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70年代に関するcinefukのブックマーク (253)

  • 【ジャングル黒べえ】もともとは宮﨑駿さんの企画だった。小人が登場する『頭の上のチッカとボッカ』が実現しなかった意外な理由とは?

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    【ジャングル黒べえ】もともとは宮﨑駿さんの企画だった。小人が登場する『頭の上のチッカとボッカ』が実現しなかった意外な理由とは?
    cinefuk
    cinefuk 2024/04/14
    <ところが、局が、「作家は誰ですか?」と聞いてくる。手塚治虫や赤塚不二夫のようなビッグネームですか?と。宮崎駿の名前を告げると、テレビ局が嫌がりました。無名だから、というのがその理由です>
  • 【ジャングル黒べえ】誰も抗議してないのに封印された? 藤子・F・不二雄の「幻のアニメ」がYouTube配信

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    【ジャングル黒べえ】誰も抗議してないのに封印された? 藤子・F・不二雄の「幻のアニメ」がYouTube配信
  • 「ジャイアンは音痴じゃなくてハードロックやメタルの路線の音楽性と歌唱法がトガりすぎてて同世代の子供に理解されなかっただけ説」に対する様々な見解

    白樺香澄と宿屋ヒルベルト @kasumishirakaba 編集・ライター、イベント企画などミステリやホラーに関するお仕事。株式会社行舟文化の手の者。菊池篤という名前もあります。いい加減統一しろ。 takeshobo.co.jp/book_d/shohin/… 白樺香澄 @kasumishirakaba 「ジャイアンはレッドツェッペリンのTシャツを着てたりリサイタルの衣装が80年代のLAメタルやグラムロックを意識してたりするので、アレは音痴だったんじゃなくてハードロックとかメタルの路線を向いた音楽性と歌唱法がトガリすぎてて同世代の子供に理解されなかっただけなんじゃないか」説好き。 2024-03-03 10:11:21 リンク note(ノート) ジャイアンシチュー小論|白樺香澄 「ジャイアンはレッドツェッペリンのTシャツを着てたりリサイタルの衣装が80年代のLAメタルやグラムロックを意識

    「ジャイアンは音痴じゃなくてハードロックやメタルの路線の音楽性と歌唱法がトガりすぎてて同世代の子供に理解されなかっただけ説」に対する様々な見解
    cinefuk
    cinefuk 2024/03/04
    カラオケなかった時代の音楽が、子どもたちにどう受容されてきたかそろそろ解説が必要になる予感
  • 日テレ版ドラえもん

    概要藤子・F・不二雄原作の漫画『ドラえもん』のアニメ版といえば、1979年(昭和54年)からテレビ朝日系列で放映されているシンエイ動画製作のものを指すのが一般的となっている。 しかし、実はそれ以前にも一度『ドラえもん』はアニメ化されている。それが『日テレ版ドラえもん』なのである。 1973年(昭和48年)の4月〜9月に日テレビ系列で放映され、製作会社は「日テレビ動画」(名称は似ているが日テレとは資関係もない無関係の会社であり現にTBS系列においてもアニメを作成している。しかしながら前々身の日放送映画と東京テレビ動画は日テレビ専属のテレビアニメ会社だった)。 現在と同じく15分2話構成、スラップスティックコメディの要素が強かった原作初期の雰囲気をさらに強めにした形での内容であり、ドラえもんが頼れる保護者というより、イタズラ好きでトラブルばかり起こすが憎めないポンコツとして描かれてい

    日テレ版ドラえもん
    cinefuk
    cinefuk 2024/02/07
    嘘にしても適当すぎる。"小学館は『ドラえもん』の展開に区切りをつけるべく「さようなら、ドラえもん」を発表するに至ったが、それを受けた子どもたちの熱烈な反発があいまった事から「帰ってきたドラえもん」執筆"
  • 合体ロボシリーズ・マッハロボ – 昭和玩具研究+発表

    今回は、合体ロボシリーズ・マッハロボです。 -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 合体ロボシリーズ NO.2 MR マッハロボ 両方の腕の武器が発射できる ほかのロボや武器と合体できる KIT NO.200 37-A -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 合体ロボシリーズ ・メタリックカラー仕上げ ・メッキ部品付 ・最新武器搭載 NO.1 マッハロボ NO.2 アイアンロボ NO.3 ファイアーロボ NO.4 パイルダーロボ -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 4点のロボットはそれぞれ合体できま す。 合体ロボシリーズ NO.1 マッハロボ NO.2 アイアンロボ NO.3 ファイアーロボ NO.4 パイルダーロボ -+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+ 4点のロボットと4点のマシンが自由 に合体することができます 合体プラボ

    cinefuk
    cinefuk 2024/02/03
    「ロボット全体のフォルムはマジンガー 以降ゲッターロボ周辺、またはレッド バロン、マッハバロン、このあたりの 最大公約数を絞り出し、デザインに落 とし込んだ感じ」
  • 大阪・関西万博に「月の石」 再展示構想が浮上 日米政府関係者 | 毎日新聞

    【EXPO70】アメリカ館のプレビューで公開された月の石=大阪府吹田市の日万国博覧会会場で1970(昭和45)年3月10日 2025年4月に開幕する大阪・関西万博で、1970年の大阪万博で人気を博した「月の石」を再び展示する構想が浮上している。日米政府関係者が明らかにした。 米政府が検討しており、日の政府関係者は「前回の大阪万博を知る人には懐かしい。月の石を再確認するために万博にいくというのもいい」と歓迎する。万博を巡っては国民負担増などで批判が多く、かつての人気にあやかりたいとの思惑もありそうだ。 月の石はアポロ12号が大阪万博開催の前年に月から持ち帰ってきたもので、重さ約900グラム。米国は69年に世界で初めて月面着陸を成功させたことから、宇宙開発を展示テーマのひとつにし、月の石は国のパビリオンであるアメリカ館に展示した。大阪万博は当時の国民の3分の2に当たる延べ約6421万人が来

    大阪・関西万博に「月の石」 再展示構想が浮上 日米政府関係者 | 毎日新聞
    cinefuk
    cinefuk 2023/12/25
    月の石がEXPO70の目玉だったのは、1969年に人類が月面到達したばかりでタイムリーだったから。人類が50年なにも進歩してないかのような演出するのを辞めろ。進歩してないのは、大阪と中央政府を統治する為政者だけだ
  • 光岡『M55コンセプト』公開、1970年代をイメージした創業55周年記念モデル | レスポンス(Response.jp)

    光岡自動車は11月16日、創業55周年記念モデル『M55コンセプト』を特設ページで公開した。 M55コンセプトのメインターゲットは、1968年創業の光岡自動車と同じ55年の人生を歩んだ「同世代の人々」。感受性豊かな少年・少女時代に体験した様々な出来事や1970年代の時代感覚をベースに、当時の夢や希望に満ち溢れ、先の未来を変える大きなエネルギーの中、時代を駆け抜けた人々のマインドを形にした。 M55コンセプトについて、公開されたのは画像のみでスペックは明らかにされていない。スタイリングは、1970年代当時のクルマ好きたちの心をつかんだ日産の4代目スカイライン(ケンメリ)やトヨタの初代セリカリフトバックを彷彿とさせる。両モデルが2ドアだったのに対し、M55コンセプトは4ドアだが、クラシカルな4灯ヘッドライトやリアガラスのサンシェードなど、当時の雰囲気を再現している。 光岡自動車は「1970年代

    光岡『M55コンセプト』公開、1970年代をイメージした創業55周年記念モデル | レスポンス(Response.jp)
    cinefuk
    cinefuk 2023/11/17
    そんなターゲットに向けた雑誌出てるねぇ。"M55コンセプトのメインターゲットは、1968年創業の光岡自動車と同じ55年の人生を歩んだ「同世代の人々」。"
  • 戦友・富野由悠季と安彦良和、そして古川登志夫の駆け抜けた“ガンダム前夜”70年代アニメ史 - 2ページ目 (3ページ中) - otocoto | こだわりの映画エンタメサイト

    otocoto(オトコト)は、こだわりのある"大人のための映画エンタメ"メディアです。制作陣や出演者のインタビューをはじめ、作品の深掘りコラムや海外情報、最新の予告編動画、最新映画ランキング、ニュース記事などをはじめとした、映画やドラマなどの最新情報をお届けします。 古川: 先ほどお話に出た『勇者ライディーン』や、『無敵超人ザンボット3』『機動戦士ガンダム』などなど……70年代の人気ロボットアニメでは、多くの作品で安彦先生がキャラクターデザインを担当していらっしゃいますよね。この辺りのエピソードを教えていただけますか? 例えば、安彦先生が初めてキャラクターデザインを担当された『勇者ライディーン』ではどんな感じだったんでしょうか。 安彦: 『勇者ライディーン』はダメ出しが多くて大変でしたね。今はキャラクターデザインというと、いろいろな分野のスペシャリストで分業化してやっていますが、当時は全部

    戦友・富野由悠季と安彦良和、そして古川登志夫の駆け抜けた“ガンダム前夜”70年代アニメ史 - 2ページ目 (3ページ中) - otocoto | こだわりの映画エンタメサイト
    cinefuk
    cinefuk 2023/10/06
    古川「当時の富野監督って、派手な柄物の布に穴を開けて被って、ロープで真ん中を縛っただけのような、非常に斬新な格好をされていたんですよ」安彦「アフレコの時用のコスチュームだったんじゃないかな?」
  • さよなら、私の愛したビートル | バイクと趣味に生きる

    今年の1月、フォルクスワーゲン・ジャパンは2019年度中にThe Beatleの販売を終了することを発表しました。 ワーゲン・ビートルの初代モデルは、私が免許を取って初めて買ったクルマです。 昔から免許を取ったら乗りたかったクルマが三台ありました。「ジープ」「赤いシヴォレーコルベットスティグレイスポーツクーペ」、そして「黄色いワーゲン」でした。 そしていろいろ探し回って手に入れたのが「黄色いワーゲン」だったのです。 当時はビートル専門のお店がいろんな場所にありました。 ここシェルオート販売もそんなお店の一つで、わたしのビートルもここで買いました。 わたしのビートルは1976製の1200LSE、フロントウインドウは1303シリーズなどのようにカーブしていなくて昔風のフラットタイプのものです。 ボディサイドの黒いストライプはどうしても付けたかったものです。 色はもちろん目のさめるような黄色! 

    さよなら、私の愛したビートル | バイクと趣味に生きる
  • ナントモ無頼なファントム無頼(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル

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    ナントモ無頼なファントム無頼(小原篤のアニマゲ丼):朝日新聞デジタル
    cinefuk
    cinefuk 2023/09/26
    「いきなり小学館の編集者から電話で『来いや』と呼び出され『お前は飛行機が描けるからこのオッサンの原作で描け』拒否する余地なんてないんですけど、私としては飛行機が描けるなら何だっていいや、という気持ち」
  • http://c.nishinippon.co.jp/photolibrary/cat11

    cinefuk
    cinefuk 2023/08/27
    50年前の正しい作法は、こうだったのだな。汁漏れしないレジ袋の普及がターニングポイントかも。「車両基地に着いたひかり号の車内はご覧の通り=博多車両基地、1975(昭和50)年4月頃」
  • サーキットの狼 - Wikipedia

    『サーキットの狼』(サーキットのおおかみ)は、1970年代に池沢さとしが発表した、スーパーカー、4輪モータースポーツを題材にした漫画作品。1975年から1979年にかけて『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載され、続編に『サーキットの狼II モデナの剣』『21世紀の狼』がある。 概要[編集] 愛車ロータス・ヨーロッパを駆る主人公の風吹裕矢が、一匹狼の走り屋から始まり公道やサーキットを舞台にライバル達との競争を繰り広げ、プロのカーレーサーへと成長していく物語である。ライバルとしてポルシェやフェラーリ、ランボルギーニ、トヨタ・2000GTなど、世界中の著名なスポーツカーが多数劇中に登場しており、いわゆるスーパーカーブームの火付け役となった[1]。 当初はスポーツカーを主題とした内容に編集者が難色を示し、池沢の2年間の説得を経て連載となった[2]が、連載後も順調に人気を獲得するものの、15週目で誌

    cinefuk
    cinefuk 2023/07/23
    "東映まんがまつりより少し上の中学、高校生世代の掘り起こしを企図され、1977年GW映画『恐竜・怪鳥の伝説』『ドカベン』『池沢さとしと世界のスーパーカー』の興行を見て、1977年夏休み興行『トラック野郎』と併映が"
  • 1978年の新宿の写真を見て気づく「黒い服を来た人がいない」→その理由はこれ?「『普通』ができたのごく最近」

    齋藤 @saito_d 肌感覚だけど90年代でも真っ黒な人ってさほど多くはなかったし、そう考えると黒が最もベーシックなカラーとされるようになったのは極めて近年(下手したらまだ20年弱)のことだというのがわかる。意外とスリマン以降じゃないのか。 twitter.com/saito_d/status… 2023-07-14 14:46:29 リンク Wikipedia エディ・スリマン エディ・スリマン(Hedi Slimane, 1968年7月5日 - )は、フランス出身のファッションデザイナー。20世紀終盤頃から21世紀初頭にかけてのファッションブランド「イヴ・サン=ローラン」・「ディオール・オム」及び2012年から2016年にかけてのSAINT LAURENT PARISのクリエイティブディレクターとしての活動が最も広く知られている。 「少年性」と「ロック」をテーマにした繊細な作品群は熱

    1978年の新宿の写真を見て気づく「黒い服を来た人がいない」→その理由はこれ?「『普通』ができたのごく最近」
    cinefuk
    cinefuk 2023/07/18
    いまのリクルートスーツの黒一色の異様さ。「量産型」と自嘲する程度の弁えはあるけれど、「はみ出すのが怖い」という意識は全員で変えないと意味ないもんなー
  • ソ連の子どもたちが大嫌いだった料理5選

    ソ連の料理には、素晴らしいレシピがたくさんあったが、いま大人になったソ連時代の子どもたちが顔をしかめて思い出す料理がある。 今なら、ベジタリアンのためのデザートあるいは流行りのアイスとして受け入れられるかもしれないこのアイスも、ソ連時代には、子どもたちをガッカリさせるおやつであった。このアイスクリームが作られるようになったのは1970年代の半ば、トマトの収穫量が非常に高かった時期で、アイスはピュレーとトマトの汁から作られた。当時、もっとも安いアイスの一つで、紙製のカップに入って、笑顔のトマトが描かれた丸い紙で蓋がしてあった。しかしこの紙の蓋がついていないことがあり、子どもたちはイチゴだと思ったものだった。そして最初の一口をべたときの落胆といったら・・・、それは相当なものだった。 2. ミルク・マカロニ 主にソ連の幼稚園で伝統的に作られていたが、ときに家庭でも作られた。ほとんどの子どもはマ

    ソ連の子どもたちが大嫌いだった料理5選
    cinefuk
    cinefuk 2023/06/21
    "トマト・アイスクリームが作られるようになったのは1970年代の半ば、トマトの収穫量が非常に高かった時期で、ピュレーとトマトの汁から作られた。イチゴだと思った子どもたち、そして最初の一口を食べたときの落胆"
  • 「紳士だったら知っている」……3月17日はミユキ野球教室の日 - CDJournal リサーチ

    1957年3月から90年3月まで、日曜の朝の時間帯に日テレビ系で放送されていたのが『ミユキ野球教室』です。当初は野球関係者をゲストに招いて野球評論家と野球技術をレクチャーするタイトルどおりの野球教養番組としてスタートしましたが、日テレビ系の番組ということで、その後は読売ジャイアンツの話題を中心とするプロ野球情報番組へ変更。昭和32年から平成2年まで33年間に続いた長寿番組として人気を博しました。 同番組がスタートしたのが、1957年3月17日。当初より一時期を除いて御幸毛織の1社提供で放送。馬に乗った2人の羊飼いの子供が大勢の羊たちを従える映像と「ミユキ、ミユキ、ミ〜ユキ、ミユキ」「服地はミユキと知っている〜」という歌が強く印象に残るオープニングCMも親しまれてきました。 この『ミユキ野球教室』のオープニングCMソングを歌っているのは、日の代表的な男声ヴォーカル・グループとして活躍し

    「紳士だったら知っている」……3月17日はミユキ野球教室の日 - CDJournal リサーチ
    cinefuk
    cinefuk 2023/05/27
    ミユキ〜ミユキテックス!ミユキ〜ファンシーテックス!ミ〜ユキミユキ服地はミユキ〜(ダークダックス)
  • 70年代アメフトブームの中で生まれた丁寧な正統派スポーツ漫画。の、はずが——小堀洋+守谷哲巳『5ヤーダー』の恐るべき路線変更っぷり |

    70年代アメフトブームの中で生まれた丁寧な正統派スポーツ漫画。の、はずが——小堀洋+守谷哲巳『5ヤーダー』の恐るべき路線変更っぷり 『5ヤーダー』 アメフトというスポーツがあります。アメリカでは大人気のスポーツですが、日ではそこまででもない。しかしそんな中でも『アイシールド21』というヒット漫画が存在した……ということはご存じの方も多いことでしょう。では、『アイシールド21』以前にアメフト漫画というものはなかったのか?といえばもちろんそんな事はありません。今回紹介する小堀洋+守谷哲巳『5ヤーダー』もそのうちの一つ。連載は77〜79年の『月刊少年チャンピオン』、単行は全8巻です。 先に、ちょっと時代背景を説明しておきましょう。実は70年代の日では、ちょっとしたアメフトブームが起きていて、子供文化にかなり影響を与えていたのです。74年にはフィンガー5が「恋のアメリカン・フットボール」とい

    70年代アメフトブームの中で生まれた丁寧な正統派スポーツ漫画。の、はずが——小堀洋+守谷哲巳『5ヤーダー』の恐るべき路線変更っぷり |
    cinefuk
    cinefuk 2023/05/25
    70年代アメフトブーム、玩具オリジナルでもモチーフ多用されてた印象>『仮面ライダーストロンガー』(75年)『マッハバロン』(74年)『UFO戦士ダイアポロン』(76年)『ゴワッパー5ゴーダム』(76年)
  • 寿命迫るボイジャー2号、電気系の変更で科学機器運用を2026年まで延長。引き続き星間空間のデータを取得 | テクノエッジ TechnoEdge

    ガジェット全般、サイエンス、宇宙、音楽、モータースポーツetc... 電気・ネットワーク技術者。実績媒体Engadget日版, Autoblog日版, Forbes JAPAN他 1977年に打ち上げられたボイジャー2号は、地球から200億km以上離れた星間空間を飛行していますが、現在も科学機器を用いて取得したデータを我々の元へ送り続けています。 しかし、45年を越えて続くミッションもそろそろ終わりが見えてきています。と言うのも、ボイジャーが搭載する放射性同位体熱電発電機(RTG)からの電源供給が終わりに近づいているから。 ボイジャー2号はすでに、消費電力を節約するため、飛行に不可欠ではないヒーターなどの一部システムをオフにしていますが、それでも早ければ2024年には5つある科学機器のうちひとつを停止しなければならない段階に達していました。 ボイジャーに搭載されるRTG (NASA/J

    寿命迫るボイジャー2号、電気系の変更で科学機器運用を2026年まで延長。引き続き星間空間のデータを取得 | テクノエッジ TechnoEdge
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/28
    1977年出発の長旅。でも未だ割と近いところ(22光時)にいるのね「ただし、ボイジャー2号との通信は片道22時間もの時間がかかります」
  • 『ガンダム』「中途半端」な全43話のナゾ 「大人の都合」に振り回された制作現場 | マグミクス

    『機動戦士ガンダム』の放送期間は、10ヶ月で全43話と変則的なものでした。「ちゃぶ台返し」で振り回された制作現場の悲哀とは。 『機動戦士ガンダム』にお詳しい方はすでにご存じかとかと思いますが、その放送期間は10ヶ月で全43話。当時は1年12ヶ月、もしくは半年6ヶ月の番組が多かったなか、それは何故かについて世間では「視聴率が悪いので打ちきりになったから」と言われているようです。確かにそれは正しいのです。 でも実はそれほど単純なものでも無かった……という裏事情をご紹介しておきましょう。 現在ではさまざまな発信方法が可能にもなり、変則的な話数で制作されることも珍しくなくなったTVアニメーションですが、この『ガンダム』などが作られていた時代は、週刊TV番組の放送期間には一種の「通例」のようなものがありました。それが、「3ヶ月131(ワン)クール」という単位でした。 ひと月は4週と5週があるので、

    『ガンダム』「中途半端」な全43話のナゾ 「大人の都合」に振り回された制作現場 | マグミクス
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/26
    めちゃ"中の人"だった>【著者プロフィール】 風間洋(河原よしえ)
  • 藤子・F・不二雄「四畳半SL旅行」の背景あれやこれや | マンバ通信

    『藤子・F・不二雄大全集 少年SF短編 2巻』 このたび、小学館から『藤子・F・不二雄SF短編コンプリート・ワークス』が刊行されはじめましたね。おらが地元の川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアムでは「藤子・F・不二雄のSF短編原画展 -Sukoshi Fushigiへの招待-」を開催中ですし、NHK BSプレミアムで「定年退」「流血鬼」など10作品の実写ドラマも放映(や、この原稿書いてるうちはまだ放映されてないんですが)。で、4月25日発売の『SFマガジン』2023年6月号も、これらに合わせて「藤子・F・不二雄のSF短編」特集です。プロフィール文にも書いていますが、当方はたまに(2〜3年に1回くらい)『SFマガジン』に原稿を書くことがある身でして(一応SF界隈の人間なんすよ)、この特集における作品総解説でも2書いています。今回はそのうちの一「四畳半SL旅行」(書いたもう一は「休日のガ

    藤子・F・不二雄「四畳半SL旅行」の背景あれやこれや | マンバ通信
    cinefuk
    cinefuk 2023/04/25
    表題の短編漫画から70年代の鉄道模型趣味について。藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の作ったNゲージレイアウトを劇中で主人公のものとして描写している。8mmカメラを使った特撮は、誰もが一度は試みるアレ
  • アニメ雑誌クロニクル<br />第1回 アニメ雑誌黎明期と「アニメージュ」 - メディア芸術カレントコンテンツ

    2018年、日のアニメ雑誌御三家のなかで最も古い「アニメージュ」が、創刊40周年を迎える。これを機会に、3回にわたって、アニメのあり方とともに変わっていくアニメ雑誌の変遷を見ていく。第1回の稿では、アニメ雑誌の起こり、「アニメージュ」とはどのような雑誌だったのか、その後のアニメ雑誌の状況を紹介する。 「アニメージュ」1978年7月号(創刊号)表紙 日におけるアニメ雑誌の成り立ち アニメ雑誌はどのように始まったのか。 日最初のアニメーション専門誌は「ファントーシュ(FANTOCHE)」で、1975年10月に創刊された。1975年にアヌシー国際アニメーション映画祭に赴いた、東京アニメーション同好会(アニメーターを中心に発足した研究団体。略称「アニドウ」)のなみきたかしが、現地の専門誌「FANTASMAGORIE」を見たことがきっかけだった。「FANTASMAGORIE」は、アニメーショ