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ブックマーク / diary.uedakeita.net (26)

  • いまどきジャンパーと言うか - 真顔日記

    去年の冬の終わり、「このジャンパーも片付けよう」と言って、杉松に爆笑された。ゲラゲラ笑うという表現がぴったりくる爆発的な笑いだった。「ジャンパー! ジャンパーって! 古いよ、おっさんだよ!」と勝手に盛り上がっていた。 私はムキになって、「なんだよ、じゃあブルゾンか?」と言ったんだが、この発言が火に油をそそぐ結果となった。「それもおっさんだよ!」とのことである。もがけばもがくほど泥沼にはまりこんでいく。ちなみに、ジャンパーおよびブルゾンを、現代の人間として恥ずかしくない形で表現するならば、「アウター」らしいです。 ジャンパーという言葉に、危険性を感じてはいた。この言葉が地雷である可能性は察知していた。地面がモコッとしていた。踏めば爆発するかもしれないと思っていた。しかし私は他の言葉を知らなかった。おそるおそる踏んでみたら爆発した。もっとも、ブルゾンも地雷だとは知らなかった。右足で爆発、左足で

    いまどきジャンパーと言うか - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2018/01/25
    自分は「ジーパン」でオッさん認定された。ジーンズか?と聞いたら「デニム」と返された。納得はしていない。
  • 知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする - 真顔日記

    自分の知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする。ほとんど性的興奮の域に達している。自分が聞いたこともない言葉を当然のように使われて、「もちろん知ってますよね?」という態度を取られること。これがたまらない。 だから私は電車の中で女性誌の吊り広告を見るのが好きである。自分と無関係な言葉、無関係な表現、無関係な欲望があふれているからだ。たとえば数年前に見かけて、いまだに覚えている女性誌のコピー。 今年こそ、パンツスタイルを極めたい! これだけでゾクゾクする。私はパンツスタイルを極めたいと思ったことがない。人生で一度もない。しかしこのフレーズには「何年も挫折してきた」というニュアンスさえ読み取れる。「今年こそ」である。世の中にはパンツスタイルを極めようと何年も努力している人間がいるのだ。ゾクゾクする。 昔、ふとした拍子に、知らない女のラジオをきく機会があった。メインは女なんだが、聞き役の男

    知らない言葉を当然のように使われるとゾクゾクする - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/03/02
    これの類型が「世界のナベアツ」ですよ。
  • 子供のころに覚えた言葉は全然使わない - 真顔日記

    かつて、言葉は意味よりも先にかっこよさで入ってきた。 私が小学生のころ、「ターボ」という言葉がかっこよかったんだが、これはスト2ターボというゲームのせい。正式名称は『ストリートファイター2ターボ』。ある日、一人のクラスメイトが「スト2ターボ」と言い出し、誰もがその響きに魅了され、翌日には男子があちこちでターボと言い始めていた。舌から舌へ、言葉はすさまじい速度で感染する。気持ちのいい言葉の爆発的感染力。 同時期、「ターボファイル」というものもあった。これはスト2ターボよりマイナーだが、当時の私は『RPGツクール』というゲームにはまっていて、そこで使う付属品だった。ここにもターボがいる、と子供ながらに思っていた。さらに数年後、オリコンチャートでブイブイいわせていた頃のTMレボリューションが、「ジ・エンド・オブ・ジェネシス・TMRエボリューション・ターボ・タイプD」に改名した。ここにもターボ!

    子供のころに覚えた言葉は全然使わない - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/03/01
    “合コンで相手の職業が戦士や魔法使いだったことありますか。”合コンでゴーレムやトロールがやってきたことはある。それに向こう側はこちらを「魔法使い」と認識してた模様。
  • 近所に大戸屋ができてほしいという祈りにも似た気持ち - 真顔日記

    私はほとんど自炊をしない。だから近所にある飯屋で日々の事が决まる。これは同居人もそうである。行きつけの飯屋を五つほど用意して日々をまわしている。そんな生活である。 しかし近所にふつうの定べられる店がない。中華、牛丼、カレーはある。パンや麺類もある。インドカレーにナンをひたしてべられる店まである。なのに、ごはんに味噌汁、主菜に小鉢という日的フォーマットで出てくる店がない。 自分の住んでいるあたりの問題なのか、意外とそういう場所は多いのか、とにかくそんな日々を過ごしているから、私と同居人のあいだに、「近所に大戸屋さえあれば……!」という祈りにも似た気持ちが生まれている。 もっとも、最後に大戸屋に行ったのは二人とも十年ほど前で、私はむかし東京に住んでいたころ、立川駅近くの大戸屋に通っていた。そして同居人は河原町で働いていたころ、会社の昼休みによく大戸屋に行っていた。 対象が日常から

    近所に大戸屋ができてほしいという祈りにも似た気持ち - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/01/23
    “最後に大戸屋に行ったのは二人とも十年前で”・・・今の大戸屋は値段高くなってるし、料理も微妙だし、10年前の記憶で行くと落胆するからやめておいた方が良いよ。
  • 説明不能の笑いのつぼについて - 真顔日記

    同居人が問診票に色々と記入していた。会社で健康診断があるという。私は物珍しさで見ていた。すると「よくべるもの」の欄に、同居人は「アメやチョコなど」と書いていた。それで私は笑いがとまらなくなった。自分でも何がつぼに入ったのか分からないんだが、ヒイヒイ笑った。「だって、正直に書かなきゃダメでしょ!」とキレられましたが。 これには逆のパターンもあって、以前、私がビニールぶくろにパンを三ついれて居間を歩いていたときは、同居人のほうが爆笑していた。「パン買ってる、パン買ってるっ!」と言っていた。自分が笑われる側になると分かるが、なんなんだと思いますね。 ただ、私も少しだけニュアンスを理解できてしまうところがあって、「人がビニールぶくろにパンをいれているだけで面白い」という感覚はあるのだ。非常にせまいものだが、私と同居人は共有している。「あまりにも当り前な当り前」が、その当り前さゆえに面白くなるとで

    説明不能の笑いのつぼについて - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2017/01/11
    わかる。自然界の現象に対して「なーんやそれ!」って突っ込みたくなることはある。すんげぇ強風で傘が捲れた時とか。
  • 人の集まるところを「都会」と呼ぶ習慣について - 真顔日記

    京都の人々は、四条河原町のことを「都会」と呼ぶ。 といっても、根拠は数人なんですが。 京都を知らない方のために説明しておくと、四条河原町は四条通りと河原町通りの交わる場所で、京都でいちばん人が集まるところ。つまり京都の「中心」である。京都駅はじつは「中心」とは言いにくい。 そして同居人は、四条河原町に出ることを「都会に行く」と表現する。同居人の友達も「都会」と言うし、京都暮らしの長い大家さん(六十代)でさえ「都会」と言うらしい。要するに、京都では「都会」と言えば四条のあたりだと通じるそうだ。 最初、私は同居人が「都会」と言ったのを聞いて笑った。大げさだからである。私は「都会」とか言われると、どうしても長渕剛的な、コツコツとアスファルト踏みしめてボストンバッグかついでいくイメージが浮かんでしまう。しかしうちから四条までは市バスで20分である。都会としてお手軽すぎる。ポーチで行ける。 「言うよ

    人の集まるところを「都会」と呼ぶ習慣について - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/11/28
    相手との相対感覚の中での範囲をどうとらえるかってことだよな。
  • もはや細長い二文字ではないのか - 真顔日記

    とうとう電気代とガス代とネット代を払うことになった。半年前からネットのあちこちで記事を書くようになり、収入が増えたからである。同居人に「払え」と言われた。それはもうシンプルに言われた。同居人の要求はいつもシンプルだ。 「払えるでしょ、払ってよ、払えるんだから」 払えないなら我慢する。しかし払えるのに払わないのは我慢できない。それが同居人の主張だった。正論だった。なので今月から払うことになった。となるともうただのルームシェアである。ヒモ状のものを見るだけで冷や汗の流れる生活が終わろうとしている(実際まだ汗は出るが)。 しかしどうも居候気分は抜けない。これは自分の生活空間が二畳の小部屋だからかもしれない。生活空間の異常なせまさが居候という自覚を生んでいるんじゃないか。ちなみに女性には「あれ二畳もないでしょ」と言われている。だから実際は二畳もない。 我が家という雰囲気がないことについて、もう少し

    もはや細長い二文字ではないのか - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/11/05
    このブログ読み初めて1年半、確かに筆者の名前をちらほら見るようになったと思った。
  • オッサンのハゲ頭的無意味 - 真顔日記

    同居人と地下鉄に乗った。そして気づいたのは、私と同居人は一緒にいても注目しているものがぜんぜん違うということだった。 同居人はファッションが好きなので、乗客の服装に注目している。あの着こなしはいいとか、よくないとか、考えているようだ。一方の私は、オッサンのハゲ頭とか、オバサンの顔のしわを見ている。あるいは吊り広告にある女性ファッション誌の「今年はコレできめる!」みたいなコピーを面白がっている。ファッションそのものではなく。 このようにして、「見る目」が養われていくのだと思った。同居人がファッションに詳しいのも、反対に私が疎いのも、このような日常的な視線の蓄積の結果だろう。ファッションを見る目を身につけたいならば、オッサンのハゲ頭ではなく、そのとなりにいる若者の服装を見なければならない。 しかし私のこの日記は、日常的にオッサンのハゲ頭的無意味を見つめているからこその文章である。そういうものを

    オッサンのハゲ頭的無意味 - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/10/11
    ファッションとか興味ないと永遠に見ないしますます興味なくなるよな。
  • 美容師が悟りをひらくとどうなるか? - 真顔日記

    十年前、まだ美容院に行っていた頃のこと。 その美容院は大きなところで、数十人の美容師が在籍していた。だからなのか、ランク制をとっていた。いちばん下っ端は普通のスタイリスト、すこし偉くなるとトップスタイリスト、その上にはサロンディレクターがいて……という感じだった。それぞれに料金が違うわけだ。私を担当している人のランクは「トップスタイリスト」で、名前は藤村さん(仮)といった。店に行くたび、次のように挨拶されていた。 「よろしくお願いします、トップスタイリストの藤村です」 これでいつも笑いそうになっていた。「すげえ自画自賛してくるじゃん」と思ったからである。自分のことをトップ扱い。まあ、自分のランクだから名乗らなきゃ仕方ないということなんですが。 藤村さんは謙虚な人だったので、その後は普通に髪を切られるだけだったが、いっそのこと自信満々でいてほしいと私は思っていた。ひたすら自画自賛する美容師を

    美容師が悟りをひらくとどうなるか? - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/10/06
    「ハサミは使わないんですか?」「ハサミ?ハサミとは?」というところまでが悟り。
  • モナカの自己評価は高すぎる - 真顔日記

    近所のスーパーで買い物していた。「小物アイス特売」と書かれたコーナーにピノなどが大量に放り込まれていた。ようするに箱型のアイスと区別して百円弱のものを「小物アイス」と言っているんだろうが、「小物」という言葉は自然と「大物・小物」のニュアンスを引き連れてきた。 私はピノを見ながらたしかにこれは小物だと思った。「ピノ」という響きからして小物感は漂っている。ここ一番の大仕事はピノには任せられない。しかしそれはいい。ピノは別に大物ぶろうとしていないし、小物としての自分に安住しているように見える。そこに愛らしさもある。 むしろ私が批判したいのは、同じコーナーにいたジャンボモナカだった。ジャンボモナカがどれだけジャンボと粋がったところで、小物アイスのコーナーでピノのとなりに放り込まれているという事実は動かせない。小物たちのなかでジャンボと言い張るモナカの悲哀よ。 さらに問題なのは、モナ王も入っているこ

    モナカの自己評価は高すぎる - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/09/27
    うるせぇ、チョコジャンボモナカに文句言うのはこの記事を読んでからにしてもらおうか。 http://portal.nifty.com/kiji/140915165168_1.htm
  • なんでもゴリラにするのやめて! - 真顔日記

    同居女性が卵のパックの開けかたを勘違いしていた。十個入りのプラスチックの容器、あれは片側をピーッと引っ張れば綺麗に開くんだが、それを知らなかったのだ。 だから毎回、力ずくで開けていたらしい。逆側に「ここを引けば開きます」と書いてあるのに、プラスチックをバキバキに裂いて開けていたのである。この女はひんぱんに冷蔵庫の前で卵を落としていて前から疑問だったんだが、こんなかたちで謎が解けるとは! 開けかたが分からないから力ずくでやる。たまに卵が落ちて割れるが、次も普通に力ずくでやる。発想がゴリラじゃないか。私は人間2人とネコ4匹の暮らしだと思っていたが、人間とゴリラとネコ4匹の暮らしだったのか? 私はゴリラの家に居候していたのか? 「そういうやつもあるんだよ! がんばって開けるやつ!」 そんなふうに反論されたが、しかしやはりゴリラ以外なら、すこしやって開かなければ別の方法を考えるのではないか? いっ

    なんでもゴリラにするのやめて! - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/09/26
    まぁ、ゴリラの語源は「毛深い女」ですから。まちがってない。
  • 「女と寝る」という島耕作の一発芸 - 真顔日記

    マンガを読んでいると、作者の意図しないところで笑ってしまうことがある。たとえば『課長島耕作』のシーンの飛びかた。これが私はツボである。むかし定屋で読んだだけだから細部は曖昧なんだが、島耕作が綺麗な女と知り合う。二人でバーに行き、しばらく話し込む。すると女がグラスを持ち上げて言う。 「残りのジャック・ダニエルは、もっと静かなところで飲みたくない?」 そして次のページではベッドに入っている。あの感じ。あれが笑ってしまう。完全にネタ振りとオチとして認識している。私はあのマンガをセックスというオチを楽しみに読んでいた。「そろそろ女と寝るぞ、女と寝るぞ、ホラ寝た!」という感じ。感覚としては吉新喜劇。定番ギャグとしてのセックス。女と寝るというのは島耕作の一発芸なのだ。 コマとコマのすきまで女を口説く、それが島耕作という男である。世界には数多のプレイボーイがいるが、こんな妙な場所で口説くのはこいつく

    「女と寝る」という島耕作の一発芸 - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/08/19
    ウチの妻もスクールウォーズの映画を見に行って隣で肩を震わせて笑っていた。一方のオッサンは肩を震わせて静かに泣いていた。もうコイツと映画に行くまいと思った。
  • 「美人」は客観的な表現だと思っている - 真顔日記

    美人という言葉について。 ある女が美人かどうかは自分の判断では決められず、周囲の評価によって決められる。自分にとってその顔が好きかどうかは別に関係がない。「好きな顔」と「美人」はずれている。「好き」は個人的な基準で、「美人」は客観的な基準である。 なので私は、「この社会においてこの人は美人と呼ばれる外見をしている」という意味合いで、「〇〇さんは美人だ」と言うことが多い。女でも「イケメン」という言葉を客観的なニュアンスで使っている人をたまに見る。「〇〇君はイケメンだね」というとき、そこに好意が含まれていない感じ。すこし距離のある口調で言っている。 もちろん、好意まるだしでイケメンという言葉を使う場合もあり、それは美人も同じ。「すげえ美人だよなあ!」と鼻息荒く言われることもある。その場合、「美人」と「好き」は分離していない。あくまで私の場合は、「美人」と「好き」にけっこう距離があるということだ

    「美人」は客観的な表現だと思っている - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/08/16
    これは36歳同居人への遠まわしなアレなのであろうか。
  • 藤原紀香のブログが「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ」である件 - 真顔日記

    藤原紀香のブログ名を知った。『氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ』というらしい。目に飛びこんだ瞬間に頭痛がした。「うう……」という感じ。しばらく頭を抱えてしまった。この頭痛の原因は何なんだろうと考えていた。 やはり「氣愛と喜愛」がポイントだと思われる。たぶん、意味があるのだ。絶対にその場の思いつきではなく、「気合」に別の漢字をあてたことに紀香の思いが込められている。意味を尋ねればじっくり教えてくれるんだろう。 「この氣愛というところ、気じゃなくて氣という文字を使っているでしょう? これには理由があるの、それはね……(略)、二つ目の気は喜になっているでしょう? これは私の尊敬する〇〇さんが……(略)、それに両方とも合じゃなく愛になっているでしょう? これはね……(略)」 ずっと説明してくれるんだろうな、と思う。 たまにこういうことがある。文字を見た瞬間に「深い意味がこめられてるんだろうな」と気づい

    藤原紀香のブログが「氣愛と喜愛で♪ノリノリノリカ」である件 - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/07/19
    意識のギャップって疲れるんだよね。“「うっとうしい」というのは、とくに意味を求めていない場面で、濃密な意味を予感してしまったときの感情である。”
  • 広末涼子と遠藤久美子に本気で恋をしていた - 真顔日記

    全裸で広末涼子の写真を見てたんですよ。 いや、現在の話じゃなく、中学生のときの話です。実家で見ていた。いまは全裸で広末涼子の写真を見たりしない。成長したので。 それに当時も、最初から全裸で広末涼子の写真を見ていたわけじゃなく、広末涼子の写真を見ているうちに衝動的に全裸になったので、その順序は勘違いしないでほしい。私は論理的な人間なので、脈絡なく全裸にはなりません。 そのころの実家は小さなアパートで扉もふすまだった。よくもまあそんな状況、ふすま一枚へだてて家族がいる状況で全裸で広末涼子の写真見られるよなと思うが、当時はそれ以外の環境を知らなかった。とにかく日常的に広末涼子の写真を見ながら全裸になっていた。広末に対しては裸の自分で向き合うしかないと思っていた。うそはすべて剥ぎ取られるから。 一度、母親がいきなりふすまを開けたことがあった。あれはいま思い出すとウワッとなる。ふすまは開いた直後に高

    広末涼子と遠藤久美子に本気で恋をしていた - 真顔日記
  • スピッツの草野マサムネは年をとらないのか - 真顔日記

    ひさしぶりにスピッツを聴いていた。私とスピッツの付き合いは小学校からである。熱心に聴く時期もあれば離れている時期もあり、そんなこんなで二十年だ。 いまでも初めての出会いは覚えている。小5の時、クラスメイトの女子が「あたし最近スピッツ好き」と言っていた。私は当時スピッツを知らず、しかしスマップは知っていたので、「うわっ、スマップの名前まちがえてる!」と思い、反射的に「いやスマップでしょ」と言った。小馬鹿にする感じで言った。現代ネット口語で表現するならば、 いやwwwスマップでしょwwwww そして、「スピッツっていう人たち普通にいるから」と真顔で言われた。おもいきりカウンターをくらった。泣きべそをかきたくなるほど即座の反撃に、半ズボンのまま立ちつくしていた。それが人生ではじめてスピッツを知った瞬間だった。 その後、『ロビンソン』とか『チェリー』とか『空も飛べるはず』とか、スピッツがチャートを

    スピッツの草野マサムネは年をとらないのか - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/04/05
    鋭い。そしてこのDTは羨ましいDT。“三十六歳女性は、「あの人まだ童貞なんだよ」と言っている。むちゃくちゃ言うなとは思ったが、すこしだけ説得力を感じるのも事実。”
  • 「ゴミは気づいた時に捨てろ」という正論について - 真顔日記

    自分のゴミにたいする感覚はおかしいようだ。 ここでいうゴミとは、部屋に落ちる小さなべカスのことである。これにたいする自分の態度はおかしい。同居人に指摘されて気がついた。 私には缶ビールを飲みながら柿の種をべる習性があるんだが、アルコールは人間の頭を鈍らせるため、柿の種をうまく口元に正確に運ぶことができず、いくつか床に落としてしまうことがある。そして、酔った人間は非常に大ざっぱになっているものだから、いちいち拾うことはせず、酔いに任せて快適な気分になっている。なので私の小部屋には柿の種がよく落ちている。いつかの自分が酔った拍子に落としたものである。それを見るたびに私は思う。 「柿の種が落ちてる」 そして、ささやかな日常に戻っていく。 「気づいたときに捨てて!」と同居人は言うんだが、これほど圧倒的な正論もないと思う。たしかに、なぜ見つけたときに捨てないのか。べろべろに酔って柿の種を落とすの

    「ゴミは気づいた時に捨てろ」という正論について - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/04/04
    アスペかな?
  • 単純な接客業は人をおかしくさせる - 真顔日記

    二十代のころ、古い喫茶店で働いていた。レジで注文を聞き、その場で飲み物を出すスタイルだった。出勤前のサラリーマンが主な客層だった。このような店では、スピードが肝である。いかに客を待たせずに飲み物を出すか? 注文の大半はコーヒーだ。ややこしいマキーアートやフラペチーノはないし、そもそも日のサラリーマンは朝からフラペチーノを飲んだりしない。 週五で入っていたから、接客速度はどんどん上がっていた。単純なことしか言わないから、速度は肉体の限界まで上がっていく。いかに舌をまわせるか、それだけだ。慣れれば慣れるほど自分が機械化していくことが分かる。コーヒーを出すだけの機械である。 しかし、速度が上がりすぎると、舌がついてこなくなることもある。一度、コーヒーを出すのがすこし遅れたことがあり、「すみません、お待たせしました」と言おうとして舌がまわらず、 「すまッ!」 とだけ言ったことがあった。 客はキョ

    単純な接客業は人をおかしくさせる - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/03/18
    ゲシュタルト崩壊といわれるものに含まれるのではないかな?
  • 我々はパピコに吸わされている - 真顔日記

    パピコをべたことがなかった。アイスの菓子であり、ずいぶん昔から存在しているのに、べたことがなかった。パピプペポを好む人間として失態だと言える。三文字のうち二文字にパピプペポが使われているのだから一度くらい手を伸ばしてみてもよかったはずだ。 同居女性が買っていたので分けてもらった。はじめてべた。これはよいものだと思った。ついつい吸ってしまう魔力がある。貪欲な自分を発見させられる。ジェル状のものを吸う時、人間の欲望はもっともむきだしになるのだと知った。 最後に残った少量のチョコを必死で吸っているときなど、パピコを吸っているというよりは、パピコに吸わされていると言うしかない状態でしたからね。主語がパピコに移っていた。私がパピコを吸っているのではない。パピコが私を吸わせているのだ。 「これはパピコの中でもとくにおいしいパピコだからね」と女性は言った。 「特別なパピコなんだよ」 聞くと、普通の

    我々はパピコに吸わされている - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2016/03/09
    「おいしい牛乳」ってそのまんまの商品名もあるからな。間違いではないその感覚。
  • アルフレッドビーチサンダルの人魚 - 真顔日記

    2015-12-06 アルフレッドビーチサンダルの人魚 同居人女性との日々 最近、アルフレッドビーチサンダルというミュージシャンを知ったんですが、この人が春頃に出したEPがすごく良い。全四曲収録、最初の三曲はオリジナルで、最後にNOKKOのカバーである『人魚』が収録されている。 まず最初の三曲がどれもかっこいい。それだけでも打ちのめされる感じ。しかし四曲目のNOKKOのカバー、これがさらに良い! 『人魚』という曲は、これまでなんとなくでしか知らなかったんだが、この人のカバーによって、ここまで凄まじい名曲だったのかと知らされた。気に入った曲があると何度も流すのが自分であるから、この土日は人魚ばかり聴いていた。耳が人魚漬け。 同居人は音楽そのものに興味がないんで、私が「人魚良い、人魚最高」と連呼していても、反応は鈍い。「こいつ、妙な趣味にでも目覚めたんだろうか」という顔をする。男も三十をすぎる

    アルフレッドビーチサンダルの人魚 - 真顔日記
    tohokuaiki
    tohokuaiki 2015/12/07
    本名が「山田信子(やまだのぶこ)」なんだからNOKKOは許してやれ。