コンテンツエリア メインコンテンツ 告別式が営まれた曙太郎さんの祭壇 [記事へ]
『文藝春秋』2009年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」より。 (2009年2月15日にイスラエルでエルサレム賞を受賞され、「壁と卵」のスピーチをされた村上春樹さんへの独占インタビューへの一部です。引用部はすべて村上さんの発言) 【ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日本語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的
いつもどおりはてなブックマークで放言を楽しんでいたらなんか絡まれた。 私が、 あんま関係ないけど、ニセ科学のなにがいけないのかさっぱりわからん。本人が信じてればいいんじゃないのか。 はてなブックマーク - 似非科学対策としての「なんちゃって理解」を実現できないか - 狐の王国 とコメントしたところ、id:ublftboさんという人から、 [ニセ科学][科学]>id:chnpkさん ちゃんと考えた上で、分からんと仰っているんですか? 当然、これだけ問題視している人が沢山いる対象についてそう仰るのだから、なぜ「さっぱりわからん」のか、ちゃんと説明出来ますよね。 はてなブックマーク - はてなブックマーク - ブックマークで妄想をよそ行きに。 / 2008年11月14日 という指摘を受けたのだ。 問題視している人が沢山いることと私の説明責任の関係はいまいち不明だが、とりあえずそれはおいといて上の
友人が、物凄く絵が上手いんだけどさ。 でも最初は下手だったんだよね。たいしてうまくない自分より下手だった。 でも急激に成長してる。今はもうホントに上手い。絵で仕事もしてる。 2chのスレでもよくある、「上手い人見て凹んで描けなくなった」とかいうやつ。自分も上手い作家さんとか見たりするとああいう気持ちになったり、年下なのに上手いのとか見るとホントへ込むんだけど、どうやら友人はそういうのが無いっぽい。前その辺語ってて判明した。 「できない」って思わないみたい。なんか。 すごい人見ると、即座に「そうなるにはどうすればいいか」「自分に何を+すればそうなれるか」「そして+する方法は何か」を考えてる。 だからすごい人を見たほうがモチベーションとか上がる。みたい。 目標が目に見えて分かるから寧ろ嬉しいらしい。 年下で上手いとか見ても、考え方が根本から違う。自分は「年下でこんなに上手いとかマジ死ぬwwww
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。そして被害者の方々、遺族の方々すべてにお悔やみを申し上げます。 その上で、この事件について書いてみたいわけだけど、この事件についての話は論点が入り組んでいる。細かく話を分けた方がいいと思うので、論点ごとに書いていくことにします。 サバイバルナイフの規制 賛成。だって、実質的な模造刀だし、美術品とかの日本刀と同じでしょ。殺傷能力のある刀剣類なわけでねえ。家庭用の包丁とかとは違う。元々人を殺すための武器だし、それを真似てつくられているわけだから、実質上は日本刀と一緒。日本刀と同様の販売規制・所持規制があってしかるべき。 包丁などの刃物の規制 反対。「刃物全般が危ないんだから規制すべき」という話には乗れない。サバイバルナイフと包丁などの一般的な刃物は違う。つくられた目的が違う。 包丁は元々食材を切るためのもの。サバイバルナイフは人間を斬るためのもの。「刃物は
雑記そもそも現代の授業形態(学校だけじゃないよ、塾もね)というのはパソコン、もっといえばインターネット登場以前に最適化されているわけだから、今の高校生(俺だけじゃないと思う、ある程度パソコンを使いこなしている層ならみんなそう思うと思う。)の思考からすると『もっとこういうことしたらええやん』とか『これ無駄やん』とか思うところがたくさんあるのも当然なのだろう。塾なんて、学校よりも制約はゆるいわけだからもっとアグレッシブに現代技術を採用していったらいいのにと思う。僕の今行っている塾はかなりアグレッシブなほうだけれども(英語の授業を例にすると、基本的に文章表示等はプロジェクタでやってて、授業中も文章に関係のある動画や画像等を見せたりしている。生徒の提出したプリントは全部スキャンされてデータベース化されている、先生に頼むとそのデータはくれたりする。)まだまだ足りない。 例えば、教室からネットにつなげ
ずっと以前、「何かを語るなら、まずは知識がないといけない。少なくとも、そのジャンルを全部読み尽くすくらいでないと……」という言説を聞いたことがある。それは確か、「SF小説を語るなら、古今東西全てのSF小説を読んでからでないと」といった文脈で語られていたように思う。 まだ少年だったぼくにとって、これはなかなか説得力のある言説だった。また、博識な人に強く憧れ、世界の全てを知りたいと思っていたから、ある意味魅力的な挑発でもあった。そのため、これを真に受けて、ありとあらゆるものを読んだり見たりした時期があった。 特に中学3年生の時は、マンガが好きだったから、出版された全ての男性向けマンガ雑誌を読んでいた(少年向けから大人向けまで)。当時の書店は立ち読みができたし、また出版点数も少なかったからそれが可能だった。 しかし、一年間その生活を続けてみると、さすがにバカらしくなった。時間がかかったというのも
痛いニュース(ノ∀`) : 「ガチャポンのカプセル誤飲で子供に障害」 バンダイに2626万円賠償命令…「カプセルを角形に」「穴を複数あける」など、基準見直し迫る判断 - ライブドアブログ 皆言ってるけど、そもそも子供がガシャポンのカプセルを飲むというのは、想定外の事態のはずなのに、メーカーに対しては、「安全基準を満たしているし、あんなの飲み込むなんて考え付かないだろ、しょうがないよ」。親側に対しては「しっかり見てないからだ。自己責任だ」ってのはダブスタっぽいけど、どうなの? つい、この前まで被害者感情を意識したナイス判決グッジョブとか言ってた連中がこれですか。ファッキン。駄目だ。俺はこんな冷たい社会では生きてける気がしません。年金も払う気になれませんし、NHKの受信料も払いたくないです。パソコンもぶっ壊れたし、死にます。さーよーなーらー。 むくっ。よみがえりました(平野耕太メソッド)。 で
と、ぼくは思うんだけれど、どうよ? いきなりこんなことを書いてもわからないか。 小説でも漫画でも、映画でもいい、何かしらの物語を読んだり、見たりしているとき、そこに作者の考える「正解」を見つけることがある。 「正解」とは「このように行動すれば良いのだ」という、その作家なりの結論のことである。ぼくの場合、物語にそのような「正解」が出てくると、白けてしまうことが多い。現実にはそうそう「正解」は見つからないと思うからだ。 たとえば、槇村さとるである。往年の少女漫画家時代はともかくとして、最近の槇村が描く作品には、いつも「正解」があるように思える。 以前にも書いた記憶があるが、槇村さとるの作品を読むとき、ぼくはいつもそこに「正しさ」の圧力のようなものを感じる。このことに関しては、ぼく自身の言葉で語るよりも、「紙屋研究所」の的確な批判を引いたほうが早いだろう。 正直、槇村さとるは、嫌いな漫画家の一人
我々の業界で、子どもや若者の「理科離れ」ということが朝晩のあいさつのように語られた時期がありました。今でも言っている人がいるかもしれません。遊んでいる子どもたちが昔と同じようにあらゆる自然に対して興味をもっているところを見たり、テレビなどで科学番組がたくさん作られているのを見ていると、私は実感として理科離れを感じることができませんでした。今でも、少なくとも怪しげな「教育」を受けるまで、子どもたちは間違いなく自然が大好きなことを確信できます。 ただし、現実問題として理系の大学に進む若者が減っていたり、技術職を目指す若者が減っているということがあるのだと言われると、それはそうなのかもしれないと思います。しかし、それは理科離れというよりは、理系の職業選択をする若者が減っただけだと思っています。なぜ、理系の職業を選ばないかというと、単純に損だと感じるからではないでしょうか。 同じようなロジックで、
Latest topics > ヲタファッション革命 宣伝。日経LinuxにてLinuxの基礎?を紹介する漫画「シス管系女子」を連載させていただいています。 以下の特設サイトにて、単行本まんがでわかるLinux シス管系女子の試し読みが可能! « 結婚 Main エイリアン展:他の星にはどんな生き物たちが住んでいるんだろう? » ヲタファッション革命 - May 08, 2008 ヲタファッション革命第一弾 おお。いい結果になったみたいでよかった。オサレ小物まで行くと僕にはちょっと付いていけんけど…… これのBeforeとAfterの違いが分からん(どっちもダセえ)と思う人というのは、きっとオシャレさんなんだろう。そういう人達と、脱オタしたいと思ってる僕達みたいな人とでは、そもそも目指してる物が違うんだから、まあ、そういう人達から辛辣な意見が出てきたって、それは無視してイイと今では思える。
コメント欄は閉じてます。 中島義道がどこかで、電車内で流される「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」という漠然として誰に言ってるのかわからないような放送をやめ、たとえば「今○両目に駆け込んだ眼鏡をかけた男性、危険だからやめなさい」という具体的な指摘にすればいい、みたいなことを書いていたような記憶があって探したんだけど見つかりませんでした。記憶ちがいかな? かわりに、こんな箇所を見つけました。井の頭公園で花見の季節に「池に飛び込まないでください」などという管理放送に憤慨し、中島は管理事務所に電話します。 管理事務所のXは「一人でも池に飛び込むかぎりはやります」と絶対に讓らない。だが、Xのみを責めてばかりはいられない。善良な市民はみずからは一ミリも動かずに「お上」に向かって「ああしてくれ、こうしてくれ」とダダをこねるのである。それは -- 始末の悪いことに -- 「もっと看板を立ててくれ
日曜日に友人たち数名とTRPGをやった日の帰りのこと。 ゲームが終わった後はみんなでファミレスによってダベるというのがいつものコースになっていて、その日もいつものその流れになっていた。 そしてオタク数名が集まれば、アニメやマンガなどを話題としたオタクトークが展開されるというのもいつのも流れどおりで、その日もそんなトークで盛り上がっていたわけだ。 そしてこの時期のオタクトークといえば、4月に新しく始まったアニメの話題になるのも当然の流れということで、「今期は何か面白いアニメある?」という話題が展開されていたのだ。 「そういえば今期はあまり面白いのないかもな」 「でもメイドガイあたりは結構面白いんじゃね?」 と、そんな話をしているときに、その場にいた友人の一人であるI君はこう言ってきたのだ。 「今期は面白いのは全然ないね。メイドガイも見れなくはないけど、そんなでもないよ」と。 ……まあ、それ自
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