2006年10月2日、東京・六本木ヒルズアリーナ。2001年の東京モーターショーの出品から足かけ5年-850日目。光岡自動車の「大蛇(オロチ)」の発表会が開催、その強烈なフォルムのスーパーカーが鮮烈なデビューを飾った。 この席上、挨拶に立った光岡進は「創業以来、この日が来るのを夢見てきた。オリジナルカーづくり一筋に取り組んできた当社と私にとって、今日は日本発のスーパーカー開発の記念すべき第一歩」と、興奮気味のスピーチで締めくくった。 その時、光岡の脳裏には走馬灯のように、創業から40年間のクルマ人生、カービジネスでの山あり、谷ありの忘れがたいシーンが去来し、鮮やかに映し出されていた。 農家の馬小屋を間借りしてのスタート 光岡進は、もともとはサラリーマンだった。高校卒業後、地元の国産車ディーラーで新車営業を担当していた。そんな光岡が独立、光岡自動車工業を創業したのは1968年2月。勤務先の系