わたしが通り魔犯についてのコラムを書いた直後、秋葉原で恐ろしい通り魔事件が起きてしまった。事件が起きた6月8日、ちょうどわたしは秋葉原に買い物に行く途中だったが、事件のことを知って行くのをやめた。 なぜ、犯人は自分1人で自殺しなかったのか。なぜ、全く関係ない人を殺したのか、殺された方々のことを考えるとやりきれないし、許し難いことだ。 今回は、殺傷能力の高いダガーナイフを使ったり、福井の武器ショップでナイフを5本もまとめ買いしたりと、ナイフの売り方・規制の仕方にも大きな問題を投げかけた。通常の用途で5本も一度にまとめ買いすることなどあり得ない。 既に警察庁やいくつかの県が、青少年に対するダガーナイフ販売の規制に乗り出している。また、販売店と連携し、購入者の身元確認をするなど、ナイフ販売に一定のルールを設けていく方向に進んでもいる。できればこれを、全国で推し進めてほしいものだ。 刃渡り
7月5日にデジタルジャーナリズム研究会が「アキバ事件で考える~目撃ネット情報の使い方と報道・表現の自由」と題した公開シンポジウムを開くらしいのだが、なんだかんだで行けそうもないので、とりあえずここに書いとく。 携帯電話にカメラ機能がつくのが当たり前になって以降、事件の現場などで、いあわせた人たちがいっせいに写真を撮っている姿がよく報道されたりする。ちょっと古くさい表現をすると「一億総カメラ小僧時代」というわけだが、「興味本位」だとか「そんなことをしているひまがあったら救助に加われ」とか、あまり評判はよろしくない。ここぞと「まったくケータイ世代は」みたいな俗物的世代論に落とし込む人もいるようだ。 確かにあんまり見ていて気持ちのいい図ではない。ないのだが、けしからん!と憤ってみせるのもなんだかひっかかる。別に確たる意見があるわけではなく、単にわからないのだ。たぶん同様のひっかかりを感じている人
2008年07月01日03:27 31年前の加藤智大 秋葉原通り魔事件の加藤智大容疑者はトヨタの工員で、彼女ができないからああいうことをやったと自供してるということなんで、1977年のこの事件が引き合いに出されるかと思っていたのですが、どうもあんまり取り上げられていないみたいなので記しておきます。 昭和52年(1977).5.30〔23歳がモテないのでむしゃくしゃして連続通り魔殺人〕 大阪府寝屋川市の路上で、トヨタオート大阪のセールスマン(23)が、通行中の男性(48)の胸をいきなり包丁で刺し、倒れたところを馬乗りになって全身9ヶ所をめった刺しにして殺害した。6.1に大阪市の路上で、通行中の主婦(28)の胸をいきなり包丁で刺し、倒れたところを馬乗りになって4ヶ所をめった刺しにして殺害して逃走、すぐに逮捕された。 京都産業大学外国語学部を卒業して4月から自動車セールスマンになったが一台も売れ
東京・秋葉原の無差別殺傷事件後、インターネットの掲示板に、何らかの犯罪を予告する書き込む事件が23日現在、全国で17件あり、17人が摘発・補導されていたことが24日、警察庁のまとめで分かった。このうち12人が逮捕、4人が書類送検され、1人が補導された。 容疑者の7割にあたる12人が無職やアルバイトな定職に就いておらず、このうち7人は20代の男だった。 また、17人のうち6人が未成年で、最年少は13歳の男子中学生、最年長は30歳の無職の男。女も2人いた。 書き込みには、「無差別殺人」や「大量殺人」などの言葉が入っているものが6件あったほか、秋葉原事件に言及しているものも目立った。ただ、取り調べに対して、実際に殺人を実行するつもりだったと供述したケースはなかったという。
秋葉原の無差別殺傷事件で殺人容疑で再逮捕された派遣社員、加藤智大(ともひろ)容疑者(25)は、神戸連続児童殺傷事件の容疑者の元少年と同年齢の「酒鬼薔薇(さかきばら)世代」。10年前、教育現場では神戸事件を受け、「心の教育」が問われながら、ナイフを使った少年の事件が相次ぎ、突然「キレる」子供の問題が深刻化した。家庭や学校のしつけ・指導力低下が顕著になり、識者からは「挫折に弱い」「過保護」など、この世代が受けた教育の弊害を指摘する声もある。(鵜野光博)■「実体験」希薄 「ヤンキー先生」の通称がある参院議員の義家弘介氏は、平成11年から務めた北星学園余市高校で、加藤容疑者と同世代の生徒を受け持った。 「幼少期から『個人の自主性が大切』『校則はいけない』『詰め込みは悪』という教育にどっぷりとつかった世代」と振り返る。 昭和50年代に吹き荒れた校内暴力で管理教育や体罰が問題となり、反動から校則をなく
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
最新ニュースについて、ご意見をネットで募集するコーナーです。13日の紙面で募集したテーマ「秋葉原の無差別殺傷」について17日までに2万257人(男性1万6910人、女性3347人)から回答がありました。主な意見は次の通りです。(1)銃刀法を見直し、こうしたナイフの売買、所持に規制をかけることに賛成ですか?YES→41%NO→59%(2)青少年に悪影響があるゲームソフトを取り締まるべきですかYES→10%NO→90%(3)ネット掲示板への監視の目を強化すべきですかYES→27%NO→73% ナイフの扱いは? 千葉・女性パート(30)「殺傷能力が高く凶器になり得るナイフに限っては規制を強化すべきだ。そうした規制は犯罪抑制につながるはずだ」 熊本・男子専門学校生(15)「ナイフの売買所持に規制をかけるべきだと思う。ただ、単純な規制や取り締まり強化だけでは、根本的な解決はできない。いま、考えるべき
亡くなられた方のご冥福をお祈りします。そして被害者の方々、遺族の方々すべてにお悔やみを申し上げます。 その上で、この事件について書いてみたいわけだけど、この事件についての話は論点が入り組んでいる。細かく話を分けた方がいいと思うので、論点ごとに書いていくことにします。 サバイバルナイフの規制 賛成。だって、実質的な模造刀だし、美術品とかの日本刀と同じでしょ。殺傷能力のある刀剣類なわけでねえ。家庭用の包丁とかとは違う。元々人を殺すための武器だし、それを真似てつくられているわけだから、実質上は日本刀と一緒。日本刀と同様の販売規制・所持規制があってしかるべき。 包丁などの刃物の規制 反対。「刃物全般が危ないんだから規制すべき」という話には乗れない。サバイバルナイフと包丁などの一般的な刃物は違う。つくられた目的が違う。 包丁は元々食材を切るためのもの。サバイバルナイフは人間を斬るためのもの。「刃物は
▼弱者が弱者の足を引っ張るって結局権力側の管理社会に自ら寄与するスパイラル。 その殺人者の発想の貧困さは日本の痛みの連鎖を代弁するって話。 はてなブックマーク - 加藤智大は格差社会の代弁者ではない - the deconstruKction of right たしかに、彼が格差社会の声だっていうのは英雄化というかカルト化する行為であり、世論を自分に向けるための印象操作ではないけど。 不幸なら幸せの権利を掴み取るために叫ぶのではなく、自分の不幸を自分より叩きやすい皆に分け合うみたいなメンタリティなら、僕らにだって存在する。 大阪府の公務員(左翼の人だかだっけ?)が公務員のサービス残業について文句を言ったときに、一般の人たちは「民間なら、サービス残業は当たり前」って言いかえしたじゃん。 これって、他人も自分と同じ苦痛を味わえって叫んでるのと同じで アキバで弱者に不幸をばら撒いた
秋葉原の事件から、4日。 事件直後から思っていたことはあるけれど、目前の仕事その他、情報不足、そして何より7名にも及ぶ犠牲者のことを考えると、すぐにこれについて触れる気持ちにはなれなかった。まず、この件に触れる前に犠牲になった全ての方のご冥福を祈り、今なお病院で苦しまれている負傷者の方々の回復を祈ります。 この事件を巡っては、多くのテレビ・新聞などの報道、それらをソースとしたネットニュース、それらをソースとしたブログ、識者の意見、犯人の職場に近い環境からの内部リーク的な情報、スレッド、他多くが行き交っているので、僕がこれから触れることはそれらと比べてもさほど新鮮ではないかもしれない。これを踏まえた上で、この事件を考える。 身内は無事か 僕がこの事件を聞いたとき、まず第一に考えたのは「秋葉原と縁が深そうな友人の無事」であった。僕自身、IT/情報家電雑誌に執筆していた経験を持ち、家電やゲームや
http://anond.hatelabo.jp/20080614225245ていうか加藤が求めてたのは無条件かつ無制限に自分を受け入れてくれる女性でしょでもそれって恋人というか母親ってことだよね彼の両親(特に母親)への憎悪を見る限りまともな親子関係を築けていなかったことは明白なわけでつまり彼に必要だったのはお見合いおばさんじゃなくてサカキバラも受けたという疑似家族による育て直しってことになるこの辺どういうわけか各方面から意図的にスルーされてる気がする
天漢日乗のエントリによると、アキバ通り魔事件は「加藤の乱」と呼ばれつつあるらしい。あれはテロではなく単なる通り魔だし、まぁテロも通り魔も自意識を持て余した青年の吹き上がりという点では大差ない訳だが、あまり持ち上げると便乗犯を招くんで過剰な意味付けは避ける必要がある。という訳で、アキバ通り魔事件はテロじゃないし、あれを以て剣はペンよりも強しなんて結論づけちゃ、まずいだろ。 ところで剣とペンとどっちが強いかって議論は不毛だ。世界を動かすには両方とも必要なんである。福田政権は当初「加藤の乱」に対して刀狩りで収めようとしていた。それを派遣業法の見直し等に軌道修正したのはペンの力だ。加藤容疑者は日雇いじゃないんで多分に議論はこじつけだし、やるべきことは他にある。暴力装置は言論とセットでなければ世の中を間違っていない方向に変えられないし、暴力が仮に世の中を変えたとしても、それを以て正当化される訳ではな
J-CASTニュース : こんな凶悪犯相手でも 日本の警官は銃を使えないのか あの人混みの中で発砲しないというのは正しい判断なのに、発砲しろ!とか言っている人たちは、銃に関する話してもらいたくない! 人混みの中でも撃っているような刑事の出てくる映画などを見て、そんなことを言っているのだとしたら、まさに現実とフィクションの区別がついてない人たちだ。 また、動いている人に当てるというのは相当難しい。足を狙え!と周囲の人が言ったそうだが、それは相当銃に慣れた人間でもない限り、難しい。 「据物撃ちなら誰でもできる」 - 玄倉川の岸辺 それについて詳しく指摘した記事。ライフルだと全然状況が違って当たるらしい。 ピストルというのは3メートル離れたら当たらないものだ、みたいな話を聞いてはいたけど、それについて細かいデータがあった。 ニューヨーク市警の命中率から - 火薬と鋼 2ヤード(約1.8m)で38
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