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歴史に関するurashimasanのブックマーク (55)

  • 「江戸日本の転換点」書評 列島改造!! 成長の限界に直面|好書好日

    江戸日の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス) 著者:武井 弘一 出版社:NHK出版 ジャンル:新書・選書・ブックレット 江戸日の転換点―水田の激増は何をもたらしたか [著] 武井弘一 明治以後、江戸時代の社会は、概して否定的に見られてきた。それが参照すべきものとして見られるようになったのは、むしろ近年である。それは、戦後日で、「日列島改造」と呼ばれた経済の高度成長があったあと、成長の停滞とともに、環境問題など、さまざまな矛盾が露呈してきたことと関連している。そのため、江戸時代に、低成長で持続可能な経済のモデルが見いだされるようになった。 書が覆すのは、江戸時代にそのように静的な社会があったという見方である。実は、17世紀に日中で、新田開発が進められた。見渡すかぎり広がるような水田の風景が生まれたのはこの時期である。それまで水田は主として山地にあった。これこそ

    「江戸日本の転換点」書評 列島改造!! 成長の限界に直面|好書好日
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    urashimasan 2015/05/28
     破鏡
  • 銅鐸:「第一級」7個発見 音鳴らす「舌」も3個 淡路島 - 毎日新聞

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    urashimasan 2015/05/20
     ”発見場所は石材加工業者の一時保管用の砂山で、出土地は不明” ほんとに気づかなかったのかな。
  • 邪馬台国論争に新材料 卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文:朝日新聞デジタル

    邪馬台国の女王・卑弥呼がもらったとも言われ、製作地を巡り論争が続く謎の鏡・三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)。これと同じ型式の鏡が中国河南省の洛陽市で見つかったとする論文が、地元の研究誌に掲載された。 論文を書いたのは河南省在住のコレクターで研究者でもある王趁意さん。王さんは鏡について「2009年ごろ、当時、洛陽最大の骨董(こっとう)市で、市郊外の白馬寺付近の農民から譲り受けた」と説明する。正確な出土地点はわからないという。 鏡は直径18・3センチ。厚さ0・5センチ。三角縁神獣鏡としてはやや小ぶりで、内側に西王母(せいおうぼ)と東王父(とうおうふ)という神仙や霊獣、外側にノコギリの刃のような鋸歯文(きょしもん)と二重の波状の模様を巡らせる。 鏡が見つかった洛陽市は中国の三国時代に魏の都があった場所。歴史書「魏志倭人伝」は、239年に魏の皇帝が倭(日)を治める邪馬台国の女王・卑弥

    邪馬台国論争に新材料 卑弥呼の鏡?「中国で発見」論文:朝日新聞デジタル
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    urashimasan 2015/03/03
     中国製と様式が大きく異なり作りが粗雑で国内で500枚以上出土しているものが中国の骨董市で1枚見つかっただけ。
  • 寺と僧侶が「完全消滅」した:日経ビジネスオンライン

    鹿児島市内を歩いて、どれだけの人がこのことに気づくだろうか。 「寺が少ない」――。 文化庁の『宗教年鑑』によれば、鹿児島県内の寺院数は489カ寺だ。例えば、鹿児島とほぼ同等の面積の山形県では1485カ寺、また広島県では1737カ寺である。 鹿児島県の人口10万人に占める寺院数(寺院密度)は、29.1カ寺。全47都道府県中の順位で言えば、寺院数が42番目、寺院密度が44番目と、確かに低水準ではある。 廃仏毀釈が激しかった鹿児島県 それには理由がある。 「鹿児島と言えば、西郷隆盛や大久保利通など、明治維新を主導した偉人を輩出した土地柄で一見、華やかな印象があります。ですが当時、この地域が大きなタブーを犯したことは、県民ですらあまり知らない事実なのです。いわゆる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)です。今でもその後遺症を、鹿児島は引きずっています」 こう語るのは鹿児島県民俗学会会員の名越護さん(72歳)

    寺と僧侶が「完全消滅」した:日経ビジネスオンライン
  • 石舞台古墳より大きな巨大方墳・小山田遺跡と舒明天皇陵を見てきた

    奈良県明日香村にある小山田遺跡で巨大な方墳の一部が見つかりました。一辺が50mある石舞台古墳よりも大きい、飛鳥地域では最大のものだとのことで、その作りの共通性から舒明天皇陵なのではないかという見方や、蘇我氏の墓ではないかという見方が出ています。ちょうど、奈良県桜井市には宮内庁が定める舒明天皇陵・押坂内陵があるので、合わせて行ってきました。 小山田遺跡第5次・第6次調査 現地説明会のご案内 (2015年1月15日) (PDFファイル)http://www.kashikoken.jp/from-site/2014/koyamada_annai.pdf 舒明天皇の初葬地か - 飛鳥最大の方墳/明日香・小山田遺跡 | 考古学 | 奈良新聞WEB http://www.nara-np.co.jp/20150116090450.html 近鉄の橿原神宮前駅に到着。こうした大きめの規模の駅では珍しくなっ

    石舞台古墳より大きな巨大方墳・小山田遺跡と舒明天皇陵を見てきた
  • 漢委奴国王印は奴国に下賜された金印ではない | 蒲生新田の庭先考察

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    urashimasan 2015/01/05
     ”とある方々は言う、漢匈奴悪適尸逐王印を [漢_匈奴_悪適_尸逐王] と読み三段の読法の例が存在する、と・しかしながら悪適尸逐王は匈奴の王号であり二段の読法が適用される”
  • 須玖タカウタ遺跡:国内最古級の鋳型出土 福岡・春日 - 毎日新聞

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    urashimasan 2014/11/21
    ”須玖(すぐ)タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀)に生産された青銅器の鋳型(石製と土製)の破片が出土・紀元前2世紀にさかのぼる鋳型は佐賀平野の遺跡などでしか”
  • http://kyuhaku.jmc.or.jp/index.html

  • 落合『漢字の成り立ち』:明解。白川静や藤堂について客観的に評価がわかって嬉しい。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    漢字の成り立ち: 『説文解字』から最先端の研究まで (筑摩選書) 作者: 落合淳思出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2014/04/14メディア: 単行この商品を含むブログ (12件) を見る わかりやすーい。漢字の歴史を概観し、これまでの字源の研究を批判的に振り返ったあとで、最新の成果をさっくり解説。非常に明解です。 特に、白川静の字源研究についてきちんと評価をしてくれているのは、ぼくにはとてもありがたかった。漢字というと、白川静信者がやたらにいて、『字訓』『字統』とかを聖書のごとくあがめる人がいっぱい沸いてくるんだけれど、ぼくは前からいま一つ信用できなかったのだ。それについては、こんなところに書いたことがある。「都」というのは、日が人の頭で、それを切り落として城壁に埋めたという、かつての呪術的な信仰のあらわれだ、というのはお話としてはおもしろい。でもそれが漢字の質かというと、ち

    落合『漢字の成り立ち』:明解。白川静や藤堂について客観的に評価がわかって嬉しい。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 「桶狭間の戦い」について

    BS歴史NHKの番組「BS歴史館」第50回「信長27歳 桶狭間に立つ」(2012年9月20日初回放送)に出させていただきました。桶狭間を専門に研究してきたわけではないので、むしろ信長の位置づけについて、といった趣旨で参加したのですが※、合戦自体についても、いろいろと考えさせられました。討論番組の性格上、言い尽くせなかったことも多く、私見を少しまとめておきたいと思います。 否定された通説 永禄3年(1560)5月19日(グレゴリオ暦だと6月22日)に起こった桶狭間の戦いは、かつては流布していた戦記物、小瀬甫庵の『信長記』などによって、上洛を目指して尾張に侵入した今川義元を、織田信長が奇襲によって倒した戦争、と考えられていました。しかし今日では、より信頼が置ける、信長の側近くに仕えた太田牛一『信長公記』などの史料の見直しによって、こうした見方は否定されています(藤正行『信長の戦争』講談社

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    urashimasan 2014/06/23
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  • 古代日本と朝鮮半島 明らかになる交流史|特集まるごと|NHKニュース おはよう日本

    鈴木 「日と朝鮮半島の古代史についてです。」 阿部 「九州、そして海を挟んで向き合う朝鮮半島南部それぞれで、今、興味深い発見が相次いでいます。 古代から交流が盛んと言われてきたこの地域で、これまで知られていなかった、より深い交流を伺わせるものが見つかっているんです。」 鈴木 「こうした発見から、歴史の新たな一面が見えてきています。」

    古代日本と朝鮮半島 明らかになる交流史|特集まるごと|NHKニュース おはよう日本
  • http://seinanmi.seinan-gu.ac.jp/insei/ronshu/6/nakao.pdf

  • 外土塁環壕集落の性格

  • 情報処理推進機構:教育用画像素材集 - カテゴリ一覧

    サイト「教育用画像素材集」につきましては、現下の利用状況等に鑑み、 2020年3月31日をもちまして、終了させていただくこととなりました。

  • 「天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳」今井 堯 著

    秘境というと外部の人が足を踏み入れたことのない地域を指すが、日にもまだ秘境が残っている。歴代天皇・皇族の陵墓だ。陵墓の中でも特に古墳時代の陵墓古墳は専門の考古学者や研究者もほとんど入ることが許されない。書ではその陵墓古墳の現状と歴史、研究上の問題点が整理されている。 三世紀中頃の巨大な前方後円墳の登場から六世紀末の前方後円墳衰退後に主流となる円墳・方墳などが消滅する八世紀末までが考古学上の古墳時代となる。この考古学上の古墳のうち宮内庁が管理している陵・墓・陵墓参考地を陵墓古墳と呼ぶ。皇室典範第二十七条には「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とし、陵及び墓に関する事項は、これを陵籍及び墓籍に登録する。」と定められ、陵・墓とは別に、陵墓の治定が完了した1890年代以降に『巨大な古墳や多数の優れた副葬品を出土した古墳を陵墓参考地』(P19)と呼んでいる。現在

    「天皇陵の解明―閉ざされた「陵墓」古墳」今井 堯 著
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    urashimasan 2014/02/10
     ”明治二十二年(1889)の大日本帝国憲法発布、紀元節の制定に天皇陵の治定が無理矢理間に合わされた・当時の治定根拠となった一切の資料が未だに非公開”
  • 宇佐神宮また火種 市民「早く正常化を」【大分のニュース】- 大分合同新聞

    宇佐神宮また火種 市民「早く正常化を」 [2013年10月01日 10:11] メールで記事を紹介する 印刷する 宮司継承をめぐる争いの余波が続いている宇佐神宮 全国八幡宮の総宮、宇佐神宮(宇佐市)で起きた新たなトラブルが波紋を広げている。既に終決した裁判で宮司の地位が認められなかった世襲家の女性権宮司が、職場環境や業務内容に不満を抱き改善を要求。一方、神宮側は女性権宮司の勤務態度に問題があるとして給与を大幅カットした。対立から社務所で小競り合いがあり、女性権宮司が全治3週間のけがを負わされたとして男性権宮司を告訴する事態となっている。 権宮司は宮司に次ぐ地位。南北朝時代から代々続く世襲家の到津克子氏、有力社家の永弘健二氏の2人が務めている。両者の関係者の話を総合すると、7月下旬、永弘氏が机の上に置いていたICレコーダーを到津氏が手に取ろうとしてもみ合いになった。その際、到津氏が手首

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    urashimasan 2014/01/30
     神社本庁に乗っ取られた宇佐八幡”祭典の日程を知らされないなど露骨な嫌がらせを受けている” http://bit.ly/2sV9cMF
  • 三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明 NHKニュース

    古墳から出土した古代の鏡、「三角縁神獣鏡」を復元して光を当てると、反射した光が裏に描かれたものと同じ文様を映し出す現象が起きることを、京都国立博物館などの研究グループが明らかにしました。 研究者は、当時の権力者が神秘的な鏡を使い権威を高めたのではないかと注目しています。 京都国立博物館の村上隆学芸部長などの研究グループは、古代の鏡の三角縁神獣鏡が、作られた当時、どのような性質を持っていたのか調べました。 発掘された実物はさびついてほとんど光を反射せず、磨くこともできないため、比較的保存状態のいい愛知県犬山市にある「東之宮古墳」から出土した三角縁神獣鏡にレーザー光線を当てて、形を精密に計測しました。 そのうえで、実際と同じ銅などを使い、3Dプリンターと呼ばれる装置で複製し、表面を磨いて、作られた当時の姿に仕上げました。これに太陽の光などを当てると、反射した光が、鏡の裏に描かれた物と同じ文様を

    三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明 NHKニュース
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    urashimasan 2014/01/29
    うーんどうかな。基本的に薄く作って磨けばこうなるんだし、魔鏡を見せることを前提にしていたらもっと大柄で意味のある文様になりそうだし。/国産説を併記しているのは好感が持てる。
  • NHK クローズアップ現代

    NHK クローズアップ現代
  • 日本人が知らない伊勢神宮七つの秘密~初詣でお賽銭投げたらダメ

    伊勢神宮は、正式には「神宮」と呼びます。 神宮は一つの社だけを意味するのではなく、二つの相並び立つ「内宮」(皇大神宮)と「外宮」(豊受大神宮)の2社を中心に、別宮、摂社、末社、所管社を含めた125社からなっています。 八百万の神々が具現化したような聖地なわけです。 通常の参拝方法としては、まずの神様豊受大御神(とようけおおみかみ)を祭る外宮から参拝し、次にバスなどにのって、天皇家の祖先神であり太陽神のアマテラス(天照大御神)がまつられる内宮を参拝します。 とはいえ、とくに年末年始に両社を移動するのは大変ですので、多くの方は内宮のみという選択のようです。そのため内宮の参道であるおはらい町にあるおかげ横丁は日有数の観光地となっています。 江戸時代以来の伊勢まいりの賑やかさと一転して静寂な境内を訪れることで、ふつうの神社以上にとても清々しい気分になれるのです。 心のふるさと伊勢神宮七つの秘密

    日本人が知らない伊勢神宮七つの秘密~初詣でお賽銭投げたらダメ
    urashimasan
    urashimasan 2013/10/03
     ”廃仏毀釈をはじめとする明治時代の「国家神道」というものが、いかに日本本来の歴史と伝統からかけ離れた「作られた伝統っぽい文化」だったこと”