日本の国技とされる『相撲』。力士の多くは、30歳前後で引退します。そんな彼らを待ち受けるのは、“仕事がない”という現実です。しかし、困難を乗り越え、強靭な体と精神力で第二の人生を切り開く元力士たちも。クリーニング店や介護職から、お笑い芸人、力士専門の芸能プロダクションまで…多様化する引退力士たちのセカンドキャリアと、それぞれの思いを追いました。 【動画で見る】土俵を去っても輝く!強靭な体と精神力で引き開く、引退力士たちの第二の人生
くるくる @caracolcaracole 精神状態が悪いとお風呂に入れなくなるということは、お風呂って基本的にものすごく人間にとって精神的負荷が高い行動なのかなと思うけど、何がその負荷なのか、というか、そんなものすごい精神的負荷を負ってもなお何故人は風呂に入れるようになったのか。 2024-02-12 07:50:25 くるくる @caracolcaracole 人類の歴史を考えると基本的に体を洗うということはものすごく稀で新しく、万年単位で人間は一切体を洗うことなく生きてきたし、犬とか猫みたいな動物でも風呂をめちゃくちゃ嫌がるのを見ると、生物にとって体を洗うということはとてつもなくストレスなのに、よくやれるようになったな人類。 2024-02-12 07:53:43
学校以外でどう学ぶ? 課題やその後の進路は? 「【みんなで考えよう】不登校の子どもの学びの場として、学校以外にどんな選択肢があると思いますか? #こどもをまもる」のコメント欄には、不登校の子どもの学び場に関する課題やその後の進路など、さまざまな意見が寄せられた。(2023年12月15~18日のコメント、計約350件をもとに構成) 不登校になったときの学び場として、フリースクールや塾、家庭教師、家庭学習などが挙がっていた。「本人は楽しく過ごしており、家庭教師を付けて学習は学校よりも先に進んでいる」という前向きな声がある一方で、「フリースクールに行くほど経済的に余裕がない」といった金銭的な負担を訴える声があった。 その他、学校には登校できても、教室に入ることができない児童のために用意された校内の支援室などの活用については「職員室前に机が用意されており、さらし者みたいだ」「保健室登校は長く通うと
「親が認知症になったらどう接すればいいのか」「家族の認知症にどうやって備えておけばよいのだろう」──。そんな不安を抱えながら、日々を過ごしている人も少なくないはず。 今回登場していただくのは、認知症の母を在宅介護されているだんだん・えむさん夫妻。だんだん・えむさんが開設したYouTubeチャンネル『認知症ポジティブおばあちゃん』は、認知症でありながらも、明るく元気に過ごす91歳のおばあちゃんの日常を、同居家族ならではの視点で紹介し、大きな注目を浴びています。 認知症になる前のおばあちゃんの様子、認知症の予兆だったと思える出来事、認知症と診断されたあとの家庭の雰囲気……実際の体験と、家族の認知症との向き合い方・備え方のヒントを伺いました。 フォーネスライフが提供する疾病リスク予測サービス「フォーネスビジュアス」では、20年・5年以内(※5年以内は65歳以上が対象)の認知症をはじめとした各種疾
未就学児が2人いて、まあどこの家庭もそうなのかもしれないけど、「休み」が本当にない。 平日は仕事から帰ってお迎え、夕食、お風呂、寝かしつけとやることが満載だし、朝も時間との戦いでバタバタ。 で、休日は子どもの「公園行きたい」「児童館行きたい」たまに「動物園行きたい」とかに付き合って、自分の時間はほとんどない。歯医者の予約しとかなきゃ〜とか、この書類そろそろ締め切りだから片付けなきゃ〜とか、頭の片隅にはあるんだけど、それを処理するだけの余裕すらなくて、気がつくと日曜の夜になってる。 夫は家事や保育園の送り迎えはするけど、子どもたちは基本的に私にべったりなので、私が子どもたちの相手で手いっぱいなとき夫は優雅にスマホ見てたりもして、なんだかな〜〜と思う。私が体調悪い時は夫が子どもたちを連れ出したりしてくれるけど、子どもは基本的に「ママと一緒がいい」「みんなで行きたい」とか言うのでそれも無碍にでき
自己肯定感が低く、仕事やプライベートで自分の言動に不安を抱えたり、失敗したとき必要以上に落ち込んでしまっていたりしませんか。 お笑いカルテット「ぼる塾」の酒寄希望さんは、自身の育休中にグループが大ブレイク。自分に自信が持てなくなり、しばらく落ち込んだ経験があります。 そんな酒寄さんが“負のスパイラル”から抜け出せたのは、前向きな言葉をかけてくれるメンバーの存在だけでなく、酒寄さん自身が思考を転換し「自分ができること」を見つけられたからでした。 「ネガティブ」は自分を守るため。無理してポジティブにならない ぼる塾は、酒寄さんが育休に入った2019年に大ブレイク。著書「酒寄さんのぼる塾日記」では、「自分はいなくてもいいのでは?」と葛藤を抱えたエピソードをつづっていらっしゃいます。酒寄希望さん(以下、酒寄) あんりちゃんとはるちゃんが「しんぼる」、私と田辺さんが「猫塾」という別々のコンビで活動し
高齢化は世界中で急激に進んでおり、それに比例して人々が定年退職後に過ごす年月も長くなってきている。だが果たして数十年の間働かずに過ごすことは、私たちの精神および肉体の健康にとって、本当に良いあり方なのだろうか。そんな疑問に英紙「テレグラフ」が示した答えとは。 働き続ける人は引退した人より健康評価が高い 1881年、ドイツ帝国宰相だったオットー・フォン・ビスマルクは、もう稼げなくなった高齢者を政府が支援するという斬新な発想を国会で披露した。この演説で、彼は「引退」という概念を生み出したのだ。 終生働く(あるいは家族に養ってもらう)のが当たり前だった時代に、この発想はラディカルだった。それから30年近く経った1908年から、英国で公的年金制度が始まった。 こうした高齢者への経済支援の政策は、当時の平均寿命(約52歳)を考慮して施行されていた。ところが20世紀の間に、平均寿命が52歳から81歳へ
リンク FNNプライムオンライン 【乗客証言】「すごく怖かった」 機内は“パニック状態”、滑走路を歩いて避難 日航機・海保機衝突事故|FNNプライムオンライン 羽田空港で2日夕方、日本航空と海上保安庁の航空機が衝突する事故があり、海上保安庁の航空機に乗っていた乗員5人が死亡した。日本航空の乗客・乗員約380人は全員脱出し、このうち14人がけがをしている。1月2日午後6時ごろ、羽田空港に設置されたFNNの情報カメラが、到着しようとする1機の機体をとらえていた。そして、次の瞬間、突然、機体が真っ赤な炎を上げて燃え上がった。まるで何かが爆発しているように見える。機内で撮影された映像には、「ピンポン」という警告音が響いている。窓の向こうはオレンジ色に見え、機…
子どものころは絵を描くのが好きだった。 学校の休み時間は、クラスメートはみな外にサッカーをしにいっていたが一人教室にのこってノートに漫画を描いている、そんな小学生だった。 自宅に戻っても、自室にこもってよく漫画を描いていた。 漫画と書くいっても、別に人を楽しませるために描いているわけではなかった。もちろん褒められると嬉しかったが、それが目的だったわけではなく、いま思えば、それは自分で自分を癒すかのような行為だった。自分を救うために絵を描いていた。 絵を描いているときは、それに夢中で没頭していて、ほかの何にも代えがたい時間を過ごすことが出来た。この時間が、どこか自分の救いになっていた。 中学二年生ぐらいになって思春期にさしかかった頃だろうか。教室で絵を描いていると浮いてしまうことに気づいて、恥ずかしくなって、描かなくなった。 それでもやっぱり絵を描いたりなにか作品を作ったりするのは好きだった
「43歳で認知症と診断されたときは、絶望しかなかった」。2023年9月に「とうきょう認知症希望大使」にも任命された、さとうみきさん(48)は「若年性アルツハイマー型認知症」と知らされた時の心境をこう振り返る。ネットで認知症について調べても、出てくるのは暗い話ばかり。絶望に沈んだ。それから5年。周囲の支えもあり、いまは全国を飛び回り、当事者だからこそ伝えられる思いを講演で発信している。ほかの若年性認知症の当事者とも積極的に交流を深め、同じ認知症の仲間同士で暮らしの中での工夫も共有している。「私は認知症になってから、人生の第2章がスタートしたと思っている」。そう語るさとうさんの活動を追った。 ●若年性認知症と診断されて「私も認知症かもしれない」。さとうさんがそう感じたきっかけは、たまたま目にしたテレビドラマだった。若年性認知症の主人公が、同じ商品を何度も買ってしまったり、友人との約束をすっぽか
この記事はエンジニア転職 Advent Calendar 2023の11日目になります。 10日目はnewtaさんの「やりたいことをするための環境を探そう」でした。「野球をやっててもサッカーはうまくならない」というのには膝を叩いて納得してしまいました。確かにその通りですね。今後の参考にしたいと思います。 さて、この記事はアラフィフのおっさんエンジニアによる転職失敗談です。皆様の成功談のなかで恐縮ですが、他人の失敗から学べることもあると思いますので、よろしければご覧ください。 ざっくり自分の経歴 新卒でベンチャー企業に就職。約10年働くも倒産で解雇。 フリーランスのエンジニアになる。約10年働くも諸事情で廃業。 派遣でエンジニアとして働く。合間に転職活動も行って、何度か転職したこともあるけれど諸事情で数年で退職を繰り返すこと約10年。現在も転職活動中。 トータルで約30年のキャリアがあるわけ
「物が多すぎる」林雄司さん・べつやくれいさん夫妻が、理想の老後のために老前整理について考えてみた 公開日 | 2023/11/16 更新日 | 2023/11/16 昨今、終活の一環として、自分が亡くなる前に財産などを整理する「生前整理」という言葉が広く知られるようになりました。最近ではさらに、快適な老後を過ごすために40代や50代のうちから徐々に物を減らす、「老前整理」を行う人も増えているようです。 ウェブメディア「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さん、べつやくれいさん夫妻も最近になって、仕事や趣味の影響で増え続ける物の処遇を考え始めたと言います。とはいえ、好きで集めた物は手放したくないし、たとえ「ガラクタ」でもマニアックな価値がある可能性を捨てきれず、処分に踏み切れない物もあるのだとか。 楽しく、でもできるだけ身軽な老後を過ごすために、お二人の場合はまず何から始めたらいいのでしょうか
気にしやすい性格ゆえ心身の調子を崩し、「休職」ではなく「退職」を選んだKasumiさん。 「むやみに退職を勧めるわけではないけれど、私の場合は仕事や職場とすっぱり距離を取る必要があった」と話すKasumiさんに「疲れたら休んでもいいしどんな働き方をしても大丈夫」と思えるようになるまでの“10カ月の空白期間”を振り返っていただきました。 職場での評価=自分の全て、だと思っていた 自分だけが、いつまでも溶けない氷みたいだ。 職場にいる時、そんなふうに感じることがあった。もともと気にしやすい性格で、社会に出てからは「仕事」より「職場」に慣れようといつも必死だった。 人間関係で何か気になることがあると、それがささいなことでも大抵その日は眠れない。休日まで職場のことで頭がいっぱいになって、周りの人たちのようにプライベートを楽しむことができない。「気にしない」ができない自分のことを、駄目だと思っていた
マーティ・フリードマン(Marty Friedman)は「僕の人生を変えた10枚のアルバム」発表。Classic Rock History企画 # 1 KISS / Alive! 「これは、僕にミュージシャンであること、そして演奏するとき、どういうわけか底なしのエネルギーの井戸を見つけるタイプのミュージシャンであることを強いたアルバムだった。今でも興奮するよ。このアルバムを聴く前は、これほどエキサイティングなものはなかった。このアルバムは、コンサートとは何なのかという僕の考えを完全に変え、コンサートのあるべき姿を形作ってくれた。10代前半でこのアルバムに出会ったことは、おそらく多くのロックスターを夢見るきっかけになっただろうね」 # 2 The Ramones / Leave Home 「これを買ったのは、革ジャンを着た4人組がかっこよく見えたから。僕は50年代のものが大好きな子供だった。
インタビューに答える「弱虫ペダル」作者の渡辺航さん=北九州市小倉北区で2023年10月6日、上入来尚撮影 自転車のロードレースに青春を懸ける高校生たちを描いた漫画「弱虫ペダル」。少年誌に15年にわたって連載され、単行本の累計発行部数は3000万部超。6日には最新刊の86巻が発売された。作者は「生粋のサイクリスト」を自称する渡辺航(わたる)さん(52)。漫画家になるまでの道のりを尋ねると、作中の登場人物さながらに、もがきながら進んだ半生を語ってくれた。【聞き手・平川昌範】 【写真まとめ】「ツール・ド・九州」でサインに応じる渡辺航さん ◇心の師匠は鳥山明先生 ――長崎市出身とのことですが、どんな子ども時代でしたか? ◆山や畑に囲まれた家に生まれました。3人きょうだいで、兄と妹がいます。僕はやんちゃというほどではありませんでしたが、活発なタイプで、いつも「キャーキャー」と言っているような子でした
夫と暮らし始めて家を買う際、私両親たっての希望で二世帯(私達夫婦、私両親)で住む事になった。 今自分達が住んでいる家も年数が経ちリフォームするお金もあまり無いから、まだ売れるうちに売って一緒に住みたい、お金もこっちでも出せる分は出すからって。 夫は始めは反対してたけど私も話し合ってなんとか承諾。中古の平屋を買って住む事になった。 まず部屋の割り振りで不満が出た。 夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共に荷物あるとそこは却下されて 他の部屋も母に取られて、私も私で色々荷物多くて収納ある部屋じゃないと無理だったので 結局夫に与えられたのは一番小さい部屋。しかも客間兼も予定だっただから和室。 その時も抗議されたけど、夫は元々綺麗好きで私物もあまり無かったから、両親に荷物を捨てさせる訳にもいかなかった。 家のお金の事でも揉めた。 例えば家の購入代金が3000万ぐらいで、夫が
私は自分が好きでやまないものを人に言えない。 自分の中で本当に大切に思っているものが相手に刺さらない、ましてや受け入れてもらえなかった時に、自分を裂かれたような気持ちになり、それを克服しきれないまましっかり大人になってしまった。 のちに自分の好きなものは確かに万人受けするものではないが、極限られた人のみの嗜好傾向という訳でもない事を知った。私のプレゼンが下手なだけだったのだ。それが分かったところで、自分の心を開示する恐怖はさほど和らがなかった。 高校生の頃から好きなアーティストがいる。知ったきっかけは忘れたが、HMVのサイトで30秒ほどの視聴を擦り切れるほど繰り返し、意を決して地元のタワレコに買いに行った事を思い出せる。 さんざん繰り返した視聴の先を聴いた瞬間の感動は忘れない。予想しなかった方向に転調して度肝を抜かれた。 そのアーティストが、引退からまさかの復活をすることを知った。そのCD
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