30mに達しました。(沼津河川国道事務所 http://www.cbr.mlit.go.jp/numazu/report/kisegawazousui20080704/kisegawazousui20080704.html から転載した動画です。)ノーカット等倍速です。

    【ノーカット】急激に水位が上昇する河川の映像【完全無修正】
  • 長崎大水害 - Wikipedia

    長崎大水害(ながさきだいすいがい)は、1982年(昭和57年)7月23日から翌24日未明にかけて、長崎県長崎市を中心とした地域に発生した集中豪雨、およびその影響による災害である。 気象庁は長崎県を中心にした7月23日から25日の大雨を「昭和57年7月豪雨」(しょうわ57ねん7がつごうう)、長崎県は「7.23長崎大水害」(7.23ながさきだいすいがい)と命名したが、項では降雨・災害双方を区別しない通称の「長崎大水害」を項目名とした。 以下の記述では、市町村合併によりすでに消滅している自治体もあるが、原則として豪雨発生当時の自治体名で示す。 長崎市の北に位置する西彼杵郡長与町では23日午後8時までの1時間に187mmの雨量を観測。これは日における時間雨量の歴代最高記録となっている。また西彼杵郡外海町では23日午後8時までの2時間に286mmの雨量を観測し、こちらも歴代最高記録となっている。

    長崎大水害 - Wikipedia
  • 島原大変肥後迷惑 - Wikipedia

    島原大変大地図 [注 1] 島原大変肥後迷惑(しまばらたいへんひごめいわく)とは、江戸時代の1792年5月21日(寛政4年4月1日)に肥前国島原(現在の長崎県)で発生した雲仙岳の火山性地震およびその後の眉山の山体崩壊(島原大変)と、それに起因する津波が島原や対岸の肥後国(現在の熊県)を襲ったこと(肥後迷惑)による災害である。 犠牲者は約1万5000人に達し、日史上最大規模の火山災害となった。新月の夜かつ大潮であったことで大きな被害になったとされる[1][2]。シミュレーションによれば、山体崩壊開始から終了までは 180秒程度と想定された[2]。 推移[編集] 第一段階(前駆地震群)[2] 1791年(寛政3年)11月頃から、雲仙岳西側で有感地震が多発[3]。震源が徐々に普賢岳に向かっていった。 第二段階(普賢祠前の噴火-新焼溶岩の流出)[2] 1792年2月10日(寛政4年1月18日)

    島原大変肥後迷惑 - Wikipedia
  • 全半壊の建物はわずか13棟・・・・。日本の建物は化け物か

    1 : スレータ=テオッツ(東京都):2008/06/15(日) 00:01:14.32 ID:iw/OxiZP0 ?PLT(12106) ポイント特典 短い揺れ周期、雪に強い構造…地震の建物被害目立たず 6月14日23時42分配信 読売新聞 岩手・宮城内陸地震は、阪神大震災に匹敵する揺れの強さにもかかわらず、 14日午後10時現在、判明している建物の全半壊は13棟にとどまり、 昨年7月の新潟県中越沖地震(6940棟)などに比べはるかに少ない。 専門家らは、建物被害につながりにくい地震波の特徴や、 地震に強い東北地方の住宅構造を指摘している。 建築基準法は震度6強でも倒壊しないような建物の強度を求めている。 国の推計では、この耐震基準を満たす住宅は2003年時点で全国平均が75%。 宮城、岩手両県はそれぞれ74%(03年)、65%(07年)で全国平均を下回る。 震源に近い岩手県奥州市も65

    eastof
    eastof 2008/06/17
    関西は地震慣れしてないと思うよ
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